第18話

次に目を覚ましたとき、雨のそぼ降る音が耳を卵のいい匂いが鼻腔をくすぐった。

思わずその匂いに痛む上半身を飛び起こさせる。

ここは、自分のベッドだ。

小さなマンションのベッドルーム…この匂いは隣のダイニングだな。

部屋着のトレーナーとジャージのままずるずると移動する。


気がつけば額には冷えピタは貼られているし、先日怪我をしてそのままだった左腕には包帯が巻かれている。

もう二日たってるから効果はあるかわからないが。

明かりのついたダイニングにはいつもの格好をしたアッシュがいた。

ちょっといつもの作業着のままでは小汚い…かな。衛生的に心配だ。

折部は寝室から大きめの白いパーカーを持ってきて肩にかける。


「うわ、お前起きてるなら言えよ。」

「頑張ってたから声かけられなくて。」

「おい、これなに。なんかいやにジャストサイズのパーカーだな。」

「昔友達が置いていったんだよ。ぴったりならいいや。あげる。」


そう言うと折部はスプーンを棚から取り出し椅子に座った。

アッシュがなにか言いたげに見ているが気にかけず、

にこにこと急かすように横揺れをしてみる。


「なに、お前。え、これ俺が腹減ったから作ってるんだけど。」

「うんうん、だからほら。スプーンアッシュのぶんもおいとこうかなって。」


折部が立ち上がりかけたところでアッシュが止める。


「いやわかったって、お前にやるって。俺さっき食ってきたし。

 それにピザとかのがいいわ。」

「わーい、アッシュのオムライス楽しみだあ。」

「チッ…こういうときばっかりちゃっかりしてやがるよなお前…」


アッシュが器用に皿にオムライスをひっくり返す。

ふわとろの、かなり綺麗な…というよりお店でよくみるくらいの出来だ。

それに中のケチャップライスもなかなかに綺麗で鮮やかな赤を彩っている。

不似合い、とは言えない。

折部は料理が苦手なのだから文句や軽口なんて叩けない。

いただきますと呟きすぐに手をつける。

やっぱりおいしい。

ケチャップの酸味も丁度いいくらいだし、なによりたまごがとても優しい食感。

お互いに邪魔しないような一流の味付けながらプロのような全てがととのった完璧というよりかは素人のように気楽な味が訪れる。

大喜びで頬張る折部を見ながらアッシュはため息をつきながら向かいの椅子に座る。

頬杖をつきながら呆れた目でこちらを見てくる。

いつ拳がとんでくるかな、と思ったがそういうわけではないらしい。

…まあ、約束破ってるから。殴るはずなんだが。


「なにお前、俺めっちゃ迷惑かけられてるんだけど。」

「いやあ、まさかこんな状況のときにくるとは思ってなくてねえ。

 というかうちどうやって上まできたの?ここ3階だよ…?」


アッシュはあー、とこぼし宙を仰ぎ見る。


「屋根から。」

「え?」

「隣の家の屋根から、こう…ピョイーンって。」

「ぴょいーん?」

「ジャンプ。」

「ええ…」


アッシュならできなくもなさそうで…というか想像がつく。

ケチャップライスのちょうど良い味がまだまだ口のなかに広がる。

最近手作りなんて家で食べたことがなかった。


「ていうかお前、いくらなんでも来客に包丁片手にっていうのはどうなの。」

「えへへ、だって誰かわからなかったからね。ちょっと警戒しちゃうよね。」

「いや警戒するなら最後までしろよ。

 なんかお前そのすぐ後で気絶するわ高熱だわでびびったからな。」


ああ、やっぱり熱がぶり返していたのか…。

折部はまだすこしぼんやりとした頭で思い出す。

ミネラルウォーターをコップについで飲み干す。

彼は、かつかつと爪をテーブルにぶつけてもてあそんでいる。

本題に入らないことにもやもやする時に手にでるのは出会った時から変わらない。

あのときも確か…


「飯は食い終わったか」

「うん、はいどう…ぞッ!!」


言い終わる前に頰にまた衝撃が。


椅子ごと倒れたくさく、気がつけば床に転がっていた。

左頬に伝わるフローリングの冷たい感覚が鮮明に感じられる。

顔はいいとして転がった時に打った左腕もなかなかに鈍く痛む。

さする暇なくアッシュが歩いてくるのが見えた。

もう顔をあげるより前に意味ないとはいえ警告しておいたほうがいいだろうな。


「ああ、お皿とか投げるのはやめてね。」


目の前にもう立ちふさがっている。

ちょっと見上げてみれば顔は天井を見ていて表情はわからない。

ただ、肩を鳴らしていることと乾いたため息をついているところをみると

やっぱりまだ殴る…蹴る、つもりなんだろう。

同じく折部もはあとため息をついた。

熱がまだちょっと残っていて吐く息もどこか途切れかけて不安定だ。

持てばいいんだけど、と体を起こすことすら諦めて乾いた笑いを漏らす。


「まあちょっと、殺さないでくれたらいいかな。」


アッシュの足が振り上げられたのがわかった。


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