おねいちゃんは妹に悪い犬を近づけません
「おねいちゃん、また今日もあの犬いるよ」
妹の
顔を上げて前を見てみると、高校生くらいのお姉さんに連れられた散歩中の犬が、こちらを向いて身構えている。吠えこそしないが、ぐっと頭を下げ、足を踏ん張るように広げて低い姿勢でじっとこちらを伺っている。犬はそれほど大きくない。たぶん黒柴と言う種類の犬だ。濃いこげ茶の顔の中のくりっとした目の上には、クリーム色の麻呂っぽい斑点がついている。仔犬と言うわけではないが、大人の犬というわけでもなく、おチビで、毛並みがつやつやとしていて、いかにも活動的な感じがした。
「大丈夫だよ。おねいちゃんがついているからね」
犬と同じように足を踏ん張って動かなくなっている妹に声をかけて、手を引いて歩き始める。妹はこわごわといった様子で、私のランドセルの後ろに隠れながら、ちらちらと犬の方を伺っている。
犬は相変わらず低い姿勢でふんばったままだ。綱を取るお姉さんが、しきりに声をかけても動く様子はなく、どっしりと構えて首だけを動かしてこちらを伺っている。お姉さんは、あきらめ顔で足を止め、いつものように私たちに声をかけてくる。
「おはよう。いつもごめんなさいね」
「おはようございます! 大丈夫です!」
私はぺこりと頭を下げる。麻呂の黒柴は相変わらず低い姿勢を保ったままだ。私は犬は嫌いではないし、むしろ好きだ。この黒柴くらいの大きさなら全然怖くもないのだけれども、ずっとこのポーズで威嚇されていると、さすがにちょっと不安にはなる。そのうえ、背中で明らかに怖がっている妹がいると、怖さが伝染するのか、必要以上に身構えてしまう。
それでも、姉として怖がっている事を見せてはいけない。単純に恥ずかしいし、私が怖がったらきっと妹は泣き出す。そうなったら可哀想だし、お姉さんにも申し訳ない。
毎朝のお姉さんと黒柴の散歩タイムは、私達の通学タイムと重ねっているようで、だいたい毎日同じような場所でばったり顔を合わせ、そして、黒柴と妹は立ち止まり、私とお姉さんはぺこぺこしながら、なんとかかんとかすれ違う事になるのだ。
それにしてもあの黒柴め。なんて意地悪な奴だろう。妹が怖がっているのは見ればわかるだろうに、毎朝飽きもせずに威嚇のポーズで立ち止まっては、私たちが通り過ぎるのをじっと睨んでいる。お姉さんには悪いけど、誠意のかけらもない意地悪バカ犬に決まってる。いや、もしかしたら私たちの事を怖がって、逆に虚勢を張っているのかもしれない。どっちにしろ、妹を怖がらせるなんてロクな奴じゃない。毎朝、私は妹の手を引いてすれ違いながら、犬に向かって心の中で悪態をついていた。
あくる朝、例によって通学中の私の手は引っ張られ、立ち止まる羽目になった。顔を上げると、やはりあの黒柴である。しかし、いつもと様子が違った。全然踏ん張らずに、しゃらんとなんでもない顔で立っているのだ。
あれ? と思って隣を見ると、いつものお姉さんではなく、おじさんが黒柴を連れていた。黒柴はと言えば、どうだといわんばかりに、なんだか自慢げにこちらを見つめてスタスタ歩いてくる。
その時、私は突然わかった。わかってしまったのだ。あの黒柴は、きっと、お姉さんを守ろうとしていたのだ。
黒柴にとって、お姉さんは、「好きだけどちょっと頼りない」存在だったのだろう。だから、自分が守らねばならぬと、毎朝きばって身構えたりしていたに違いない。自分もまだおチビのくせに、精一杯見栄を張って踏ん張っていたんだろう。
その証拠に、おじさんと一緒の今日は、全然身構えたりしない。きっと、おじさんは「好きな上に強い」から大丈夫と安心しているのだろう。それだけでなく、自慢げにこちらを見ては、うちのボスどうよ? 的なドヤ顔で尻尾まで振っている。
妹は相変わらず怖がって背中でもじもじしているのだけれども、私は全然黒柴の事が怖くなくなってしまった。いや、むしろなんだか好きになってしまった。あの黒柴も頑張っているんだな、そう思うと、すれ違う時には心の中で応援までしてしまった。
――がんばれ黒柴。守るんだ黒柴。
私は妙な親近感を感じながら、妹の手を引いて学校へと向かった。
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