皇歴1022年

 西国をはじめとする列強諸国の介入により大朱崇国たいしゅそうこくが崩壊してからという物、大陸は軍閥の名を借りた匪賊が割拠し混沌とした暗黒時代が続いた。その中、陳間正という強力な指導者を得た牧民党は崇国大陸統一に向けて勢力拡大へ乗り出す。

 

 同年九月

 南下する牧民党軍への対処に迫られ、帝國は鉄路をはじめとする大陸内で築き上げた排他的権益を保護するため大陸南部、俱賢州に陸軍4個師団を派遣。

 この現天球に於ける国際法規、陸戦に関する戦時条約コンベンション・オブ・ウォーの違反行為――非正規である便衣兵の遊撃作戦ゲリラにより疎開させた大陸内の邦人が虐殺されたため、帝國としては大義名分は十分である。

 一方では自由主義の拡大のため、崇国大陸という市場を獲得すべく画策する西国及びアレクサンドラ連合の介入により、次第に戦局は泥沼の様相を呈していた。


 皇歴1023年

 攘夷の旗色が高まる世論の後ろ盾を得た帝國与党は第17代帝國宰相に中条中之を擁立して政権を継続させた。中条内閣は西国の採った牧民党支援を帝國に対する明確な戦争行為と断じて西国に対して宣戦布告。

 俱賢州の会戦を以て大陸を主戦場とした一大決戦の幕が上がる。


【第八師団の編成】

 帝國陸軍第八師団<竜紋>(定数:人員14,000名)

 ┣作戦司令本部(師団長:久遠寺 正治中将)

 ┣第12歩兵連隊

 ┃┗第1~3大隊

 ┣第19歩兵連隊

 ┃┗第1~3大隊

 ┣第25歩兵連隊 

 ┃┗第1~3大隊

 ┣飛竜第1連隊(定数:人員1,000名/飛竜約400頭 

 ┃┃      連隊長:君浦 慎太郎大佐)

 ┃┣偵察飛竜中隊

 ┃┣対地攻撃飛竜中隊

 ┃┣飛竜落下傘猟兵部隊(部隊長:二之部 康夫少佐) 

 ┃┃ ┣工作小隊(4個分隊基幹)

 ┃┃ ┗遊撃小隊(4個分隊基幹)    

 ┃┗飛竜輜重中隊

 ┣砲兵第1連隊  

 ┗その他後方諸隊     

      

 ――1

 強い日差しの指す夏の事である。

「あほ!」

 女は甲高いが不思議と女性的癇癪ヒステリックを感じさせない声を挙げながら、そのまま男の頬に平手打ちをした。腰の入った重い一撃である。女の非力さなど微塵も感じさせないためこの無用の仕打ちに陰湿さは無い。


「阿呆は君だ。これは私が決めたことだ」

 この渾身の一撃も男には何ら痛痒も与えない。打たれた頬は紅潮したが直列不動の姿勢を崩さずにいる。ふてぶてしい態度も一向に改める様子もない。


「何がアンタにそこまでさせたんや」女は露骨に大きな溜息をついて続けた。「今、流行りの尊王ちうやつか」


 なにがや、なにが君や。その上、おのこのくせして自分のこと私やと言いおる。久う会わんうちに何を都人みやこびとみとうな気取った喋り方になっとんの。日下部の癖して! ああ、ほんま気色悪いことこの上ないわ。


 この女は昂る激情は胸の奥にある棚にしまい込む。ふと忘れかけた頃に取り出すと、その場の感情も時を掛けて醸成されて永遠の思い出となる。彼女は歳に見合わずそんな老婆のような愉しみを覚えていた。だから内なる思いは決して口に出すことはない。彼女は内面では商人気質あきんどかたぎ鹿目江かめのえ人らしからぬ遠慮しがちな性格であった。

 

 だが、これはとても身勝手な、この若き乙女の自己保身エゴイズムといっていい。当然、本人にその自覚はない。

 自分の弱い心を守るために他者を想う、ひどく利己的に用いられた慈愛。


 要するに彼女は日下部に自分の心情を汲んで欲しいのだ。だが、昔なじみの友としてにわかに付き合いが長いため、この真正の朴念仁に対してそれを求めることは犬に芸を仕込む以上の根気が必要であろうことも十分に承知している。

 

 女の気持ちとは移ろいやすいものであるから彼女もよく忍耐した方である。幼少の頃から思慕の念を募らせ、一途に同じ相手を思い続けたのだから。


「ウチはアンタのこと分からんようなってきたんや」


 幼少の頃より享楽主義者であった日下部があらゆる理不尽が輻輳する軍隊へ入ったのだから。それも誰に強制された訳でもなく己の意思を以ってのこと。


「尊王とか攘毛唐じょうけとうも結構や。やけどウチには政は分からへん。だから、お偉いさんのやなくて、アンタの言葉で語って欲しいんや」


 そんなことを言いつつも、彼女は昨今の風潮に流されるような真似をしない日下部の頑固さを知っている。だからこそ日下部の真意は何処にあるのか測りかねているのだ。


「私の言葉か」

 日下部がそう漏らすと楊子は「せや、今度こそ逃げは許さへん」と真摯に訴えかける。

 耳を紅くして必死になる揚子は美しかった。

 完璧な回答を用意しろとのことか。

 無理な注文である、この新任少尉にとっては軍の理不尽な罰則以上の。


「尊王も征夷も違う。私はそんな立派な人間じゃない」


「ならアンタは何のために戦っとんの」


「俺はただ」

 日下部は躊躇った。この先を言えば彼女は激すること間違いないからだ。

「死に場所が欲しいんだ」


「はぁ」彼女は頓狂な声を出して呆れた。「ほんまに阿保になってもうたか。アンタの手前勝手は今に始まったことやない。けど」


「揚子、それは違うよ。命なんてものは死に至る病でしかない。死とはあらゆる束縛から解放される積極的自由であるべきだ」


 若しくは日下部の下手な帝國標準語に辟易していたのかもしれない。幼年学校で徹底的に訛りを矯正させられた彼としてはこれが自然体である。


 尤も、その自然体の日下部が楊子の癇に障るのだが。


 日下部にこうなった女を宥める手練手管など持ち合わせていない。彼は活動写真の中、男優がそっと微笑みながら見せるような都会的な優しさとは何処までも無縁な男であるからだ。


 それに光陰を経て変わったのは日下部だけではない。


 この幼馴染、楊子も同様である。故郷くにを出て以来、久方ぶりに顔を覗かせた楊子は芋臭いながらも色香を漂わせている。すると日下部の方はどうしても楊子を異性として認めざるを得ない。

 その楊子の貌は都人好みの無機的で均質化された女とは趣きが異なる。日下部が如し西国被れの好事家風に例えるなら、それは緻密に計算された厚塗りで仕上げる印象派の油彩画家と単調な色彩で纏めた淡い水彩画の違いに似ている。


 いっそ、このまま情に任せて押し倒したろか。

 そんな魔が日下部を差す。

 それは衷情を以って向き合うよりずっと楽であろう。それに揚子の優しさをよく知っている。日下部が彼女の女としての尊厳を冒してもきっと、揚子は赦してくれるだろう。

 だけどそれは公平じゃない。


 ………………

 ………………


 現のに見た白昼夢。幸いなことにそれは走馬燈ではない。依然として行軍のみが続けられ戦闘行為は未だ行われていない。遠くで砲音が鳴り響くのみである。


 それにしたって、なぜ今にしてあんな夢を見たのか。

 日下部は頭から不要な考えを追い出す。戦場ここでは雑念は死を招く。彼は死に場所を求めてさまよう男も自分の終幕には何か意義が欲しい。

 名誉の戦死なんて柄じゃないか犬死だけはもっと御免だ。

 揚子には愛想を尽かされたが、手前の部下達とは比較的良好な関係を保っている。

 この新任少尉は自他ともに認める凡骨ではある。しかし凡であって愚ではない。この違いは大きい。それに軍隊というのは機械に似た面を持つため、それを構成する部品というのは均質でる方が都合が良い。無能など論外だが下手に頭が切れすぎるのも厄介だろう。機械の歯車が噛み合わなくなるからだ。

 古参兵たちは自らの思考を右のように言語化しているのかは兎も角として、形而下における己の実測的な経験から、日下部は功を積めば良き野戦将校となるのではと期待している。

 この戦いに生き延びることができたのなら、という前提が置かれるが。


 ――2

 夜通しで歩き続けたのだから、仏頂面を絶やさない日下部もその顔に疲れの色を隠しきれない。

 それでも只々、進み続ける。付随する分隊も同じだ。眠気を紛らわすため気付け薬として煙草を燻らす者が殆どだ。その紫煙は虫除けを兼ねているため、煙草とは前線の兵にとっては単なる嗜好品ではない。掛け替えのない糧秣である。


「隊長も如何ですか」

 分隊長たる少尉を補佐する楠崎曹長は上官に煙草を勧めた。

「いいや、遠慮しよう」

 日下部は決してを吸わない。当時、軍内の非喫煙者は大変珍しい存在だ。

「君の見立てでは目的地まで何刻ほどだ」

 分隊に与えられた任は橋を落として敵左翼の行動を遅延させた後に本隊と合流することであった。

「兵の疲労を考慮に入れてあと二刻ほどかと」

 時刻を見る。後、一刻もしない内に夜が明けるだろう。

「ならば、休む間はない」

 飛竜に乗っていたとき、敵側の陣地に観測気球が見えた。そうなると敵は落下傘部隊の存在に気付いているものと考えるのが妥当だ。戦闘を避けるためには行軍を続けるしかない。後は諜報部が達した敵の事前情報を信じるしかない。


 ああ、天祐を他人に握られるのは何とも気分が悪い。


「諸君、地獄へ向かって歩け」

応、了解サー、イエス

 隊員たちは溌溂とした声を上げて上官に応答した。落下傘兵は全員志願兵のみで構成されているため士気は総じて高い。そんな日下部も兵たちの気概に報いるべく、率先しながら兵の上に立つもの矜持として肩を聳やかして歩く。これは単なる見栄ではない。将校としての責務の内に含まれてる。


 ………………

 ………………


竜乗り共ライダーズが迫ってくる」観測気球にて双眼鏡で帝國の飛竜兵の接近を認めた斥侯は信号を上げて伝令した。

畜生ファッキン、帝國の猿め」

 この西国人が帝國に向けた感情はただ純粋な怒りのみ。憎悪など存在しようもない。主人が奴隷に牙を向けられても相手を憎んだりはしない、ただ相手を罰するのみ。そういった負の感情を出すのは奴隷の方である。

 それもそのはず西国は3世紀半に渡って7つの海の覇権国家として君臨してきた。故に西国人は蛮族に対する絶対的な優性を誇ると疑わない。そんな西国がこの現天球世界に於いて人道主義ヒューマニズム発祥の地である。これは裏を返せば彼らにとって蛮族とは人間ではないことを指すのだから。

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