第13話
足取り軽いその後ろ姿についていくと小高いビルの前についた。
慣れたように勝手口のようなドアを開けてその階段をのぼっていく。
ふと、彼は足を止めた。
そしてまたあの何を考えているのかわからない微笑み顔を突き付けてくる。
何か食べ物を買ってきましょう、と提案してきた。
折部はしばらく考えた後なにか美味しいもので、と答えて同じく微笑み返す。
先に屋上にいってまっててほしいという彼に合わせてのんびり階段をのぼっていく。
屋上の眺めは6階ということもあってなかなかに見通しがよかった。
虹倉町でもこの高さの建物が密集している場所はここぐらいかもしれない。
目を細めて眺めていると、後ろから声がかかった。
白い紙袋を片手に持った彼だった。
…折部が屋上についてから、10分もかかっていない。
「随分と早くないかい?」
「ええ、お腹すいてるんでしょう?これでいいですか。」
彼が手渡してきた紙袋をのぞくとドーナツが入っていた。
確かこれは有名チェーン店のもので種類はスタンダードなものばかりだ。
この店はこの周辺になかったはずだから、それこそこれを買いにいくだけでも歩いて10分はかかる。
「適当につまんで食べてくださいな、あっ僕ももらいますが。」
「うんうん、一緒に食べよう。」
壁にもたれかかって座った折部はいちごのチョコのかかったドーナツを取り出す。
この店にいくといつも買って帰っていたものだ。
口にするといちご味独特のいちごとは少し違う甘みが口にひろがる。
少女的な甘さ、というたとえ文句が頭に浮かんだが恥ずかしいので急いで消し去る。
ここ最近は店にもうしばらく行っておらず一種の懐かしみすら感じさせる。
一方彼はチョコのかかったドーナツをつまみだし、屋上の手すりにもたれかかる。
ひとつ体重をかける場所を間違えれば落ちそうだな、と折部はひやっとする。
「もしかして、あなたが僕の…『前任者』と言えばいいのかな?吊るしあげたんじゃないかなと思いまして。」
唐突に本題を切り出され思わず驚く。
それと同時にドーナツが喉に詰まり少しむせてしまった。
「凄いこと言い出すね、君。」
「ええ、あっ。お名前聞いてませんでしたね。」
「ん?ああ、俺は折部正義だよ。えーっと…転入生、さん?」
つっかえながら口にした最後の一節に対して彼は苦笑いを返す。
名前を知らないのはお互い様だった。
「失礼、僕は笹原。笹原雪男です。呼び方はご自由に、折部さん。」
「じゃあ笹原くんでいいかな、ドーナツ2つ目もらうよ。」
「どうぞ、お好きなだけ。意外と食べるんですね。」
折部がもう1つ、スタンダードなチョコレートのドーナツをつまみだして食べる。
さきほどの甘ったるさが9割はしめそうな味とは違い少し大人向けのような苦さが垣間見えた。
コーヒーがほしくなる味だなとつくづく考えてしまいつつ彼に反論する。
「君は勘違いをしているんじゃないかな?俺はもう同じ班の人と歳が多分10くらいは違うよ。
正直こうやってごはんを食べたり眠ったりするのが一番の娯楽になりつつあるくらい身体が動かない。
悲しいこと言わせないでよ、泣いちゃいそうだよ。」
「…しかし、あの場に呼ばれたということはイドラメンバー。つまり、それなりに動くのでしょう?」
「テキパキは動かないよ、だいぶ鈍いし俺の『仕事』の頻度は一週間に一度程度。
さっき一緒にいた子に頻度聞いたらなにやら3日に一度はくるそうじゃないか…。
こうなるともう俺も老害扱いされてるんじゃないかな。」
折部は哀しげに笑う。
自分はもう、夜々や斑鳩のように若くはない。
おそらく同年代のようなアッシュのように年齢より若く動くというのは折部には不可能だろう。
力は少しあれど、機動は彼より劣るだろうなと思う。
考えれば考えるほど現実問題として切なくなってきた。
「そうですか、折部さん何歳なんですか?僕と変わらないくらいかと思っていましたが。」
「もう30、だね。はは。三十路突入ってやつだね。」
「お若く見えますよ、少なくとも僕と同じくらいの20代半ばのような外見をしていらっしゃる。
僕のような若造の男に言われるより女性に言われた方が喜ばしいでしょうが。」
「そんなことないよ、言われる分には嬉しいよ。ありがとう。」
折部は3つめのドーナツを取り出して口に運ぶ。
見ないで食べたがこれはホワイトチョコがかかっているらしい。
さきほどのチョコレート味と同じく控えめだがミルクのような独特の味。
初めて食べたがなかなか好みの味だ、覚えておこう。
この場合はブラックコーヒーかな。
「まあ、僕の勘違いであろうがなかろうがその感じだとあなたは『前任者の最期』については語ってはくれないようだ。」
嘘をついてしまっているのは少し申し訳ないが、まだ会ったばかりだ。
それに…破ってしまったとはいえアッシュとの約束だった、その価値を安くするのはよくないだろう。
口の中の甘いチョコレートの味を『嘘の味』と割り切ってやり過ごすしかない。
笹原の視線は、まるで折部の心の中を見透かしているように見つめてきているが。
「まあ、仕方ないですよね。僕も深く詮索する気はないですから。」
紙袋の中にはあと2つドーナツが残っている。
うまく会話を終わらせたい、この男との居心地は折部にとってよいものではない。
斑鳩と同じく終始敬語なのは慣れているからいい。
だが品の良さを匂わせるための敬語が斑鳩なら、この男は人の好さを押し売りしているかのような狡賢い敬語に感じる。
指に残ったチョコを舐めとりながらなんとか糸口を探ろうとする。
「あのさあ、転入生だったんだよね?前はその、なにしてたっていうか。仕事は?」
「ん?ああ、僕は『宅配員』でしたよ。」
「へー!宅急便とか?あっ、郵便屋さんもあるかあ。」
そう言うと、笹原はくすくすと笑った。
「ああ、そういう意味ではなく。まあ仕事もイドラも『宅配員』だったんですよ。」
「へ?どういうこと?」
「知らないんですか、イドラ構成員はね、『殺し』だけじゃないんですよ。
要はまあ『運び屋』っていう部類もありましてね。
何の因果か、僕はそこに巻き込まれてしまったわけですよ。」
「…初耳だよ、本当に?そんな部署が?」
「ええ、信じてもらうかは別にして。だから僕、あまり殺しに関しては下手だと思うのでお手柔らかに。」
彼はそう言うと、一口ドーナツをかじった。
折部ももう1つ次のドーナツをかじる。
とろっとしたメイプルシロップがなかからあふれだしてくる。
少し甘すぎるかな、でも美味しい。
甘いものは心を満たしてくれる大きな存在であり、思わず表情が緩んでしまう。
「俺は多分もうそんなに元気に活動できないんでね、他の子に気を付けたほうがいいんじゃないかな。」
「なるほど。まあ、お互い死なないようにしましょうね。」
やっと1つ食べきった笹原が紙袋に手をのばす。
そして少し驚いたような表情を見せた。
ああ、そういえば…
「ごめん、すごい食べちゃった。残り1こだね。」
「折部さん結構食べるんですね…もしかして着痩せするタイプですか?」
「は、はは。体重計に乗るの怖いときあるよ…」
「ああ…まあ、食欲が極端にないよりいいと思いますけど。ああ、そう。」
笹原はわざと思い出したように話題を切り出した。
次に出てくるのが本題だと折部は感じた。
彼は今までと少し違う真剣…いや、少し鬼気迫った表情で話しはじめた。
「もしイドラの中で、子供…中学生か高校生くらいの口元にほくろのある人。見かけたら言ってください。」
「ん?さっき俺と一緒にいたの…ではないよね?」
「彼よりもう少し落ち着いた感じの子供です、さきほどいらっしゃった『オレンジジュース』の子ではありませんよ。」
「その子がどうかしたの?」
「ええ、ちょっと…」
笹原の目の色が変わったような気がした。
とりあえず尋常じゃなくその少年に対して執念を燃やしているような。
もしかして彼を…
「その子を、殺したいとか言わないでね?」
「はは、言ったでしょう?僕は殺しは下手だと。そいつを見つけたら、生きて、渡してください。」
笹原はドーナツをくわえてそうこぼす。
まるで、何かを憎んでいる…いや、許さないといった目だろうか。
彼の人の好さと似合わない眼だ。
折部が怪訝に思っているのがわかったのだろう、すぐに頬をゆるませ微笑みに戻す。
そして片手を差出し、折部の右手と無理矢理握手を交わす。
「それじゃあ、よろしくお願いしますね。ああ何か用がありましたら遠慮なく。
これ、僕のメールアドレスと電話番号です。」
「う、うん。」
右手にいつの間にやら紙を握らされている。
なんという押しのつよい男だろう。
笹原はにっこり微笑んだと思ったら、瞬間振り返って走り屋上から飛び降りた。
あまりに驚愕の光景に思わず折部は身を乗り出して下を見る。
隣のビルに飛び移ったようだ。
そのまま何事もなかったかのように走り去っていく。
フリーランだかパルクールといったか。少し前にテレビで見たような気がする。
なるほど『運び屋』の真骨頂というわけだ。
「(まったく、なんだか変わった人間ばかり集まってくるなあ。)」
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