1−2
スルーし難い言葉に、聡介は思わず突っ込む。
「……美少女? 誰が」
「わたし」
自信に満ちた表情で自らを指差す。しかし彼女の肢体は少女と呼ぶには成熟しすぎている。豊かに盛り上がった胸元、くびれたウエストから腰にかけての曲線は、グラビアでもなかなかお目にかかれない完璧なバランスだ。
オーバーアクションで表情豊かなのは確かに少女っぽいかもしれないが、あくまで大人の女性が見せる一面程度のものだ。
「美少女は図々しすぎる。あんた、どう見たって成人済み、俺と同年代じゃないか?」
「えっ」
声をつまらせ、ヒトミは見る見る不安そうに顔を曇らせる。
「間違って……る?」
困り顔でマントを広げてみたり、自分のバストを持ち上げてみたりする。たゆんと肉が揺れて、聡介も困惑して咳払いをした。
まだ迷惑行為に及んだわけでもない。むしろ目の保養……いや、それはどうでもいい。
とにかく、もう少し丁寧に対応すべきだった。そう思い直し、努めて優しい声を作る。
「確かにあなたは美人です。だけど、少女ではない」
「何が違うの?」
不思議そうに呟き、彼女は首を傾げる。肩先でカールした髪が弾んだ。
もしかしてオタク文化を求めてやってきた外国人観光客なのか。それなら美少女の用法が違っていても仕方がない。やたら露出が多いのもうなずける。
それにしても、クールジャパンを求めているならもっと相応しい場所があるだろうに。
まだ首を傾げている女に、聡介は先ほどよりもゆっくり、はっきりと発音しながら言う。
「少女ではないが、あなたはお美しい。少女よりも美女や美人というほうが言葉として相応しいです」
「……何が違うの?」
「年齢です」
言ってみてしまったと後悔した。女性に年齢の話はタブーか。しかしヒトミは機嫌を損ねることなく、ほっとしたように微笑む。
「なんだぁ、だいたい合ってるってことでしょ。細かいなぁ、もう! 聡介、だからモテないんだよ!」」
ヒトミはまた聡介の肩をバンバンと叩く。
細かい、モテないと言われたことに多少いらっとしたが、なんとか引き攣った笑顔を作った。ヒトミは店内をぐるりと見渡したあと、カウンターに腰かける。
「ねぇ、ここは飲み物を提供するところよね? 何かちょうだい」
「困ります。まずは服を着てください」
きょとんとしたあと、ヒトミは自分の胸元を指差す。
「着ている」
「もう少し肌を隠していただかないと、他のお客様にご迷惑です」
「いないわ」
確かに。いや、今いなくても、いつ他の客がくるかわからない。しかし問答するのが面倒になり、聡介はメニュープレートを彼女の前に置く。
「……メニューをどうぞ」
「うーん、よくわかんないから、聡介が選んで」
頬杖をつき、人懐っこい表情で微笑みかけてくる。まともな格好でまともな言動をしていたら魅力的な女性なのに。
残念な気持ちになりながら、ふと気づく。
いつ、彼女は聡介の名を知ったのだ。さっき彼女は調査済みだと言った。もしかしてもっと調べられているのか。
いや……考えすぎだ。店内の目立つところに消防管理者の名前が掲げられている。アレを見ただけかもしれない。
用心することも必要だが、神経質になりすぎても客商売は成り立たない。
彼女は多分、変人ではあるが無害だろう。こんな仕事をしていたらいろんな客がくる。あしらい方も覚えなくては。
聡介は肩を竦め、彼女のために豆を挽き、珈琲を淹れた。ヒトミは聡介の一挙一動を物珍しそうに眺めている。
「どうぞ」
「ありがとう」
ヒトミは微笑み、砂糖もミルクも加えずに優雅な手つきでカップを持ち上げ、琥珀の液体を口に運んだ。しかし。
「に……っが!」
一口含んだ途端、彼女はそれをカップに吐き戻した。それからおしぼりで唇をごしごし拭き、涙目になっている。
「何だ、これはっ! 何を飲ませたっ? 毒なのかっ?」
「ただの珈琲ですよ……」
珈琲が苦手なら、ちゃんとメニューから別のもの頼めよ……。
そう思いながら、聡介は無言でカップを下げ、代わりにミルクたっぷりのカフェオレを淹れる。ついでに最初から砂糖を入れて甘くしてやった。常連が孫を連れてきたときによく作ってやるやつだ。
「毒なんか入れませんよ。これなら飲めますか」
「そうだよな。聡介がそんなことするはずない」
なんだその根拠のない信頼は……。
ヒトミはカップを覗き込み、鼻をひくひくさせる。さっきのがよほど苦かったのだろう、用心深く口をつけた。
「あれ? これはおいしい……」
大事そうにカップを両手で持ち、揺れる液体を見つめる。
本気なんだろうか。本当に珈琲もカフェオレも知らないのか。いくら外国人でもそれはないだろう。
それとも、これも彼女の『設定』なのだろうか。女優の卵か何かで、演技の練習中とか?
ゆっくりと、彼女は甘いカフェオレを飲み干した。しばらく、空になったカップを眺めながら、彼女は思考に沈んでいた。
口を開かなければ、本当に美しい人だった。普通の服装をしていれば、きっともっと魅力的だろう。
こんないかれた格好で町中を歩くような女はごめんだが……。そう思いつつも、つい視線は露わになった胸の谷間に釘づけになる。
前の彼女と別れてどれくらいだろう。久しく女性の肌には触れていない。
柔らかそうだな……。顔を埋めたらさぞかし心地いいに違いない。
「聡介」
「えっ? はい、何か」
不意に顔を上げたヒトミは、まっすぐに聡介を見つめてきた。
胸ばかり見ていたのがバレたのかと焦った。
ヒトミは真剣な表情で立ち上がり、カウンターに手を突いて身を乗り出す。顔が近づいて、さらに焦った。
「なっ、なんですか……」
「聡介、お前はヒーローになる」
なんだ……妄言の続きか。胸を見ていたから怒ったんじゃないのか。焦って損した。
「残念ですが見込み違いですよ。わたしはただの喫茶店のマスターです。平穏に、平凡に暮らしていきたいだけの凡庸な男です」
嘘じゃない。穏やかに生きていくのは聡介の信念と言ってもいい。
人に話すと夢がないと笑われる。男ならもっと大きな目標を持てと叱咤するおっさんもいる。
勝手に笑っていればいい。何事もない日常にこそ価値があるのだと気づかない愚かな連中は。
「わたしにはヒーローなんて、とても務まりません」
とてもとても、と芝居がかった声で言い、引き攣った笑みを見せる。とにかく諦めてくれ、帰ってくれと願いながら。
だが、ヒトミは首を横に振り、得意げに自分の目を指差す。
「なるよ。わたしにはわかる。わたしは、とても目がいいんだから」
見つめられると、微かに緑がかった澄んだ瞳に吸い込まれそうだった。
思わず、あなたの言う通りですと頷いてしまいそうになる。
「ごちそうさま。次はきっと、あなたのほうから変身したいって言うはずよ」
カウンターに五〇〇円玉を三枚置くと、ヒトミは振り返りもせずに扉を出て行った。お帰りいただくのにもっと苦戦するかと思ったが拍子抜けだ。
「待ってください、おつり……」
硬貨を手にしてはたと気づく。五百円玉だと思ったが、違う。大きさや厚みは似ているが、蛇を抽象化したような文様と、見たこともない文字が刻まれている。
「……どこの国の硬貨だ?」
それともおもちゃか。それなら食い逃げじゃないか。
追いかけようと思ったが、やめた。これ以上関わり合いになりたくない。
ため息を押し殺し、硬貨をレジには入れずにポケットにつっこんだ。接客業をやっていればたまには変な客にも遭遇するだろう。すぐに確認しなかった自分も悪い。そう納得することにした。
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