第5話 天正十四年 八月

 「はっ、紹運さまは最後まで抵抗した後、詰めの丸にて割腹なさったとのことです。」

 そうか、…うむ、そうか。報告ご苦労であった。下がってよし。

 父上…母上を残して逝ってしまわれたか…。


 岩屋城落城の報を聞くと、それまで立花山城に向かう準備をしていた母上がここに残ると言い出した。父上との仲の良さは皆の知るところであったので、母上のお気の済むようになさいませと声をかけておいた。できるだけ安全な後方にいてほしかった父上の気持ちとできるだけ近くにいたい母上の気持ち、どちらもよくわかる。

 ということで、父の仇に一矢報いたいという私の気持ちもわかってはもらえないだろうか、加袮?

 「ダメです。」

 あああああああああああ!!!!!なんでさ!!!討ち死に覚悟だと思ってる?違うよ。全然違うよ。ちょっと行って先遣隊の足軽どもを蹴散らして帰ってくるだけだよ!!!!!!危なくないよ!!!!!

 「危なくないわけないじゃないですか!そもそも、相手は二万とも四万ともいう大軍勢。いかに地の利があるとはいえ、囲まれては袋のネズミです。幸い上方からの軍が間もなく来るというではないですか。ここは城に籠って援軍を待つべきです。」

 そうは言うがな、上方の軍はまだ進発したばかりとのこと。せっかく父上が時を稼いでくれたものの、今少しの間島津を引き付けておくためには小競り合い程度で良いから出ておかなくてはいかんのだ。

 島津から見れば、父上亡き今の高橋家当主はこの私。だが年も若く未だ父上ほどの器とは見られていまい。有体に言えば見くびられておる。大軍を二手に分けて宝満山城と立花山城に向かわせているのがその証拠だ。その油断を突く。

 こちらは間道・獣道を使って奴らの進撃を遅らせる。奇襲を仕掛けられた大軍は警戒して進み方が確実に遅くなる。

 島津めは上方からの軍勢が九州に来る前に九州全土をすべて押さえておかねば、羽柴さまに対抗できない。逆に言えば我ら大友家臣団が守る城が一つでも残って上方の軍勢を迎え入れさえすれば、こちらの勝ち。時間との勝負だ。

 大丈夫。あなたの夫が七光りなどではないことを薩摩の兵に知らしめて、無事に帰ってくるよ。だからそんなに心配しないでくれ。

 「きっとですよ。きっと無事に戻られるようお祈り申し上げますからね。」


 その夜は運良く雲で月が隠れた。少数の兵での隠密行動なので私も黒ずくめ。槍と胴鎧、手甲に脛当と軽装だ。

 夜半過ぎに島津の先遣隊を見つけた。幸いこちらにはまだ気づかれていないようだ。よし、手はず通りに火矢を射かけよ。うむ、散らばって警戒していた兵どもが固まって後退し始めた。今だ、石を落とせ。直接当たらずとも良い、暗闇の中でどこからどんな大きさの石が飛んでくるかわからないという恐れで逃げ腰になってきた。既に薩摩の伏兵がいないことは把握済みだ。音に聞こえた島津の釣り野伏も心配いらぬ。行くぞ!適当に蹴散らして城に戻る!

 久しぶりに槍を振り回して四半時ほどで宝満山城に引き返した。取ったのは雑兵首ばかりだ。しかし、岩屋城落城以降沈みこみがちだった城内の雰囲気が明らかに変わった。勝どきをあげる家臣の明るくなった顔を見てほっとした。

 加袮からはお小言をもらってしまった。もう貴方が高橋家当主なのだから、足軽のように前に出過ぎない事!だそうだ。気を付けよう。

 

 しかし初手がうまくいきすぎたせいで家臣達の意見は二つに割れた。この調子で最後まで抵抗しようという勢力と、今のうちに立花山城の立花勢と合流しようという勢力である。

 困ったことに籠城勢は譜代の高橋家臣、合流勢は旧筑紫家臣と意見が分かれてしまった。筑紫家が大友に臣従したことを理由に勝尾城を攻め落とされて以降、逃げ延びた旧筑紫家臣もこの宝満山城に集まって来ていたのだ。

 譜代家臣だけであったなら兵の数が少なすぎて立てこもるのは不利。籠城には筑紫家臣の協力が不可欠。だが筑紫家臣はより堅い守りの立花山城で立てこもるべきだと言って聞かない。あらやだ詰んでる。マズいなーコレ。


 その心の隙を島津に突かれた。「こちらはお父上の籠城に懲りたので、城さえ明け渡してくれれば城内の兵は殺さない」という降伏勧告が来たのでホイホイ乗ったら、「殺さないとは言ったが捕らえないとは言ってない」とばかりに加弥と母上共々三人仲良く捕まってしまった。あー迂闊。

 先に立花山城へ逃がした兵からの報告で私が島津に嵌められて捕らえられたことを知った兄上は、怒り心頭。立花山城を包囲した島津軍を夜討ち朝駆けでさんざん引っ掻き回した挙句、意趣返しのように偽の降伏を申し出て城を受け取りに来た島津兵を伏兵で殲滅した。雷神の後継者の面目躍如である。

 ダメ押しに兄上が島津軍に流したのは、まもなく上方から先遣隊が到着するという情報。本当のことであったがわざと日程を隠したから、余計に島津勢は疑心暗鬼を生じた。ついに筑前を諦めた島津軍は薩摩に順次撤退を始めた。

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