第2話

曖昧なままにしておくのが苦手だった。白か黒か、勝ちか負けか、0か1か。引き分けのない世界だったなら、どれほど楽に呼吸出来たんだろうか。


#2 困った時の破滅スイッチ


「その通りです。よく予習していますね。では次の問題ですがーーー」

ある晴れた昼下がりのことだった。受付で確認した部屋へ続く道は窓から差し込む柔らかい日差しに包まれていた。

「素晴らしい。きちんと時代背景を踏まえると作者のそういった思惑が見えてきます」

2階の手前から3番目、10畳ほどの白で統一された部屋には、白い教壇とホワイトボード、白衣を着た白髪の男とこいつが熱心に話しかける白いイスだけがあった。

「……なにしてんの?」

半分開いたままの引き戸に寄りかかりながら声をかける。あまり休みが取れないとは聞いていたがついに心の病でも患ってしまったのだろうか。

「……やぁ、久しぶりですね」

「心がやられたって言えば少しくらい休みをもらえるんじゃないの?」

「違う違う。エンプティーチェアーっていう心理学的な療法を使った練習ですよ」

目の前にあるイスに誰かが座ってるってイメージして、その誰かしらに話しかけることで自分の考えをまとめたりする方法だったっけ。詳しくは忘れたけど、理屈はともかくはたから見ればかなりシュールな絵面だ。

「練習?」

自分には見えない誰かしらに代わって彼の前のイスに座る。白で作られた世界に混じるのは少し居心地が悪い。

「教育実習の。やる気はありませんが失敗したくはありませんからね」

「ふーん。まぁいいけど。どうせそんな偽物の自信なんてすぐに崩れるよ」

教科書を教壇に置き眼鏡を外して彼が問う。

「偽物?」

「だってそうでしょ。アンタが想定してんのは頭の中のいい子ちゃんな学生。今までそんな奴はお目にかかったことないね」

想定には常に最悪を。自分の持つ数少ないポリシーだ。

「覚えておくよ。ちなみに君の言う本物ってどんなものだい?」

あ、なんか地雷踏んだ。

「愛とか心がこもってるとかかなー。あとは唯一無二の、世界でそれしかないってやつ」

面倒なやりとりはごめんだけど、ここで引いて逃げたと思われるのはそれ以上にごめんだった。

「抽象的ですね」

「簡単に言葉にできない方がそれっぽいでしょ」

「それじゃあ、例えば影を無くした人間は本物でしょうか?」

「影?」

「ドイツの古い物語です。ざっくり言うと、悪魔に影を売った男が右往左往する話」

「ざっくりすぎでしょ……」

影を持たない人間。何千何万何億とかじゃなく悪夢みたいな確率でなれるかなれないかのレベルだろうそんなもの。

「どうだろうね。なりたいとは思わないけど。研究対象とかに選ばれそうだ」

「確かにそんな奇跡を手にした人がどんな振る舞いをするのかは興味ありますね。そういえば、例のスイッチを押せてしまった人が集められる場所があるっていうけど、確率的には同じくらいなのかな」

例のスイッチ、とは困った時の破滅スイッチのことだろう。突如現れた、家電とか色んなものにくっついている謎のスイッチ。

スイッチとは名ばかりで、めちゃくちゃ固いせいで押せる押せないの選択肢がないそれは『選ばれた者にしか押せない』とかいう謎の噂が広がっている。

噂には続きがあって、押してしまったやつはどこかの研究施設に連れ去られるとか。

「押せたから押せただけでしょ、そんなの」

何百何千何万何億分の1の確率だったとしても、そんなのは本物でも偽物でもなくてただの偶然だ。

「押せたから特別なのか、特別だから押せたのか。どっちが先なのかな」

逃げたと思われるのは癪だがいい加減考えるのが面倒になってきた。

ため息を吐いて目を閉じる。

みっつ数えて目を開けるとそこには誰もいなかった。

「失礼します」

コンコン、と上品な音を立てて半分開いたままのドアから声をかけられる。今日の自由時間はここまでか。

「天使様、そろそろお部屋に戻られるお時間ですが……」

「あぁ。わかりました」

もう一度小さくため息を吐いて立ち上がる。教壇には教科書も眼鏡も見当たらなかった。

「その天使様って呼び方やめてくんない?」

「とんでもありません。ただの人間には押せないはずのスイッチを押せた方は我々からすれば天の御使いでございます」

あー、はいはい。それじゃあ天使様らしく今日も実験されてやろうかな。

「ところでなにかお話しされていたようですが……」

外界とのやりとりが厳しく監視されているせいか、どこかに連絡していないかというのは彼らにとって最重要視項目なのだろう。

「違う違う。……あー、アンタさ、エンプティーチェアーって知ってる?」

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困った時の破滅スイッチ @ossr

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