高橋 健斗

「御免なさいね、折角心配して来て下さったのに」


 自殺した高橋未央の弟、高橋健斗に会いに来た私とユニコ……一角は、その母親にインターホン越しに謝絶された。


「いえ。心中お察し致します。御心労の所をお騒がせして申し訳ありませんでした」


 あたしはそう謝罪した。インターホンは切れたようだった。


「残念だったわね」

「いや。最初から高橋健斗に会えるとは期待してない。用があるのは彼のバイクだ」


 そういうと彼はひょいっと腰の高さの門扉を飛び越えて、その中の樹脂の屋根の付いた駐車スペースに駐輪されているカバーの掛けられたバイクと思しき物体に低い姿勢で接近した。

 急なことに思わず息を飲んだあたしだったが、急ぎ平静を装うと、咄嗟に見張りを自分の役割と判断して、門扉を背後に立ってさりげなく周囲の様子を伺った。



***



「あなた……マジシャンなの?」

「……」


 時は遡って昨日の午後。

 清水一角のバイト先のマジックショップで彼の過去の写真を手に入れたあたしは、彼にそう尋ねた。


「スマホって便利よね。撮った写真は今すぐにでもクラスのグループに……」

「そうだよ! それは十五の時。マジックメーカー主催のコンテストで優勝した時の写真だ。今でもタイミングが許す大会やコンテストには出てるし、従兄弟やその仲間がステージをやる時はアシスタントをやる時もあれば僕自身が演者になることもある」

「別に隠すことないじゃない」

「君たちマジックをやらない人間には分からん」

「説明して」

「断る」

「にしてもこれ、いい写真ね。ユニコーンってのはペンネームみたいなこと? 新聞部の堀口君に送ったら記事にしてくれるかな」

「……君たちマジックをやらない人間は、マジシャンが言われたら困ることばかりをマジシャン本人に平気で言う。そして断れば無能やケチ扱いだ。とても付き合い切れない」

「言われたら困ること? 例えばどんな?」

「えー! マジシャンなんですかなんかやって見せてください!」

「あー……」

「マジックってのはタネも仕掛けもあるんだ。準備もいるし手順もある。相手がマジシャンだからと言っていきなり演技して見せろなんて言うのはマナー違反だ。君は力士に会ったとして相撲取って見せてくれっていうのか?」

「いや、あたし別にマジック見せろなんて言ってないじゃん」(危うく言うとこだったけど)

「だが一応それ対策に簡単なマジックのタネは常備してる」

「……」(結局見せたいんじゃ……)

「仮にたまたまの流れでマジックをやって見せたとする。そしたら必ず、えー! どうやってるんですかタネ教えてください! と、来る」

「あー、成る程」

「マジックのタネを公開しない、ってのはマジシャンの鉄の掟だ。ネット社会の現代、バレたタネは文字通り光の速さで拡散する。それが即、世界中の同業者達の営業妨害になるんだ。複雑な手順を踏む連続演技の中の一つがバレの拡散で陳腐化したら、その演目全体が死にネタになるんだぞ。マジシャンにタネを訊くってのは歴史あるマジックの演技の一つを殺す片棒を担げと言うに等しい。君は手にしたヒヨコを殺せと笑顔で言って来る奴と友達になれるか? だがマジシャンを前にした多くの人間が似たような事を言うんだ。全く悪びれもせず。挨拶のような気安さで」

「……」(変なスイッチに触っちゃったかな)

「第一、マジシャンにとってのマジックは絵描きに取っての絵でありパン屋に取ってのパンだ。絵画をタダで持って帰ったりパンをタダ喰いしたら犯罪だろう。けどマジシャンを前にした人間はそれを意識しない。当然のようにタダでサービスが受けられると期待する。君は造幣局で働いてる人に会ったら札束をくれと言うか? 言わないよな? なんでマジシャンにはそれと同じような事を平気で言うんだ?」

「だからあたしマジック見せろなんて言ってないってば」

「あまつさえ、えー! ミスター・マーリンみたいな奴も出来るんですか? ほら、あのポスターからハンバーガー出して見てください!」

「できないの?」

「できるわけないだろう! ミスター・マーリンのアレは……僕はマジックとして誠実じゃないと思う。フェアじゃない。演技の発表の仕方として」

「……テレビだからできるマジックだ、ということ?」

「……答えられないな。こればかりは写真で脅されても言えない」

「フェアじゃない同業者に義理立てすることないじゃない」

「相手がどういうマジシャンかは関係ない。僕のマジックに対する信念の問題だ。バラすならバラせ」


 彼は覚悟を決めたような真剣な顔をした。

 あたしは、この清水一角を犯人と見立てた私の確信がとんだ見込み違いだったと感じつつあった。


「トリックのタネはバラさない?」

「ああ」

「例えそれが……殺人事件のトリックでも?」

「……」

「柳澤先輩の事件、あなたにはタネが分かった。そうね?」

「……」

「沈黙もまた答え。清水一角君。改めてお願いするわ。事件の解決に力を貸して欲しいの」

「……何故だ?」

「え?」

「学校の為か? それとも幽霊騒ぎに怯える誰かの為か? もしくは……」

 彼は言葉を切ると視線をあたしから逸らして言った。

「柳澤先輩の為か?」


 何故?

 何故なんだろう。


 冷やかしや好奇心みたいな軽薄な理由ではなかったが、かと言って誰かの為みたいな立派な理由では決してなかった。私が事件を解決したい理由……必死になる、原因……。


「不安、だから」

「不安?」

「身近な人が二人死んだわ。その理由が分からない。聞こえて来るのは真偽の知れない不気味な噂だけ。不安で不安で仕方ないの。今の、あたし達の置かれたこの状況が。また人が死ぬかも知れない。そうならそれを防ぎたいし、そうでないなら出来事の全容を知って、もう似たような事は起こらないという確信を得たい。それが理由よ。清水一角君」

「……」


 あたしは正直な気持ちを言った。大沢先生も言っていた。不安と向き合え、と。向き合って言葉にした不安は、黙って抱えていた時よりも熱量は小さく、対処可能なサイズになったように感じた。


「素人相手にマジックの裏側を教える事はできないが──」


 差し込んだ西日が彼の眼鏡を光らせた。


「──君がマジックを趣味にしたい、と言うなら多少のテクニックをアドバイスしないでもない。マジシャン同士の技術交流は業界に取ってもプラスになる事だからな」

「それじゃあ……!」

「手伝うよ坂本。悪いけど苗字で呼ぶぞ。僕も呼び捨てでいい。マジックを趣味にしてテクニックについて学ぶ、ってことでいいな?」

「勿論よ」

「じゃあ何か買ってけ。じゃないと店番してた僕の立場がない」

「……しっかりしてるわね一角」

「……なんで下の名前なんだ?」

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