多少はましな

韮崎旭

多少はましな

 のぞむ彼岸、茜で埋められた神経。空想・強迫、追いかけることが続けられない。あらゆるものと距離を置きたいのは、ここにいられないのは、理由を求められないのは、私が私を嫌うのは、存在が憎しみであるのは、血管に石膏を流し込まれるような不快と破壊が日々からあふれ出すのは。側溝のごみほどの価値ほどの皮膚にも臓腑にもないさ、私はあきらめつつあり。考えたことが言葉であるとは限らないし、言語化できないところに抱えた不具合と、拘泥、収拾のつかないからまりが、その絡んだ糸を引けば引くほど見える世界を不均衡にしては偏狭で恐怖に満ち満てるものへと変容させるてゆく。これが例えばコールタールとでも呼べるものでしょうか、あるいは鬱屈? 感情の名づけ役にはなりえないな、それがいかなるものか知らないけれど。ここからつぎつぎ取り落とし、まともな、またはまとまりのある、あるいはそれらを兼ねた関係を自ら、それを維持できないという理由で投げ出している。私自身が容易に廃れろ。認識することへの許容量が溢れんばかりに埋められているから、人間という苦行は皮膚の内面を腐らせて痣だらけにする。それに気が付かないばかりか妄想的だと自覚している。とはいえ存在していることが、一般的用語としての虐待以上に虐待でありうることに私は異を唱えない。別れの言葉の組み立ては困難を極めるので。今日も明日も明日がある悲惨。それをみっともなく嘆くくらいに何もできず。それをみっともなく嘆くことすら何かをがりがり掻き毟り摩耗させる。自意識が何かは知らないが、それに振り回されることでその時間を苦いものにする。

 

 もろもろに、付き合い切れない。


 私にとって、遺書を書くまでもないから。遺書に書くことないどないから、今日の天候如何がトリガーでもいいでしょう、見飽きたのだと繰り返そう。私が死を選ぶのは、私が生き続けることに疲弊したからで、精いっぱいの能動をようやく手許にそろえるを得たというところ。

 自殺者の記名、私の墓標、廃れた文法、去りゆく者ばかりの歓待を、この足元には何もない。

 泥で埋まった記憶と記銘。自壊する思想。氷解する刺創。描く流血が軌跡を、辿り着きはしない鬼籍へ。薄汚れた左腕だけ残してゆくよ。これはもう、使い物にならない。

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多少はましな 韮崎旭 @nakaimaizumi

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