第14話

翌日の夕方、折部は昨日自分が食べたのと同じ店のドーナツを購入した。

いつもならこのままバスで虹倉町のジュアン…といったところだが、

今日は電車に乗り込んだ。

この雪見市からだと虹倉町より少し遠い『雹道』という場所。

駅を降りると思わず安心の吐息をついてしまう。



この町は雪見や虹倉よりずっと『ガキ』の侵攻が及んでいない。

いうなければ安全地帯、といったところだ。

特別なにかに巻き込まれないかぎりは暴力沙汰もない。

中心的部分は色んな施設が密集しており娯楽も十二分。

ショッピングモールは大型であり流行りにのっとったものがほとんど

医療施設も先進的で治せない病気はないんじゃないかとまで噂され

そこに所属する医師も腕利の集まりで白鐘帯の医療の集大成といったところだろう。

数年前折部も会社のすすめの人間ドッグでお世話になったことがあるが

どこの病院もえらく大きかった。

そう、この場所はある時代の白鐘帯が繁栄したままの場所。

…こういうところだらけであれば、平和ということなのだろうな。

乾いた悲しい嗤いがこみあげてきそうだった。





大通りを抜けて、住宅地へと入っていく。

小さな子供が集ってはしゃいでいる声が耳に響く。

この音もこの土地くらいでしか聞かなくなってしまったなと苦笑する。

そしてその声がひときわ大きく聞こえる場所、公園。

その公園の隅のほうに1つ青いベンチが据えられている。

折部はそこまで近づいていく。

近づくにつれ折部に向けられるひそひそ声は見目麗しいその外見ではなく

ベンチに近づいていることに対しての軽蔑の声に変わっていく。


鮮やかな青いベンチに不似合いなほど、

全身真っ黒のナイロンジャケットを着て俯いている少年。


彼に向かってドーナツの入った紙袋を突きつけ、微笑む。


「甘いもの、嫌いじゃなかったよね?」





フードを被ったままうつむいていた少年はドーナツの1つをかじっている。

折部はというとその様子をにっこりと横から眺めているだけだ。

少年はやがてがつがつとドーナツを口に運び始める。

満足げな笑顔で組んでいた脚を組み直した時、彼の顔が折部のほうに向いた。

わずかに木漏れ日で照らされた顔は折部にしか見ることができない。

それはきっと幸運だった。


「おいしい?」

「…うん。かなり甘いけどおいしい。」

「うんうん、おいしいんだもの!きっとお前もおいしいと思って。」


そう言ってもう一段と満足げに笑う。


「たったこれだけのために来たの?…親父。」


呆れたようにため息をつかれる。


そう、彼は折部正義の実の息子の頼人。

だが折部頼人、ではない。

というのも折部と彼の母親は別居中であり今現在別姓であるからだ。

その理由は、彼のこの全身のジャケットの下にある。

今もドーナツに手を伸ばす時に少し見える手首にも見える。

…無数の火傷や、痣や傷。

それは実は今折部にしか見えない顔面にも無数にある。

何度会っても、減ることはない。


「足りなかったら買ってきてあげるからね。」

「うん、でも僕親父みたいにいっぱい食べるわけじゃないから。」

「ええっ、そんなに食べてるかなあ。」


意地悪な一言にまた苦笑してしまう。

というより頼人自身があまりにも細すぎる。

食べ過ぎどころか最低限すら母親に食べさせてもらえているのだろうか。


「ねえ。」

「なんだ。」

「…大丈夫?いろいろと。」


そう呟くと、頼人の手がとまる。

大丈夫じゃないなこれはと折部は宙を仰ぐ。

子供の鬼ごっこの声と乾いた風が吹き抜けて、頰をかすめる。

風に運ばれた砂が頼人の肩についたのをはらってやる、と。

悲しげな顔で彼はうつむいていた。


「親父、いつうちに帰ってくるんだ?」

「…ごめん。」

「いいよ、もう。大丈夫。親父仕事忙しいんだろう?」

「ごめんよ、きっともう少しで父さんも手立てを…」

「じゃ、あな。こんなとこ見られたら母さん怒るだろ。」


空になった紙袋を置いて彼は足早に去っていこうとする。

かける言葉が見つからずにしばらく考えたあと、一言だけかけた。


「辛いとか怖いっていう想いは、形にしていいと思うよ。」

「…」


彼はそのまま背を向けて去っていった。

残された折部は一人項垂れる。

親子の関わりが下手くそすぎる、と笑われるだろうか。

今年13歳になる息子よりそう歳もかわらない夜々のほうが言葉が多いのは一父親として笑われても仕方がないことだと思う。

彼とはどうも距離が測りづらく会話もすすまない。

いつもこう両手で数えれるくらいの会話しかできない。

どうにかしてあの窮地を救ってやりたい。

だが…今は彼の母親と直談判して話が通じるとは思えない。

本当は機会あれば自分のマンションにとどめてやりたいくらいだ。

でも、彼はそれを望まない。

母親と離れることをしようとしない。

そうなってしまうと折部も取る手段がない。

顔を覆ってわしゃわしゃとかき乱す。

あのちらりとみえた手首すら脳裏に焼き付いて離れない。


—ピリリ


無慈悲なケータイの通知音がポケットからする。

夜々だろうか、まさか…アッシュ?

そう思いケータイを取り出す新着メールが一件。


「…水道局…?」


なんだろう、水道代は口座引き落としだし空にした覚えはない。

首をかしげつつメールの本文に目を通す。


『水道局職員へ通達。

 水道管破裂の事故が発生したとの連絡がありました。

 至急向かってください。

 場所は以下URLより。以上』


業務連絡そのまんまに締めくくられたその文。

…無慈悲をこえたなにかにも思えてくる。

気が参っている時に『仕事』の連絡がくるとは、気が滅入る。

だが仕方ない、折部はケータイをポケットに戻して紙袋をゴミ箱へと突っ込んだ。





再び電車に乗り、少し離れた町へと移動をする。

URL先は地図案内サービスにあらかじめ住所が打ち込まれたものだった。

折部は電車を降りる。


「(まさか、帰り際にお仕事がくるとは思わなかったけど。)」


雪見市に帰ってきた。


今更だがこの雪見町という場所もまた正確には分断されていないものの住民意識としては2部分にわけられている。

今回のこの住所は折部の住居のある方向ではないらしい。

駅から北に向かうのがベッドタウン方向、こちらに折部の住むマンションもある。

一方地図が指し示しているのは南方向。

スーパーやパチンコ屋、商店街なども点在する場所だ。

廃れたところも勿論多くあまり繁盛しているとも言い難いが

それでも少しだけ収入がいい人間が住む場所だけあって外食する住民も少なくなく地域住民の支えあって今も続いている店がちらほらといったところ。


折部は目でその場所がどこらへんにあるか憶測をつける。

この近くのスーパーには裏にトイレがあったはずだ。

もう深夜になった南側には人通りがほとんどないはずでもある。

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