ユニコーン

 しかしことここに至ってはこのまま帰るの選択肢は選べなかった。


「うぉりゃっ」


 あたしは気合いの声と共に両手で左右の頰を同時にぱんっ、と張ると、足に殊更に力を込めて古い壁紙と滑り止め金具が貼り付けられた急な階段を登った。


 階段を登りながら、清水一角が最悪の犯罪者だった時の事が頭をよぎった。


 あたしは、清水一角が犯人だと思っている。


 あの日の事件直後、あの言葉。

 百歩譲って犯人でなかったとしても、あたしの、あたし達の知らない何かを知っている。

 そしてそのことを、あたしは知っている。

 それが彼、清水一角に取って都合が悪かったとしたら……。

 その不都合の排除に、彼が手段を選ばなかったら……。

 あたしの脳裏に血まみれのバラバラ死体になったあたしの姿が浮かんだ。


 ぶるんぶるんぶるんっ!


 あたしはその馬鹿げた妄想を首を激しく降って頭から追い出した。


 狭い踊り場。目の前には磨りガラスの窓の嵌った古いドア。

 ちゃっちゃと髪型を整えて咳払いを一つ。唾を飲み込んだあたしは、汗ばんだ手で真鍮のドアノブを回した。


 チャランチャラン、とドアベルが鳴る。


「いらっしゃいませ」


 ショーウィンドウを兼ねたガラスのカウンターの中からこちらに顔を向けた眼鏡の男性は、シルクのシャツに黒いベスト、真紅のボウタイと言った出で立ちの清水一角だった。


 当然だが、正面から目が合う。


 時間が止まった。

 彼が手にしていたトランプのケースから噴水のようにカードが噴き出した。

 それでも彼はいらっしゃいませ、と言った時のまま固まっていた。


「さ……坂本天馬っ!」

「えっ!……はい」


 彼はガタッと椅子を鳴らして立ち上がると二歩後ずさった。

「……さんっ」


 ん?……ああ、さん付けの「さん」か。

 あれ? あたしの名前、よく知ってたな。


「……こんにちは」


 あたしは取りあえず挨拶した。


「何故ここが……いやっ、いらっ……こんにちは」


 彼は姿勢を正すと挨拶を返したが、どうもあたしの来訪は彼を狼狽させたようだった。

 彼はあたしに背を向けて屈み込むと、ぶち撒けたカードを拾い集め始めた。


 カード……カノマジック……。

 改めて店内を見回すと。

 大きなトランプ。紐に連なった万国旗。シルクハット。ステッキ。小さなビニールに梱包された外国のコインや作り物の指のような小道具……。


「マジック……ショップ?」


「なんだ、そんなことも知らないでここに来たのか、君は」


 カードを拾い終えた彼は落ち着きを取り戻したのか少し高圧的に言いながら立ち上がった。手の中でカードを整えた彼は慣れた手付きでその束をケースに納めた。


「客じゃないなら帰ってくれ。仕事中だ。無駄なお喋りをする時間はない」

「清水一角くん、よね。二年四組の」

「……だったらどうだと言うんだ。二年三組の坂本天馬さん」

「聴きたいことが、あります」

「聴きたいこと? それはマジックの道具についてか?」

「そうじゃ……ないけど」

「じゃあ帰ってくれ。就業中の給与が発生してる時間枠で、学校の女子と業務に無関係の話をするなんてのは、僕の職業倫理にもとる」


 あたしは少し気後れした。

 そもそも同世代の男子とまともに会話すること自体余りない。増してこんな高圧的な態度で拒絶された経験なんて初めてだ。


 しかし、前後の異常事態が、胸の煮詰まったモヤモヤが、脳裏の柳澤先輩の死の様子が、目の前の清水一角が答えを持っているという確信が、あたしを少しだけ強気に、大胆にさせた。


「清水一角くん。あなたはここで、アルバイトしているの?」

「ここは従兄弟の経営する店でね。手伝いをさせて貰ってる」

「あなたはさっき給与が発生してると言った。それは立派なバイトだわ。北高は基本アルバイト禁止。事情がある場合は申し出て校長の印鑑の押された許可証が必要なハズ……よね」

「……」

「その手続きは?」

「君には、関係ない話だろう」

「取り引きしない? あたしは、あなたに聴きたい事がある。あなたはバイトの事を黙っていて欲しい。手間は取らせない。あたしも必死なの」


 暫しの沈黙があった。

 その後、彼は口元だけで笑みを作ると言った。


「先生にでもPTAにでも言うといい。手続きはその後ちゃんとする。僕は君とは取り引きしない。話すこともない。帰れ」


 ……手強い。ここは機会を改めるか。


 諦め掛けて一旦帰ろうかと踵を返したあたしだったが、一枚の写真を目にして足を止めた。額に入れられた少年マジシャンのキメポーズの写真。

 目元を隠すマスクをしていたが、それは明らか清水一角その人だ。

 その写真には文字打ちテープでキャプションが付けられていた。


「第12回ケンヨーマジックコンテスト ジュニア部門優勝 ユニコーン……?」


 清水一角は「あ」と声を上げた。

 あたしはスマホを取り出してその額縁を写真に撮った。


 パシャッ!


 清水一角は「はァ……ん」と空気が抜けるような情け無い声を上げた。


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