第二十五話 薄ぼんやりとした記憶の先


「……」

「……」


 何でここに、と聞く必要はない。

 だって、互いにどこで何をしていようが、自由なのだから。


「……何かあったのか?」

「えっ」

「何となく、だが」


 たった数回会った人にすら分かってしまうほどに、今の私は分かりやすいってことか。


「……まあ、そうだね。でも、君に言うほどじゃない」


 だって、何となく彼に言うのは、嫌な気がしたのだ。

 『研究所』の奴らに、こちらの事情が筒抜けになるとか言う問題以前に、そう思ってしまったというのもあるが。


「……また、そうやって抱え込むんだな」

「え……?」

以前まえも、『研究所あそこ』に居るときもそうだった・・・・・。どんなにくだらないことでも、あんたは何も話そうとせずに一人で抱え込んでは悩んでいた」

「……」


 ――ああ、やっぱり彼とは、『研究所』で知り合いだったんだ。

 そうでなければ、彼がそんなことを言うはずはないから。


「確かに、それは否定しにくいことだけど、『研究所あそこ』から出た今の私の問題を、やっぱり君には話せない」

「……」

「けどまあ、簡単になら言えるよ。かなり派手に喧嘩した」

「喧嘩?」


 うん、と頷く。


「殴ったり、とかは無いんだけどね」

「あったら困るだろ」


 女の身なんだから、と小さく付け加えられた言葉に、思わず苦笑してしまう。


「そうだね。盛大に口喧嘩してきちゃったから、明日から顔は合わせにくいかな」

「それで」

「ん?」


 喧嘩の相手か内容を聞かれるのかと思っていたら、まさか別の問題を落とされるとは。


「――さっきから頭を押さえているのは、自覚しているのか?」

「え……」


 そこで、自分が無意識に頭を押さえているのを理解する。


「ああ……まあ、別に頭を打ったとかは無いから」


 さっきから、頭に……記憶の一部に目に見えてわかるほどのもやが掛かったような感覚がある。

 そして、それは彼が『研究所』時代の話をした時からだ。


「まさか」


 嬉しいような悲しいような、歓喜と絶望が混ざったような。そんな感情が込められた眼をしながら、彼は一つの可能性を口にする。


「記憶が、戻ったのか?」


 ――駄目だ。この子にだけは・・・・・・・、こんな顔をさせては。

 だって、私は……『私』は……


「私なら、大丈夫だよ? リューくん・・・・・


 って、あ、れ……?

 何か、おかしい。

 そもそも、私は彼の名前を知らないはず・・・・・・――いや、本当は知っているのか?


「あ、あれ? 何で、今……それに……あれ? そういえば、さっきまで……」


 『自分』が何なのか分からない。

 さっきまでどこにいたのか、分からない。

 さっきまで何を話していたのか、分からない。

 何もかもが、今どこにいて、どこに向かっているのか、分からない――


「っ、」


 腕を引かれ、ふわりと、何かに抱き締められた気がした。

 そこは暖かくて、とても安心する場所。


「大丈夫。大丈夫だから。誰も何もしないから。だから、今は落ち着いて」


 聞き覚えのある声が降ってくる。


「――姉さん」


 ああ、そうだ。

 何で忘れていたんだろう。

 『彼』は――『私』の『実の弟』だ。


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