シェアライドのかみさま
僕ときたら人混みが苦手で、ごちゃっと人が集まっているのを見るだけで、うっ……と来る程だ。だから、電車通学が必要な隣の市の高校への進学が決まった時、迷わずに新設された”通勤・通学シェアライド定期”制度の利用を申請した。電車料金より割高だが、市の補助が出て定額チケットが安く買えるのだ。満員電車、無理、ゼッタイ。
初登校の日、新しい制服に身を包み、緊張しながら専用アプリ「
待ち合わせ地点に向かうと、アプリ画像と同じ赤い車が停まっている。近くに寄って軽く頭を下げると、運転席からぱたぱたと一人の女の人が出てきた。そして、なんだかおもちゃのようなぎこちない動きで、ぺこりと頭を下げてきた。
「ははは初めまして。運転手の
スーツ姿にめがねの惟村さんと名乗る女の人は、僕の顔を見ずに早口でそう云い捨てるや否や、すたすたと歩いてきて助手席のドアをガチャリと開ける。僕は、「う……運転手?」と、勝手がわからずにどぎまぎしてると、惟村さんも、あれっ? という顔で固まっている。そして、「あっ……」と声を出してポンとひとつ手を叩くと、慌てて車に頭を突っ込んで、シートをガチャガチャといじり始めた。
「あの……? どうしたんですか?」
「あっ……あの、こういう時はやっぱり後部座席に乗るんですよね。すみませんっ! ドア2つだから。今、シートを前に……えと、どれ? このレバー?」
惟村さんがぐいっとレバーを引くと、シートもぐいんと前に倒れ、「んぎゃっ」と声を上げてシートに頭を叩かれていた。そして、黙って落ちた眼鏡を拾い上げて掛け直すと、ゆっくり僕の方に向き直って、どうしましょう? みたいな涙目で見つめてきた。いや、こっちこそどうしましょう。
―――
「そうなんですか。惟村さんも今日がシェアライドデビューだったんですね」
結局、僕は助手席に座り、惟村さんが用意したというセブンイレブンのカフェラテを頂いていた。
「そうなの。なんだかバタバタしちゃってごめんね。でも、
惟村さんは、運転しながら、ボリュームの小さな声で照れ臭そうに言う。
「それで外に出てドアを開けたり、カフェラテ用意したりしてたんですか。僕も初めてだから、よくわかりませんけど、そういうのいらないと思いますよ。シェアライドって、もっとなんかこう、気楽な感じって言うか。あそこまでされると、こっちも申し訳ないっていうか」
本当は、「ハイヤーの運転手かよ!」くらいに突っ込みたかったが、初対面の目上の人に言う言葉ではないだろう。僕は、既に砂糖もミルクもたっぷり入れて貰ってあるカフェラテでその言葉を飲み込んだ。
「だよね。次からは気を付けます。ふふ。でも、うまく乗り切れそう。よかったー」
僕たちはしばらく、お天気の話だとか、最近読んだ本の話だとか、なんで公共サービスの名称って基本ダジャレなんでしょうねだとか、どうでもいい話に花を咲かせた。正直、そんなに話し好きではないので、すぐに会話は途切れてしまうのだけれども、沈黙が続くと、惟村さんが半ば慌てたように、すぐにどうでもいい話題を掘り起こしては話を振って来るのだ。
緊張をほぐしてくれているのかな? と、感謝しながらも、ちょっとしんどいかもなあと思いながら車に揺られていた。
しばらく進み、車は小泉2丁目の交差点の信号で停車した。惟村さんも、さすがに話し疲れたのか。ふぅっと一息ついて前を見つめている。いい機会なので、僕は助手席から惟村さんを観察してみた。
背は、僕よりもずっとちっちゃい。150cm少しくらいだろう。だが、スーツを着ているし、妙にガッチリとしたメイクだし、シェアライド登録をしているという事は、どこかに努めている社会人ぽく思える。年齢を聞くほどの勇気は無いが、顔の感じからして、おそらくは
顔というか頭というか、頭部は全体的にすごい丸くて不思議なフォルムだ。肩くらいまであるふわっとした髪を、うなじの上あたりでまとめている。横から見て印象的なのは、その睫毛で、眼鏡に触れるくらいに長い。全体的な印象は、――年下の僕が言うのは失礼だが――、子供っぽい人だなあ、と感じた。
僕の視線に気づいたのか、惟村さんがこちらを向いて、にこっと笑う。切れ長の細い垂れ目がギャグマンガかと思う程の三日月形になって、つられてこっちも笑ってしまう。
「行先は、フジヤマ高校でいいんだよね?」
「はい。惟村さんの職場もあの辺なんですか?」
何気なく聞くと、惟村さんが明らかに動揺していた。あれ? こういうの聞かれるのもプライバシーとか的に嫌いなタイプなのかな? と焦っていると、惟村さんはただでさえ小さい声のボリュームを下げて、囁くように切り出した。
「じ……実はね、私はあの辺で働いてるわけじゃないの」
「えっ、そうなんですか」
「うん……。ていうか普段は家から一歩も出ないって言うか……」
「えっ引きこもり?」
「くっ……!」
思わず口に出てしまった言葉に、惟村さんは明らかに動揺している様子だった。
「ちちち違うから! ちゃんと買い物に行くし! 家で出来る仕事だし! けっして引きこもりのニートでは」
「ニートまでは言ってませんけど」
「くぬっ……!!」
惟村さんは、しまったという表情でこちらを見てくる。そのとき、前の車のブレーキランプが点灯した。
「惟村さん! 前! 前!」
「えっ。わー!」
車はキュッと音を立てて停車し、衝突は免れた。2人で顔を見合わせてホッとする。一息ついた惟村さんは、照れ臭そうに口を開いた。
「ありがとうね。ちょっと動揺して。実はね、シェアライドに登録したのは、『人と話す機会』を増やしたかったからなの」
「そんなに普段話さないんですか?」
「うん。友達とはLINEばっかだし、お仕事も、お仕事もっ! 基本メールで済んじゃうのよね。担当さんとの打ち合わせも成果物を送るのも。直接顔を合わせる事はめったにないし、電話もSkypeも珍しいくらい」
惟村さんは、必死に「お仕事」部分を強調してくるので、僕はこくこくと適当に頷いておいた。
「だから、声を出す機会が極端に減っちゃって。お風呂に入る時に『あれ? 今日1回も声出してないぞ?』って気付いてショック受けたり」
「それは凄いですね」
「うん。それでもいいか、と思ってたんだけどね、人間って、やらない事ってできなくなってきちゃうんだよね。最近ね、友達と合ったときに言われて初めて気が付いたんだけどね、凄い声のボリュームが小さくなってるんだって。あと、早口になってるって」
「そうだったんですか」
僕は、今度こそ大きく頷いた。確かに、惟村さんの声は小さい。それに早口だ。特に最初の頃はわかりやすく早口だった。元の話し方を知らないのだけれども、声が小さくなっているというのは納得できる。わざと小さくこしょこしょ話しているの感じではなく、普通にボリュームが小さいのだ。
「うん。カラオケとか言っても、すぐ喉がガラガラになるし、あ、これ本格的にまずいかもって。だから、話をする練習をしなきゃと思って登録したの。フジヤマ高校周りを目的地に設定すれば、たぶん乗って来るのは高校生だから、緊張せずに練習できると思って……」
惟村さんはイタズラが見つかった時の子供のように、悪い顔をしてペロッと舌を出した。
「それで見栄を張ってスーツまで着てメイクまでして」
「うっ……!!」
「道理で何かぎこちないと」
「くっ……!!」
「普段通りジャージでいいんですよ?」
「な……なぜそれを!!」
「本当に着てるんですか」
「……!!」
惟村さんはしまったという顔で黙り込み、ハンドルを握っていない左手を悔しそうにじたじたと振っている。その姿を見て思わず笑ってしまうと、惟村さんも口を尖らせたまま目を三日月形に細めた。
「でも佐野君で本当に良かったー。話しやすくて。あ、私が本当はこの辺りで働いてはいないって事は内緒だからね」
「はい。乗る方としたら、目的地まで連れて行って貰えるだけで助かりますから。でも、毎回僕が乗るってわけじゃ無いんですよ。大丈夫ですか?」
「うっ……!」
惟村さんは、今気が付いたでもいうようにショックを受けていた。
「だ……大丈夫だし! そうじゃ無きゃ練習にならないし。高校生くらい? 余裕だし?」
「この近くは車関係の工場が多いですから、そこのおじさんが乗ってくるかもしれませんよ。ゴリゴリの体育会系の整備士さんとか。日本語があまりわからない南米系のエンジニアの人とか」
「……!!」
惟村さんは、声も出せないくらいにショックを受けている様子だった。
「な……なんとかなるから! でも、佐野君?」
「はい」
「できるだけ……できるだけ確実に間違いなく正確に決まった時間にあの場所で、リクエストしてね?」
「めちゃくちゃビビってるじゃないですか」
「くっ……!!」
そんなやり取りをしているうちに車は目的地へと到着した。僕は惟村さんのスマホに自分のスマホをコツンとぶつけ、定期チケットを1枚送信すると、お礼を言って車を降りる。振り返ってぺこりと頭を下げて手を振ると、惟村さんは車の中から、「7時10分~!!」と捨て台詞(?)を残して走り去っていった。
こうして僕の初登校は無事に……まあ無事に終わった。
明日からはどうしようかな。わざと時間をずらそうかな。なんてちょっと意地の悪い事を思いついた。でも、よくよく考えれば、僕だって人混みが苦手で、助けて貰っている身分だ。そんな僕でも力になれるのであれば、惟村さんを助けるくらいはお安い御用だ。それに……。
その思い付きに思わず自分で笑ってしまった僕は、軽く首を振って歩き出した。
これ以降も惟村さんとは、たびたび通学時に顔を合わせる事になった。それだけではなく、思ってもいなかった意外な場所でも。
でも、それはまた別の話。
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