第六話 『無能』の少女は戸惑う
一体どれだけの人が、一日で私の情報を得られるのだろうか。
好きなものや嫌いなものといった私自身に聞けば分かるものから、高校に入るまでどのように過ごしていたのかといったような、私としては知ってほしくないことまで、様々あるわけなのだが。
「マーリーリ~ン」
背後に強烈な痛みが襲う。
とっさに踏ん張ったから良かったものを、誰が突っ込んできたのかなんて、私への呼び方で分かる。
「……
「ごめんごめん。でも、マリリン。気付いてなかったみたいだから」
「……」
昨日と何一つ変わらない笑みを向けてくる菜々美に、私はどう判断するべきか分からず、曖昧な笑みを返す。
「あのさ、菜々美……」
「ねぇ、マリリン」
私が何か言おうとすれば、遮られる。
「私はマリリンがどんな人でも気にしないよ。私の目で見たマリリンこそが真実だし、あらかじめ情報を掴んでいたか、物凄い情報収集能力が無いと、一日でそんなに集めることは出来ないんだしさ」
だから、笑顔で「気にするな」と言ってくる菜々美に、直前まで彼女が離れていくんじゃないかと考えていた私が馬鹿馬鹿しく思える。
「それに、私の友達に手を出した奴こそ調べあげないとねぇ……」
ふふふ、と黒い笑みを浮かべる菜々美に、若干引いたのは言うまでもない。
「ところで、
「少し待ってみたんだけど、来なかったからね。それに『私のせいで遅刻されても困るから、先に行ってて』って前に言われたし」
「そっか」
菜々美が言うなら、そうなのだろう。
そのまま、雑談をしながら靴を履き替えて、教室に向かう。
「大丈夫。私は味方だから」
菜々美がこっそり言ってくれるが、多分そこまで敵対はされてない気がする。
教室に入ってみれば、みんなの視線がこちらに集まるのだが、何やら困惑しているような感じがする。
「
いきなり腕を引かれたので、素直についていってみれば、そこにあったのは――
「なぁっ!?」
「……」
私に付いてきた菜々美がぎょっとし、私は私で「うわー、机への落書きとか懐かしい」と思わず、思ってしまった。
「ちょっと! こんなことしたの、誰!?」
菜々美が周囲に問い掛けるが、知らないだの自分じゃないだの言う人がほとんどである。
そりゃ、この中に犯人が居たとしても、認めたくないよねー。
「とりあえず、消さないと面倒くさそうだから、退いてもらえる?」
大体、誰がやったのかなんて分かるんだけど、とりあえず今は消してしまおう。
「奏が来るまで待った方が良くない? そうすれば、犯人も分かるだろうし」
確かに、菜々美の言う通り、奏の能力なら犯人も分かるだろうが、彼女も彼女でこういうことが許せないタイプみたいだから、奏が来る前に消しておかないと。
「何の騒ぎ?」
噂をすれば影……ご本人の登場である。
「奏」
「……こんなことしたの、誰? 誰か見てないの?」
こっちに近づいてきて、状況を把握したらしい彼女は、周囲を見回す。
だが、誰も見ていないらしい。
「つか、最初に来た奴じゃないのか?」
「その逆で、昨日一番最後まで残っていた奴だったりして」
何やら犯人予想が始まってしまった。
「
「それ聞いちゃうんだ。この学年以外からは嫌われてるんだけど」
つまり、先輩後輩が一番の犯人有力候補になるのだが。
「昨日の件もあるからね」
この学年も、敵に回したようなものだから、さらに増えたことだろう。
それでも、このクラスの人たちはまだ、こうなっても心配してくれるほどには味方らしい。
「朱里っちが望むなら、“
「いや、今回は良いかな。次やられたときにお願い」
とりあえず、落書きされた証拠として、携帯で写真を撮っておこう。
「あんまり動じてないね」
「
クラスメイトの子からの疑問に、そう返しておく。
「え……」
「その時と比べるとねぇ」
まだあの時の方が酷かった訳だけど、あの時ほど『万能』と言わせた『無』の
「そういうわけで、この程度じゃ、そんなにダメージは無いんだよ。私はね」
そう言いながら、机の落書きを異能で一掃する。
まあ問題はこれからだろうけど、対策なんて経験則から取ることが可能だし。
ついでだから、椅子の方も軽く確認しておく。……異常は無し、か。
「何なら二日ぐらい、試しに結界でも張っておこうか? さすがに一度に全部の荷物を持ち帰るのって、大変でしょ?」
「んー、そうだなぁ」
基本的に置き勉などしない派なので、勉強道具等は持ち帰ってはいるのだが、そうなるとゴミとか入れられそうだし……
「じゃあ、二日だけ。お願いしても良いかな?」
「分かったよ」
さて、犯人さんはどう出てくるのかね。
その後のことだが、体育みたいな教室から全員いなくなる様な授業もなく、特に問題もなく終わった。
「さすがに今日は、教室内に誰か居たから、何もしてこなかったね」
「まあ、それで何かしてきたらしてきたで、
「この後、どうするの?」
「結界も張ってもらったし、少し様子見てから、帰るつもり」
まあ、そんなときに犯人さんが来るとは思えないけど。
「そっか」
菜々美たちは帰るのか、「また明日ねー」と言って、昇降口の方へと向かっていった。
「さてと」
犯人がそうすぐに来るとも思えないから、どこで時間を潰そうか。
近すぎず、遠すぎず、それなりに良い場所……
「
とりあえず、被害拡大はしたくないので、荷物を持って移動する。
中庭の方にも時計はあるから、最終下校時刻まで居るようなことにはならないだろう。どうせ、どの時間に帰っても一人なのには変わりないし。
「……」
中庭に設置された椅子の一つに座る。
――嫌がらせするなら、分かりやすく私に直接攻撃してくればいいのに。
いや、机に落書きするという、直接攻撃はしたと考えれば良いのか。物理攻撃ではなく、間接的ではあるが。
「ああもう、仮にも学校の備品なんだから、マジ面倒――」
「
溜め息混じりの言葉が遮られる。
「……」
まさか。いや、まさか。
だって、ずっと距離があったのに、向こうから呼んでくるとは思わないじゃないか。
「ちょっと待てって!」
思わず立ち上がって、この場から去ろうとすれば、呼び止められる。
「……なに」
「……」
どうやら、呼び止めたのは良いが、内容を考えていなかったらしい。
「……お前、
「それに近いものはされたよ」
まさか、そこまで広がっているとは思わなかった。これだから、有名人の相手をするのは大変なのだ。
「そう、か。もう、返事はしたのか?」
「断った。でも――そんなこと、
こうして会話したのだって、何年ぶりだと思っているのだ。こっちが挨拶したって、その返事すら無かったくせに。
「まさか、久しぶりに話す内容が、この内容だとは思わなかったよ」
時計に目を向ければ、ちょうど良い時間になっていた。
「朱里」
「次に挨拶した時には、ちゃんと返してよ?」
何か言いたそうな顔をしていた幼馴染を無視して、私はその場を後にする。
教室に向かっていれば、メールが届く。
「今度はこっちか」
面倒事とは、何故こんなにも重なるのだろうか。
「それで、貴女は私の机に何をしようとしていたのかな?」
「――っつ!?」
手に持っていたペンから、確実に何かしようとしていたのは分かるのだが、現行犯で押さえようにも机に落書きはしていないのだから、それは不可能だ。
さて、どうするべきか。
「……たが」
「うん?」
「貴女が、
あの時、ちゃんと説明されていたはずなのに、彼女の耳には都合よく聞こえていたらしい。
あと、こっちが彼女の本性か。
「奪ってはないよ。それに、私は何もしていないし、来たのは向こうからだし」
「そんなの嘘! 信じない!」
「だったら、今すぐ電話して、本人に確認してみれば良い」
その方が何よりも早いはずだ。
でも、彼女は顔を歪ませる。もし、彼に連絡して、この件だけではなく、今しようとしていたことが公になったりした場合、彼女は確実に切り捨てられるだろう。
「そもそも、私は彼の連絡先すら知らないからね?」
彼と会ってから二日過ぎたが、連絡先の交換はしていない。
だからもし、男性陣で連絡先があるとすれば、大地とバイト先の面々の分くらいだ。
「それで、どうするの?」
「っ、これで終わったと思わないことね!」
そう問いかければ、彼女は教室から飛び出していった。
もう少し罵倒とかされるかと思っていたんだけど、きっと私に関する調査不足もあったのだろう。調べ終えていれば、『化け物』という単語が一度は出てきただろうから。
「というか、私に見られておいて、まだやる気なのか」
諦めが悪いと言えば良いのか、何と言えば良いのか。
「……」
それにしても、先程から気配を感じるのだが、一体誰が居るのやら。
「もう、出てきたら?」
そう促して、少しばかり待ってみたら、気まずそうに
「
「……黒城は驚かないんだ」
「だって、神出鬼没のイメージがあるし」
「……」
一昨日もそうだが、それ以前から「何で居るの?」って思う時や場所に居ることがあるせいで、ストーカーかと疑ったこともある程だ。
「それで、何で居たの?」
「いや、犯人捕まえられればいいかなーって」
「黒城君は?」
「図書館に本を返しに行って、荷物取りに来ただけで、他意は無いが?」
それならそれで、このクラスの人間なんだから、どこかに隠れずに、堂々とその場に居れば良かったのに。
「でも、犯人が彼女とは思わなかったよ。けど、逃がしちゃつて良かったの?」
「あのままじゃ、現行犯で捕まえるにはいろいろと弱いから。書いてる所ぐらいじゃないと、逃げられる可能性の方が大きいし」
だから、逃がしたのだ。
次こそ確実に捕まえるために。
「……相変わらず、頭が回るよな」
「何か言った?」
「何でもない」
何か言われたかと思ったんだけど、気のせいだったらしい。
「それじゃ、私は帰るから。また明日」
「ああ、うん……」
「ああ」
まあ、黒城君の方は帰ろうとしていたみたいだから、昇降口の方で会いそうだけど。
で。
「万里」
呼ばれたので振り返れば、やっぱりというか、黒城君が居た。
うん、まあ、否が応でも、ここで鉢合わせはしただろうからね。
「とりあえず、これを渡しておく。どうするのかは、お前が決めろ」
渡された紙を開いてみれば、そこにはアドレスが書かれていた。
ただ、黒城君はそれだけ言うと、さっさと靴を履き替えて、行ってしまった。
「……これ、私にどうしろと」
あれか? 登録しとけってことか?
まあ、他人の個人情報を、そのまま捨てるわけにもいかないから、登録したらしたで、焼却かシュレッダー処分しなきゃならない。
――けれど、この事は菜々美や奏には黙っておこう。
テンションが上がった時のあの二人ほど、面倒なものは無いのだから。
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