1−3
ヒトミと名乗る変な女がきてから三日が経つ。
彼女が再びブレイクを訪れることもなく、普段通りの時間が過ぎた。
朝から代わる代わる常連が訪れ、世間話をしたり新聞を読んだり一服したりして去っていく。
「聡ちゃんはまだ彼女できないのか」
「出会いがありませんからねぇ」
カウンターに乗り出して聡介に絡んでいるのは、常連の田所だ。近くで工場を営んでいる。お節介で噂好きで女好き。お世辞にも品がいいとは言えない人だが、世話好きでお人好しだ。
「何を暢気なこと言ってんだ、出会いなんてもんはな、作るんだよ! よし、これから俺がいいとこ連れてってやる。こないだいい店見つけたんだよぉ」
鼻の下を伸ばして、行こう行こうと子どものように足をバタバタとする。
田所はしょっちゅう、ガールズバーだのおっぱいバーだのに聡介を誘ってくる。
「奥さんに叱られますよ」
やんわりと釘を刺すと、つまらなそうに頬杖をつく。
悪い人ではないが、あまりしつこく誘われるのは困るな……。そう思っていると、カラン、と軽やかな音がしてドアが開いた。
「田所さん、また聡ちゃんをいかがわしい店に誘ってるんですかぁ」
やってきたのは有馬次郎、聡介の幼なじみだ。チェックのシャツにジーンズ、リュックというカジュアルな出で立ちだが、れっきとした会社員だ。広告用の映像を作る会社に勤めている。
彼が訪れるのは、だいたい週末の閉店間際の時刻だ。気づくと外はもううっすら暮れかかっていた。
「さっきさー、変な女の人とすれ違ったよ。美人だけど、ビキニ姿にマントでさー。コスプレかな? あんなキャラ知らないけど」
「ビキニの美人? なんだそりゃ」
田所は鼻の穴を広げて、そそくさと席を立つ。
「いかんなぁ、けしからん。そんな格好で町内を歩くなんて、子どもの教育上よくない。わしが注意してやらねぇとな」
ぶつぶつ言いつつも、目がスケベそうに笑っている。
「また明日な、聡ちゃん。あ、その美人がきたらわしに連絡しろよ! きっちり説教してやっからよ!」
「よろしくお願いします」
自分がビキニ女を見たいだけだろうが……などとはもちろん突っ込まず、聡介は小さく手を振る。
田所の姿が見えなくなると、聡介はため込んだ息を吐き出した。
「あれ、聡ちゃんは興味ないの? ビキニの美人」
「その女なら、三日前にきたよ」
「へぇぇ。そりゃ大変だったね」
聡介のうんざりした顔を見て、深くは追求せずそう言ってくれる。
「あ、いつもの、ちょうだい」
常連よろしくそう注文する。彼が飲むのはいつもクリームソーダだ。頼まれる前から聡介はメロンシロップを手にしていた。
「たまには珈琲飲めよ。うちは一応、ハンドドリップが売りの喫茶店なんだから」
「喫茶店といえばクリームソーダでしょ!」
グラスを置くと、早速有馬はマドラースプーンでアイスクリームをつつき、崩していく。
「そうだ、これ。会社の近くで見つけたんだ。状態がよかったから三体買っちゃった。一つあげるよ」
リュックから有馬が取り出したのは、一体のフィギュアだ。
「じゃーん。ゲンコツ・ファイアー! 懐かしいでしょ」
炎を想わせる真紅のボディに黒と金のたすきと帯のような和風なデザイン。
ゲンコツ・ファイアーというのは、聡介たちが子供の頃に放映していた特撮ヒーロー番組だ。演歌歌手にして正義のヒーロー。変身してもしなくても拳で語る、穂村拳という男が主人公だ。
背中に背負った大太刀は放映中一度も抜かれることがなかったというのも、伝説のように今も語り継がれる要素の一つだろう。
わかりやすく熱血、暑苦しいことこの上ない主人公だったが、その明快なキャラクターは子供には受けたし、今も愛好する人は多い。
有馬は満足げに眺めたあと、拳を突き上げるポーズをつけてシュガーポットの横に立たせる。
「おい、そこに置くなよ」
「いいじゃん。もっと置こうよ。聡ちゃんだっていっぱい持ってたでしょ。お店に飾ろうよ。やっぱ個人経営のお店は特色を出したほうがいいと思うんだよねぇ」
「お前の趣味だろうが」
「聡ちゃんだって好きなくせにぃ」
「子どもの頃の話だろ」
呆れながらゲンコツ・ファイアーを持ち上げ、見るともなしに見る。
確かに、子どもの頃は大好きだった。アニメは絵だけど、特撮は実写だ。だからほんの小さいときには本当にどこかにいて悪者と戦っているんだと思っていた。
やがて作られたお話だと理解できる年齢になっても、熱が冷めることはなかった。そこで描かれている人の心は真実だと思えたから。
大人になり触れる機会も少なくなったが、この町に戻ってきてからは有馬の影響で古いディスクを観たり、ときには誘われてイベントに出かけたりもした。
今では、他の映画やテレビと同様に娯楽として楽しんでいる。
好きか嫌いかと言われれば、まぁ、好きだ。
だからって自分が変身したいだなんて、いい歳してそんな願望、持っているわけがない。
『聡介、お前はヒーローになる』
ならねーよ。
心の中で吐き捨てる。
いない。ヒーローなんて現実には。
拳を突き上げるポーズを取らされたゲンコツ・ファイヤーを見つめ、肩を竦める。
「聡ちゃん、好きなものは好きって言わないと! せっかく自営業なんだから、もっと好きにやったら? 僕は会社のデスクにいっぱい飾ってるよ!」
「言われなくても好きにやってる」
祖父が田舎に帰って隠居したいと言い出して、店を譲り受けたのは四年前。就職した会社が傾いて転職を余儀なくされていたときだった。
自営業に不安はあったが、どうせ会社勤めだからといって絶対の安定があるわけでもない。それを身をもって経験したばかりだった。
祖父から一通り仕事を教わり、食品衛生管理者の講習を受けて、店主として収まった。
店は聡介のやりやすいように変えていいと言われていた。珈琲の淹れ方も内装もメニューも、変更してかまわないと。
ただ一つの条件は、ブレイクという店名を変えないこと。それだけだった。
もちろん、聡介もそれを変える気はない。
幼い頃に家族でよく訪れた、思い出のおじいちゃんの店。できる限りそのまま残したい。
「そろそろ閉める? 何か食べ物買ってくるよ」
「ああ、頼む」
聡介の言葉を受け、有馬は軽く手を振り出かけていった。
金曜日の夜はたいてい、彼と過ごす。近所の居酒屋やカラオケ店に繰り出すか、家飲みしながら映画を観るのが定番だった。
どちらかに彼女ができたり結婚したりすればこの関係も変わるだろうが、今のところそんな気配はない。
聡介も、喫茶店経営では出会いに期待はできない。何せ、客の平均年齢は七十オーバーなのだから。
彼女は欲しいが積極的に動くほどの情熱もないというのが正直なところだ。一人で生きていくには今の売り上げでも問題ないが、結婚するとなるとまた話は別だ。
今はこの店を安定して経営していけるかどうか。それが目下一番の関心事だ。
入り口にCLOSEの札を出し、珈琲器具を洗浄し、レジを締めると、今日の仕事は終わりだ。
いつもの夜。いつもの週末。刺激はないが、これでいい。
一人頷き、聡介は店を閉め、二階へと上がった。
二階の住居は六畳の部屋が二間あり、一つは寝室、一つはリビングとして使っている。壁面は書棚なのだが、本の手前にはフィギュアがぎっしり並んでいる。
中には聡介自身の所有物もあるが、ほとんどが有馬が持ち込んだ物だ。
みんな誰かを、或いは世界を救ってきたヒーローだ。
幼い頃は、本当にいればいいのにと思っていた。そうしたら―――。
考えかけて、聡介は慌てて振り払う。
ヒーローはいない。ピンチのときに都合よく現れる正義の味方なんて、存在しない。
それが現実だ。
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