第19話
それから10分くらいだろうか、アッシュの機嫌に合わせてそれは続いた。
まあ踏まれたり掴まれてたたきつけられたり。
でも折部が思っていたよりかはずっとやさしいものだったのではないだろうか。
上に乗っかって胸ぐらをつかんでいたアッシュが気が済んだように椅子に戻りテーブルに頬杖をついて座る。
終わったな、と確信してから折部も倒れた椅子を戻して座り直す。
顔はいくらか殴られはしたが蹴りをほぼ胴体にいれられた。
折れたりひびが入ったとかもなく力加減は調整していたらしい。
ただただ節々は痛いけどこんなものか。
腕をつかまれたときにできてしまった傷をぬぐいつつ彼に向き直る。
「気は済んだ?」
「チッ、とりあえずな。」
「ならよかったけど。あっその地図。」
いつの間にやら折部がチェックをいれていた地図をテーブルに広げている。
顎の下に手をあててもっともらしく唸りつつ。
「それはね、この一帯の危険度マップだよ。」
脇腹を片手でさすりながら、あいたもう一方の手を地図の上におく。
すすけて汚れたアッシュも目を細めいくつかの場所の名前をなぞっている。
おっと、と思わず折部が声を漏らす。
地図の上に置いていた左手首が脱臼するような感覚を覚え、急いで右手ではめ直す。
訝しげに見てきた彼をよそ目に鼻をすすりながら咳払いをする。
「この緑が安全地帯、治安はかなりいい。ほんとに珍しいくらいにね。青色はまあ…中間って言ったら語弊を生みそうだね?
今のここでは『普通』っていうのが一番適当かなあ。」
「夜な夜な外で奴らが改造車両乗り回されるような場所が『普通』ってのもまあよく考えてみりゃあ普通ではないんだけどな。」
「もっともだよ、でもこの赤色のところよりかはまだましさ。」
「なんだよ、そこ行くと空に魚でも泳いでるのか。それとも地面に月が?」
ジョークをこぼしながらアッシュは馬鹿にするように半笑いで地図を見る。
折部もそれにあわすように苦笑しながらつづける。
「それなら全然よかったのにねえ。
でもその口ぶりだとアッシュはこの赤範囲はいったことないって感じかな?」
「そういやねえな…」
折部はわき腹をおさえる手を交代させながらふふっと笑う。
「実際いうとね、この赤範囲は入ることができないんだよ。
今はもうこの白鐘帯のお役所さんがバリケードつくって検問かけてる。もう隠さずに隔離っていう形をとってるわけだ。」
「ほお、街中の奴らもわざわざ他の市に移してか?」
「いいや、ひどい話ここの住人は避難なんてさせてもらえてないよ。
体裁としては『住民』が暴徒化して治安悪化のためっていう御触れなわけさ。ああもちろんだけど…」
「住人はここらにいる奴らの何割かと同じように家ん中に閉じこもってるわけだ。」
「そういうこと。」
アッシュはふーん、と声を漏らして口元に手をそえる。
そして指をうねうねとうごかしてまた弄んでいるようだ。
「まあ地帯としては変わらないよ、普通に一般住宅があるだけ。
あとは学校とか…」
「ん?まてまて、なんかお前の口ぶりが見たことありますよって感じだけどよ。」
「ああ、俺小学校はここらだったんだよ。
っていってもう20年以上前とかになっちゃうからうろ覚えだけど。」
折部は汲んできたお茶をすすりながらそう答える。
のむたびにどこかに響いているんだろう、漠然と腹のあたりが痛くなる。
これに関してアッシュを責めるのは時間の無駄だ。
「これ、もらうぞ。」
「はいはいご自由にどうぞ。
俺もそれなんか片付けしてたらでてきたやつに落書きしただけどいいのかな。」
アッシュはその地図を折りたたんで片手にすると、椅子から立ち上がった。そして冷蔵庫の前まで横暴に歩くと中身を物色しはじめた。
「そこからもなにか欲しいものがあれば持って行きなよ。」
「あ?んなこといってもよ、おめえしけてんなこれ。
酒は入ってねえしなんもねえよ…このチーズもらって帰るわ。」
折部はもう一回お茶をすするとその背中に声をかける。
「確かめないんだね。あの後のこと。」
「お前こそ確かめないんだな。」
「なんのこと?」
折部がしらじらしく答えるとアッシュの右肩がわずかに持ち上がったのがわかった。
肩甲骨のあたりが盛り上がっている。
さすがにこれ以上殴られたら体調が体調だけにまた気絶しかねない。
仕方なく折部は答えることにした。
「彼は誰かな?って聞いたら答えてくれるのかな。」
「つってもさあ、そんなに長々と説明するような間柄でもないぜ。」
アッシュは手に持ったベビーチーズを1つ口にほおりこむ。
もぐもぐと口を動かしながら頷く。
「ありゃあ俺のグループ一緒でまあ結果としては不思議なんだけどさ。手ェ組んでるって体だ。」
それを聞いて折部は笹原のことを思い出す。
アッシュが嘘を言っているようには思えない。
そうなると…そういう変わった人間は少なくないということか。
「かわった人だねえ。」
「かわった奴だよ、いやなんでかは俺も知らねえんだけど。」
「わからなくは、ないよ。
君の人格は裏表がなさそうっていう点では群を抜いてるよ。」
「なんかそれ、喜んでいいのかわかんねえな。」
アッシュはまた下品にゲラゲラと笑う。
そういえばもうひとつ、あの時の彼に対する態度について聞いていなかった。
もうすこし流れをつくって聞いてみるか。
「ああ、あとなんか『仲間はずれ』じゃなさそうっていうのもわかるよ。」
「なんだよそれ…それも喜んでいいかわかんないぞ。」
「ははそっか。でも、まあいいことなんじゃないかなあ。」
アッシュがチーズを1つ投げてよこす。
包装をのけて折部も口にほおりこむ。
濃厚な味が口の中に充満していく。
「で、アッシュのお好みなの?その…えっと。」
「フランボワ。」
「なんだかお菓子みたいなお名前だねえ。」
「いやフランボワとは言ってたけどあいつの夕食のデザートだったっつてったから。どっからどう聞いてもこの上ないくらい偽名なの確定だろ。」
「そうなの?」
「おいおい、ミスターフランはそんなスイーツな見た目してないぞ。
どっちかっていうと…あー…一時間くらいフライパンにかけたラディッシュか。」
「んー、よくわかんないや。」
一応アッシュが敵だなんていうのは邪推だったということだろうか。
折部はいったん胸をなでおろす気持ちで会話を続ける。
とりあえずアッシュがなにか隠そうという腹ではないらしい。
「でもなんか裏がある気がしてよ。」
「そういえばいやに真面目な顔してなかったかい?」
「いやに…って、正義。俺それ改めて言われるとなんか腹たつわ。
あいつよぉお前とは違う意味でジョークが通じないんだよな。
あれが日本人じゃないならドイツ人なのかなあ?」
「今日結構ぐいぐいくるね?」
「お前殴って機嫌がいいんだよ、超ハッピーってやつ。」
「そっかあ。」
なんだか色々危ない人の発言だが。
折部は思わず苦笑いを返す。
「で?その人と色々こう、やりとりをしてるわけなんだね?」
「まあそういったとこ、そんなにアテにしてねえけど。
まあ俺のグループの協力者ってことでいないよりかはいいかなあと。
なんか怪しいことがあったら言ってやるよ。あ、手羽先あんじゃん。」
チーズに加えて手羽先までその片手におさめている。
折部はというとそのフランという人物の人格に眉唾な思いしかなく…
ちょっと首をかしげた。
「斑鳩くんがいるよね?彼は」
「いやあいつ俺だいっきらいだろ、しかも変わり者ときた。
そうそう特別なことがない限り一緒に行動とかねえよ。」
「そっかあ。」
「あっ、煮卵もあるじゃんこれももらって帰るわ。」
アッシュはひょいと腰をあげると玄関に向かって歩いていく。
折部も見届けにいそいで小走りでおいかける。
あとその片手にむき出しで持って帰ろうとする3つのつまみを入れる袋も。それをうけとるとアッシュはまた下卑た笑みをうかべる。
「んじゃ、俺帰るわ。」
「あのさ、結局俺の約束破ったことは聞かなかったけど…」
折部がすこし申し訳なさげに切り出す。
しばらくぽやんとした顔をして思い出したと言わんばかりの顔に戻るアッシュ。
「そうそうそれで腹たって殴りにきたんだよ。
殴ったら忘れちまってたわ…あーそういやそうだな。
あの一件のせいでお前の信頼がちと落ちちまったのは事実なんだが…まあなんだ、フランがいたら俺でも逃げるわ。
っつことでノーカン…」
といいかけて、止めた。
そしてにやりとまた意地悪な笑顔を浮かべて折部を伺う。
「にはしないでおくわ!
じゃあ次さ、俺のグループの『仲間はずれ』さんがいたら協力しろよ。お前が嘘をつけれねえように俺がこの目で見てやるから。」
「別に俺は嘘つかないんだけどなあ、でもいいよ。
ああ、あと。」
折部はケータイ電話をとりだす。
「連絡先きいてなかったなと思って、アッシュはケータイもってるっけ?」
「ああ、そういやそうだったか。」
「これ俺の携帯番号とアドレス…というやつだよね。」
2つの情報をメモ用紙に走り書きして渡す。
アッシュはしばらくそれを見たあと、小さく「おう」と返事した。
「あとちゃんとチャイムならしてくれたら入れてあげるから。
今日みたいなのやめてねえ、心臓に悪いよお。」
「俺も包丁持ち出されるの心臓に悪かったけどな…んじゃ。ああ、よく寝とけよ。」
ぱたんとドアを閉めて出て行った。
フラン…という名前なのか、あの育ちのよさそうな外国人は。
色々と考えてしまうが…。
いやでも、大丈夫だと思っておこう。
今の時点でアッシュがなにかフランと企てて折部を陥れようとか
そういう気配もないし、嘘もついていないそぶりだった。
もしくはアッシュの命を狙っているのかもしれない。
そうなら余計無駄な心配だろう。
あれだけ悠長に折部をピザを食べながら待つような人間だ、
そう簡単にやられるような気だけはしない。
「(アッシュはもしかしたらかなり強いのかもしれないな)」
そう思って微笑んでいたら、もう一回ドアが開いた。
アッシュが半身だけのぞかせたままなにか箱を放り投げてきた。
…黄色いパッケージ、これは風邪薬か。
「拾った、そこのゴミ収集所んとこで。」
「ありゃそう。いいもの拾ってきてくれたね。」
「鍵閉めとけよ、いいとこ住んでんだから。」
そう言い残すと大きく音をたててドアを閉めて出て行った。
その不器用を超えた不器用な優しさに思わず口角が少しあがった。
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