誰もが持っているもの
トーマスと場所を変わったところで、クロックは言う。
「今から科学的ではないことを話しますが、よいですか?」
クロックは懐から自分で作った懐中時計を取り出し、トーマスが頷くのを確認して蓋を開く。
それは一見普通の懐中時計だったが、トーマスのような人間が見れば、すぐにその値打ちがわかった。
クロックはゆっくりとした口調で語る。
「時間ってなんだと思います?」
「さあ、私にとっては時計の針が刻むものという感覚だが……」
それが一般的な感覚だ、とクロックは頷いた。
「でも、それって昔の人が便宜上決めたもんなんですよ。一日が二十四時間で、一時間が六十分で、一分が六十秒で……ってな具合で。でも、時間って時計が刻むものじゃなくて、概念としては今も俺たちが存在し続けているってことなんですよ」
「存在し続けていること?」
クロックは大きく頷いた。
「まあこれは非科学的というよりも形而上学の話ですがね。でも、ここからはちょっとオカルトですよ」
そう前置きをして彼は続けた。
「俺たちが存在し続けるってことは、俺たちは個々で独自の時間を持ってるってことですよね。言い換えると、それぞれ個別に存在してるってわけです」
「そうだ。だが、それは言うまでもない当たり前のことだろう」
トーマスは一体何を言い出すんだ、と顔をしかめた。しかし、クロックはなおも続ける。
「人はね、限られた時間しか存在できないんですよ。それは人それぞれで、一年だけの人もいれば、十年の人、五十年の人もいれば、百年の人もいる」
「寿命、ということかね?」
「ええ。簡単に言えば寿命です。でも、寿命ってなんだと思います? 心臓が動いている間は生きている? じゃあ、今のアンジェラは?」
「少なくとも生きてはいる。だが……」
「あえて俺の口から言いましょう。生きてはいます。でも、未来に向かってはいない」
トーマスは目を閉じて微かに頷いた。
クロックはアンジェラの手を取って言う。
「でもね、みんな勘違いしている。人は未来に向かって生きているわけじゃない。時計なんてものがあるから、未来は必ず訪れて、現在は過去になり、常にはるか後方に流れて行くような……そんな錯覚をしているんですよ。まあ、寿命なんてもんは所詮肉体があるかないかの境目なんですが」
「よく、意味がわからないが……」
「理屈はまあどうでもいいんです。とりあえず最後まで聞いてください。いいですか? 未来は俺たちが進んでいく先にあるものじゃない。そもそも未来なんてものはこの世界のどこにも存在しないんですよ。この世界にあるのは、現在と過去だけなんですよ」
「現在と過去だけ……」
クロックはアンジェラの脈を確認し、息をしていることを確認して、小さく息をつく。
「過去は決して過ぎ去らない。じゃあ、どこに行ったのか。今もここにあるじゃないですか。俺の過去は俺が持っていて、トーマスさんの過去はトーマスさんが持っている」
「話だけを聞くと、なんだかロマンチストに聞こえてくるものだが」
「ところが、これが大事な話でして……今のアンジェラは過去を持っていない。正確には自分で捨てようとしたんでしょう」
「過去を捨てる? 一体どういうことだい?」
クロックは深呼吸を一つして答える。
「魂が存在し続けることを拒否したんですよ」
「それは……」
トーマスは息を飲んだ。
クロックの言い方は回りくどかったが、意味することはすぐにわかった。
「つまり、アンジェラは自殺したと、そういうことかね」
「いいえ、違います」
「だが、君は今そういう意味で言ったのではなかったのか?」
「俺も難しい話は苦手なんで、簡単な話になっちゃうんですがねえ」
クロックは苦笑いを浮かべて言った。
「人間ってのは不思議なものでしてね。魂ってのは、肉体に過去をつなぎ止めるだけの鎖に過ぎないんです。人を人たらしめているものって、実は魂なんかじゃないんですよ」
「……どういう意味だね」
「それを今から一緒に見に行きましょうか」
「は……」
クロックはトーマスに手を差し伸べた。
「知りたくはないですか? アンジェラがなぜ寝たきりになったのか」
「それは、知りたい。知りたいが……」
顔を背けるトーマスにクロックは微笑みつつ言った。
「愛する娘の時間を取り戻すためです」
恐れるな、と暗に言われて、トーマスは唇を噛んだ。
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