1−4
腹の底に響くような歌声に、その場にいた不埒者は一様に振り返った。
襲われていた人々は一瞬呆気に取られ、しかしすぐに蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
赤いボディのヒーローが拳を振り上げ吠える。背に担いだ大太刀は抜かず、次々と雑魚共と殴り倒していく。
今晩の酒の肴は『ゲンコツ・ファイアー』だ。
有馬が家にあったディスクを持ってきた。古さは感じるが、戦闘シーンはCGを使っていない分、見応えがある。スーツアクターだけではなく、俳優自身のアクションシーンを多用していて、そこが見どころでもあった。
「聡ちゃん! やっぱかっこいいよね、聡ちゃん!」
「ああ、そうだなー……」
興奮気味の有馬の隣で、聡介は気のない返事をする。子どもの頃と同じテンションで鑑賞できる彼がある意味うらやましい。
ソファーで寛ぎながら、有馬と二人で懐かしい特撮ヒーローを見ながらビールを飲む。
テーブルには有馬が買ってきた総菜と、聡介が作った簡単な料理が並んでいる。いつもと変わらない週末だ。
何話分か観たあと、有馬は聡介が揚げたフライドポテトをつまみながら、ため息をついた。
「あんま売れなかったよね、穂村さん。今も俳優やってるけどさー」
穂村拳はゲンコツ・ファイアーの主人公の名前をそのまま芸名として今も活動をしている。
確かに有馬の言うとおり、ときおりドラマの端役やバラエティのゲストで見かける程度だ。劇中の持ち歌だった曲はそこそこ売れたが、番組が終わってから出したCDはさっぱりだった。
「演技は下手じゃないのに、何やってもゲンコツっぽいんだよね」
「あー……そういや、そうだな。よくも悪くも、変わってないっていうか」
聡介は二本目のビールを空け、グラスに注ぎながら呟く。
彼は当時二十歳そこそこだったから、今は四十代か。さすがにあの頃のままとはいかないが、たまにテレビで見かける姿は若々しく、体型もほとんど変わっていない。
「よく維持してるよなぁ」
感心しながら、聡介は自分の腹を撫でる。今はぺたんこだし、ジム通いもしているから少しは腹筋も割れている。
しかし、四十代になって維持できている自信はない。ただでさえ、自営業は通勤もなくて運動不足だし。痩せていても腹だけは出てくるなんて話もよく耳にする。
「見た目だけ維持したってダメだよ」
「厳しいなぁ、有馬は……」
そう言いながら、聡介はソファーからずるずると床へ滑り落ちた。少し酔いが回ったようだ。
強そうに見えるとよく言われるけれど、実はアルコールにはあまり強くない。ごろりと床に転がると、チリンと金属音がした。あの女が支払った偽五〇〇円玉だ。そこら辺に放り出して忘れていた。
「聡ちゃん、何これ。外国のお金?」
有馬は硬貨を拾い上げ、裏表を返しながら不思議そうに訊ねてくる。
「ああ、ビキニ女の……代金がそれだった」
「外国の人だったのかな」
有馬はタブレットを取り出し、検索を始める。しばらく、無言で画面を見つめたあと、再び硬貨を手にした。
「うーん。こんな硬貨発行してると国はないっぽいけど。もしかしたらレアな記念硬貨とか? でもこんな文字見たことないよねぇ」
「じゃあ、やっぱおもちゃかな」
有馬から硬貨を受け取り、ため息をつく。おもちゃにしてはずしりと重く、デザインも精巧だ。
仕方がない。すぐに確認しなかった聡介にも落ち度はある。
硬貨を指先で弄びながら、聡介はまた、ヒトミの言ったことを思い出していた。
『聡介、お前はヒーローになる』
そんなバカな。いかれてるか、からかってるのか……どちらかだろう。
真に受けたりはしない。第一、そんな願望はない。この平穏な日常を手放すつもりはない。
変身なんて、したいわけがない。
そう思いながらも、彼女の真剣な表情が瞼を離れなかった。
変身……か。あり得ないけれど、もしも。
もしも、本当に超人的な力を得たなら。自分なら、どうするだろう。
上の空の聡介の目の前で手のひらを振り、有馬は心配そうに顔を覗き込んでくる。
「どうしたの。偽硬貨がそんなにショックだった?」
「いや……。なぁ、有馬」
何を訊こうとしているんだ。そう思いながらも、頭に浮かんだ質問は口を突いて出た。
「お前、変身したいって思ったことある? 子供の頃の話じゃなくて」
「……何言ってんの聡ちゃん」
呆れたような目をして聡介を睨んだあと、急に破顔する。
「あるに決まってるじゃないかぁ! すごい力を手に入れて悪いやつぶっとばして、武器はねぇ、鈍器がいいな、打撃系の。あとね、世を忍ぶ仮の姿は、うーん、何がいいかなぁ……」
目を輝かせて、あんなヒーローになってみたい、こんな技を使ってみたいと楽しげに話し始める有馬の顔は子どもの頃と変わってない。
「でも本当は、自分が変身するんじゃなくて、博士的なのに憧れたんだよなぁ」
「いや、そういう妄想じゃなくて」
「リアルに?」
聡介の真面目な顔を見ると、有馬も真顔になり、腕を組む。いつになく真剣な表情の幼なじみが口を開くのを、聡介も唇を引き結び待った。
「……今とは違う存在になれたらって思うことは、なくはないよ。僕だって社会に憤りを感じるし、それを変える力があれば、とか思うこともある。どうしようもなく自分が無力だと感じたとき、単純に強くなりたいって考えることも、ある。だけど」
言葉を切り、有馬は聡介をまっすぐに見る。
「もしも現実に何か、人知を超える力を得てしまったら……僕は、僕じゃなくなるんじゃないかな。それは、困るな。僕は、これでも今の自分がけっこう好きなんだ。だから、今の僕にできることをやるほうが、いいな」
そう言って、有馬は微笑む。見た目は頼りなさそうで、口を開けばあのヒーローが、特撮が、フィギュアが、そんな話しかしない奴だけど。
今の自分を好きだと言い切れる強さは、正直羨ましい。
「聡ちゃん、もう一本飲んでいい?」
「ああ」
聡介は冷蔵庫を開けてビールを渡してやる。有馬はピスタチオを剥きながら、再生ボタンを押し『ゲンコツ・ファイアー』の続きを見始めた。
何故そんな質問をするのかとは、有馬は問わなかった。多分そうだろうとは思っていた。
昔からそうだ。小学校三年生で聡介が突然引っ越したときも。長い間連絡さえしなかったことも。高校生になって急に電話をして会おうと言った日にも。
そして、喫茶ブレイクを継ぐためにこの町に戻ってきたときにも。
理由は一切聞かなかった。彼の一貫したその態度に何度救われたか。
テレビの中では、採石場で二人のヒーローが対峙している。
ゲンコツ・ファイアーと、ゲンコツ・サンダーだ。
ライバル役のサンダーのほうは雷を操る、ブルーベースのボディでクール系、ロックバンドのボーカリストだ。
「サンダー役の藤堂一輝は売れたよね。テレビで観ない日はないくらい」
「そうだなぁ。今もかっこいいよな」
画面では何故か、西部劇のような回転草が画面を横切っていった。それを観て有馬がくすりと笑う。
「この回、好きだったんだよねぇ。このあと、サンダーが仲間になるんだよね」
「仲悪いくせに共闘するのはいいよな」
聡介も同調し、有馬と笑い合う。
楽しい。こうして特撮ドラマを有馬と一緒に観ながらだらだら喋っている時間が、今は一番楽しかった。
笑い合えるのは、これが娯楽だから、虚構だとわかっているからだ。
正義のヒーローは現実にはいない。万が一、存在したとしても正義のヒーローは自分がなるもんじゃない。
もちろん、正義を軽んじるつもりはない。傍観者でいいとも思わない。
だが、何かの力を得てまで変わりたいとは思わない。力を得れば相応のリスクを負うことになるのは、大人になった聡介にはよくわかっている。
無謀さがかっこいいのは物語の中だけだ。現実でそれを勇気と讃えるのは無責任なことだ。
あくまで一般市民として、自分のできることをやる。それで充分だ。あんな変な女の言葉にいつまでも囚われているのもバカらしい。
忘れよう。
そう決意し、いつも通りの週末を楽しむことにした。
しかし。
こちらが忘れるつもりでも、運命のほうはそうではなかったらしい。
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