大沢 もなみ
全校朝礼で養護教諭兼スクールカウンセラーの大沢先生が白衣姿で登壇して話すのは異例なことと言えたが、前後の事情を考えれば事件から一月目というのは逆に遅過ぎたくらいなのかも知れない。
大沢先生は女性で、整った顔立ちと理知的な立ち振る舞いで一部の男子やそれより少し多数の女子に人気だったが、そういう思春期の極端なルッキズムと切り離したとしても仕事の出来る優れた相談相手だった。
「まず自覚して貰いたいのは、あなた方の心が危機に瀕しているということです」
大沢先生は開口一番そう切り出した。事件以来、そんな事を面と向かって言ってくれる大人は、大沢先生以外いなかった。
スッと暗くなる館内とは逆に、ステージ背景のスクリーンには折れ線グラフが明るく照らし出された。表の中央には赤い線が一本垂直に引かれていて、その線を境にグラフは大きく右上に上がり、そのまま高い水準でもって表の右端に切れていた。
「このグラフは直近二ヶ月に保健室及び談話室を訪れた生徒の人数の日毎の合計です。赤い線が何を示すかは皆さんには分かるでしょう」
スクリーンのグラフは円グラフに変わった。その七割は赤く塗られており、残り三割が四分割されて青、緑、黄色に塗られていた。
「これはその相談内容の内訳。赤が示す相談が何についての相談かは、これもまた容易に想像が付くと考えます」
大沢先生は特に感情を込めず、そういう事実だけを淡々と述べた。その後、きっぱりと言った。
「不安と向き合ってください」
そしてその言葉の意味が生徒たちに染み渡るのを少し間を開けて待った。
「あなた達は不安なんです。まずそれを認めて、不安がる自分を許して上げてください。考えないようにした不安、感じてないと嘯いた不安は、心の奥底で澱のように溜まってあなた達を陰に日向に苦しめる。例えば、ありもしない幽霊の形を取って」
あたしは素知らぬ振りをしながら、内心少し興奮していた。ほんの数分の短いスピーチで、彼女があたし達の立ち位置を、抱える問題を明確に言い表したことに感心し心の中で何度も頷いた。
この人、すごい。この人は、信用できる。
時間が解決してくれるよとか何か他の楽しいこと考えなよとか安易に知ったようなことをのたまうインチキな大人じゃない。自分たちの不安から目を逸らすなとあたし達に覚悟を促しながら、不安で当たり前だ、不安でいいんだ、と頼りないあたし達のあり方を容認してくれていた。
そう。興味本位の取材や、場当たりなお為ごかしじゃない。この一ヵ月、あたし達が大人から言って欲しかったのは正にこういう言葉だった。
「よく聴いてください。幽霊なんて、呪いなんてありません。それは形を与えられたあなた達自身の不安そのものなんです。それが今あなた達を蝕み、実際に体調不良を起こしたり、それが学校を休むまでになっている生徒もいます。
いいですか。旧校舎から飛び降りる幽霊なんていません。学校の周りを走り回る首無しライダーなんていません。ましてスマホに呪いの電話を掛けてくるぱかぱかさんなんて……」
そこまで大沢先生が話した時、その言葉を遮ってスマートフォンのコール音が鳴り響いた。大沢先生が黙る。個人の携帯端末は学校には持ち込み禁止だ。
「ゴルァ! 誰だァ!」
ヤクザのような声は、体育教師の竹岡先生だろう。
だがそれでも、世界一普及しているそのスマートフォンの初期設定の着信音は鳴り止まなかった。
会場はざわつき始めた。判然とはしないが、音源が生徒の列の中にあるのは明らかだ。みんな誰だよ、どこだよ、みたいな雰囲気で互いにキョロキョロしてその音源を探っていた。
その時だ。
「うわァッ!」
どこか間の抜けたしかし切迫した様子の、男の悲鳴だった。
その悲鳴の主の身体は、あたし達全校生徒の目の前で、まるで天井に吸い込まれるように、すごいスピードで浮かび上がった。
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