第16話
「ああ、お母さん………うん、わかってる。ご飯食べてるよ、そっちは?………うん………うん、そうだね………でも顔出す暇はないんだよ………ライブ?来なくていいよ、大変でしょ?………うん、また電話するから。ごめんね、切るよ」
事務所の外でエースが車を回して来るのを待っている絶妙なタイミング。
そんな瞬間にアニメの母から電話が来た。
アニメの隣ではクイーンが大荷物を持って立っている。
クイーンはアニメとは間逆の見た目で、スレンダーで背が高く、短めのボブを金と黒のツートンカラーに染めている。そしてやっぱりパンクのように目の周りがまっ黒だ。「かっこいい」というのが第一印象だった。
「お母さん?」
クイーンの言葉にアニメは頷く。
「今、父さんの仕事の都合で長崎にいるんだ」
アニメがはにかむと「じゃあ福岡公演来たがってるんじゃないの?招待すればいいのに」とクイーンはきょとんとする。
「だって恥ずかしいじゃん、ゾンビでサイボーグの女の子の後ろで歌ってますなんて」と笑いかけるとクイーンもそうだね、と苦笑した。
本当はもうすぐ誕生日なのだ。
桜の満開の頃に生まれた。
アニメの本名は、春にちなんだ名前だ。
会えるなら会いたい。だけど会ったらなんだか色んな決意が鈍ってしまいそうで、そのまま東京に戻りたくなくなるかもしれない。そんな気がして躊躇している。
車の窓の外、桜の花びらが風に舞っている。
ガソリンが流石に値上がりしてきたなあ、とエースが愚痴る。
まあ事務所が金払ってくれるからいいですけどね、と付け加えたが、それは要するに世の中が少し不穏になってきたということだ。車を使う人間に取って、ガソリンとはわかりやすいバロメーターだ。
果たして我々は生きて東京に戻れるのか、そもそもこんな時に呑気にツアーなどやっていていいのか。
そういう漫然とした不安がありながら、誰もそれを口にしない。
パンクとジャズさんだけが運転手のエースを気遣うように取りとめのない事を延々と話しかけ続けて居る。
このバンドが動き出した当初、パンクの連れてきたエースはひょろひょろの色白の病弱そうな少年にしか見えなかった。アニメのソフトな平手打ちでさえ倒れてしまうのではないか、というくらいのひょろひょろだった。
実際仕事はきちんとしているのだが何故かイメージとしてはクイーンの尻に敷かれている。物販席にいる彼らを見て誰もが最初はそう思うだろう。
そんな彼が普通車だけでなくマイクロバスを運転出来る事に誰もが驚愕した。というか車と名がつくものなら大体運転出来る。しかも運転が非常にうまいのであった。
話を聞けば「前に仕事で大型の免許必要だったんで」とさらりと言われ、更に驚愕した。挙句「フォークリフトも運転出来ますよ」と淡々と続ける。
恐らくそこにいたパンク以外の全員がエースの才能に目を見張り、心の中でこっそりと尊敬した。
過去の積み重ねとは誰にも簡単にはわからない。
サービスエリアの喫煙所でパンクは座り込んでいた。
何故女子とはトイレが長いのか。
そして何故買い物が長いのか。
悩んで悩んで結局最初に食べたいと言った大福を頬張りながらアニメとクイーンがにこやかに外に出てきた。
喫煙所にいた男性陣がわらわらとそれに続いて車に戻って行く。
パンクは一番ゆっくりと立ち上がり皆の後ろを歩いた。
空は曇っていて今にも雨が降り出しそうで気が沈む。
ある意味当然なことなのかもしれないが、大阪だけはメンバー全員過去にやっていたそれぞれのバンドで何度か訪れて居た。
下手に知識がある故に問題となるのが「どこの飯が一番美味いか」なのかもしれない、と思う。
じゃんけんでラーメン屋を決める事となったが、勝ったのはメタルであった。彼は豚骨を好む。
メタルがじゃんけんに勝ったのは幼稚園以来だと言うが誰も信じない。でもオタクだけは「メタルならありえない事はない」と心の中で納得した。
「ていうかスリーにもし不幸があるとしたら折角ツアーに出ても美味いもんが食えないって事だよな、そこには激しく同情するわ。点滴打ちながら寝てるだけって所にな」
メタルはひとりでビールを流し込んだからか饒舌である。そしてラーメンのスープを全て飲み干したのはやはりメタルだけであった。
オシャレは少しだけ飲んで「気持ち悪い」と小さく呟いた。
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