クリスマスの頃に
ぬん
クリスマスの頃に
2050年12月24日。東京。この街はすっかり退廃してしまった。あちこちに煙草、酒、麻薬、硝煙の臭いが立ち込めている。30年程前には、綺麗で人も多くいたという新宿も渋谷も原宿も、今はまばらな人影しかない。小雪が降っているのも理由の一つだろう。
そんな街にいるからか、私の心は荒んでいた。楽しみもほとんどなく、くそつまらない日々を過ごしていた。
私はコートの下にグッチの白スーツを着込み、バーバリーの傘を差しながら、とある裏路地を歩いていた。スラム街とまではいかないが綺麗とは決して言えない、そんな道だ。上品な格好をしてはいるが、持ち金は多くはなかった。
――カランコロン
「……いらっしゃいませ」
と、目的地のバーに着いた。街を形容しているかのような客模様だ。マスターは口数が少なく、如何にもそれらしい。彼一人で切り盛りしている。まあ、客足から考えると問題ないようだが。
「いつもの」
そう言いながら私はカウンターの隅の席に着いた。着ていたコートは隣の椅子に畳んで置いた。
「……かしこまりました」
マスターは横目で私を確認し、こう返した。
私は、ここの常連だ。毎日ほぼ定時に通っているので、マスターも準備をしており、すぐに出てきた。ヴァンショーだ。フランス語で「ホットワイン」という意味である。私は、ラ クレマ ソノマ コースト ピノ ノワールをベースとしたのが好きだ。酸味と広がる芳醇な香りがよい。このくそつまらない人生を過ごしてて、まだいいと思える時間だった。ただ、楽しいとは決して言えないが。
「今日も寒いな」
私は言った。
「……そうですね。外は雪が降っているんですか?」
「ああ。といっても小降りだが」
「……なら、特にそれはおいしいでしょう」
「今日もいい腕を見せてくれてありがとう」
「……ありがとうございます」
――カランコロン
そこでドアベルが鳴った。入ってきたのは、顔立ちが整い、モデルのような体の豊麗な女性だった。だが服装は荒れた街に似合わない、シックな深紅のドレスだった。
「……いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ」
「……」
彼女は無言で、私とは反対の隅に座った。席に着いてからも彼女は静かに、そしてメニューすら見ず、ただ虚空を眺めていた。
「彼女にキールを」
私は小声でマスターに頼んだ。彼は頷き、熟れた手つきで攪拌し、彼女の元へ運んで行った。ちなみにキールとはカクテルの一種である。
「……あちらのお客様からです」
「あ、ありがとうございます」
少し離れて聞こえにくいが、このような会話をしていた。私は2杯目のティーニニック(スコッチウイスキーの一種)に移った。
それをゆっくり呑むこと10数分。呑み終わったと同時に後ろから肩を優しく叩かれた。誰だ、と思って振り返ると彼女だった。
「キール、ありがとうございました」
「なんてことはないですよ」
私の口調がいつもと違っていた。もちろん彼女は私の変化などわからない。彼女は続けた。
「突然で申し訳ないですが、お外、出ませんか」
「あー……はい。いいですよ。マスター」
「……4000円になります」
「今日もありがとう」
「御馳走様でした」
「……また、どうぞ」
――カランコロン
外はまだ雪が降っていた。ふと、私は気付いた。なんと彼女は傘を持っていなかったようだ。幸い、私の傘は大きかった。
「入ります?」
「あ、お願いします。先程から何度もすみません」
「いえいえ、大丈夫ですよ」
薄く積もった新雪を踏みしめながら、裏路地を歩いて行った。何故か気持ちのいい気分だった。少し行ったところで煌びやかな建物の前に着いた。と、そこで彼女が聞いてきた。
「休憩していきませんか」
「え? 今なんと?」
「少し体が冷えてしまったので……」
「……わかりました。行きましょう」
中は薄暗かった。彼女はすぐにバスルームへと入っていった。私はコートをラックに掛けてくつろいだ。テレビを点ける気はなく、ただ何故こうなったかを考えていた。もっとも、考えれば考えるほど頭がこんがらがっていったが。
彼女が出てきた。備え付けの厚手のバスローブで身をくるんでいた。少しはだけた胸元からエテの金のネックレスが見える。あれは……。いや、と私は思考を止め、彼女を見た。もう何とでもなれと思いながら彼女に話しかけた。
「今更だけど、私と一緒にこんなところに入ってきて大丈夫ですか?」
「はい。いいです」
「ならいいけど……あ、質問していいですか?」
「ええ」
会話は続いた。つまり、クリスマスイヴなのでこの時代には珍しい高級レストランでデートをしようと思っていたが、待てど暮らせど相手が来なかったので、自暴自棄になって入ったのがあのバーだったそうだ。
「それで、ここに私と入ってきた理由は……」
「お優しいあなた様なら、この整理の付かない気持ちをどうにかしてくださると思いまして」
「本当にいいのかい?」
「くどいのは嫌いです」
「そいつはすまない――」
そう言いながら、私は彼女に体を被せた。覚悟は決まっていた。
外は白い雪が強くなっていた。
この後の事をここで述べるのは、無粋だろう。
ただ、このくそつまらない世界がこの一瞬だけ輝いて見えた。
朝が来た。私は窓を開けた。冷たい風が入ってきた。煙草を吹かした。私はシャツとズボンを着て、彼女はシーツで身をくるんでいた。二人とも未だに体は少し火照っていたので、少しくらい肌寒い方が心地よかった。
一服すると私はジャケットとコートを羽織り、部屋から立ち去ろうとした。その時彼女が聞いてきた。
「あなた様のお名前を聞いてもよろしいですか」
「いや、知らない方がいいでしょう。この街では……」
「……そうですか、わかりました。では、またどこかで」
「ええ、会えたら……」
そう言って別れたが、もう会う気はなかった。いや、会えないと悟った――
ポケットにある、血と硝煙で汚れ千切られた、エテの男物の金のペアネックレスを触りながら。
クリスマスの頃に ぬん @Nunn_
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