第5話
翌日の夕方。
約束の時刻より数時間早く起きた折部は上着に袖を通し
分厚い紙の入った封筒をリュックに詰めた。
昨日の雨でじめじめとした外の空気を目一杯吸って階段を降りる。
最寄駅までは歩いてそんなにかからない。
せいぜい10分程度といったところだろうか。
30分置きごとに雪見駅にとまる電車に乗り揺られつつまた30分。
着いたのは風早町という中心街。
ここは今はこの空文区という大きな区画の中でも
雪見市より虹倉町よりいくらか平和でまだ比較的以前通り生活できる
数少ない都心部である。
町は『東部』と『西部』に大きく分けられており
今いる『東部』と呼ばれる部分は派手な娯楽施設やアミューズメントはなく
ある程度のチェーン店や、多くは安いマンションや住宅街といった
折部の住む雪見市よりは少し低所得の人間向けのベッドタウンだ。
その代わり各市町村あたりの総人口が一番多く安全という面は少しだがある。
一方の『西部』はこの風早という場所の娯楽施設のほとんどを収束させており
楽しみを忘れた人間にとっては雀の涙ほどでも癒しの場になることだろう。
その代償として東部に比べるとこの西部は数字がいくつかとんで
安全でいられる確率は低い、同じように『ガキ』も集まってくるうえに
ほうけたように酒を片手に予想のつかない行動をする市民だっている。
簡単に言ってしまえばごく軽めの無法地帯。
そして、風早東駅をでて20分ほど歩いた奥まったところにその場所はあった。
「あっ先生」
小さな雑居ビルの一階の応接室に腰掛けて待っていると
見慣れた若い男がやってきた。
折部より5歳は若いであろうその男は折部ほどではなくとも
十分に爽やかで眉目秀麗であった。
彼は眉をひそめながら折部の前に座ると出された封筒を確認した。
「先生また一週間遅れですか…」
「いやあすまんすまん。なんかね、ちょっと忙しくなっちゃって。」
「ハァ…原稿は早めにお出し下さいね。」
「でもまあ本締め切りは明日じゃないの、気にしない気にしない。」
「そんな悠長な…」
若い編集者、黒澤拓郎は深いため息をつき封筒を受け取る。
一方の折部はといえば悪びれた様子もなくにこにこと茶をすすっている。
昔の思い出ではこの会社もかつては大きなビルに事務所をかまえていたのだが
そのビルが『ガキ』どもの巣になってしまった今
こうして追いやられるように小さいビルで経営を強いられているのだ。
雑誌の刊行率は優秀なくらいだし資金としては十分なのだが
面倒ごとはおこしたくないタチなのだろう。
二度同じことを起こさないようにこうして隠れるように会社として在る。
折部は思い出したかのように大きな封筒を3つほど取り出した。
「へ?先生なんですかこれ。」
「なにってこの先、3ヶ月分くらいの定期連載の原稿だよ。
少し手間を減らしたいなとおもってて、急な企画以外はお暇を…」
「ええっ、そんな急に言われても困りますよ!」
「やっぱりそう?
でも前からちょっと校正とか任せつつあっただろう。
いまの黒澤くんなら大丈夫だって。まあたまには顔だすし、ね?」
「うぅ…わかりましたよ。連載ものを遅れて出されるよりまともですからね…。
ところで先生がここまでやる氣を出して書いてるなんて珍しい。
お暇をもらいたいって言ってましたけどなにか大切なことでも?」
「ん?まあそんなところかな。
ちょっと知り合いの調査を手伝わざるをえなくなっちゃってね。」
「知り合い?地質学者かなにか…あ、先生危険なことしようとしてません?!
だめですよ前みたいに突撃取材もどきのことやったら!」
「そんなんじゃないよ。まあ俺の数少ない趣味友達みたいなものだ。
まあしばらくの間は俺のそれはきみに任せるぞお、黒澤くん。」
そう言って折部は黒澤の肩をぽんとたたいて席をたった。
去り際なにか言っているのが聞こえたが折部は構わず階段を降りた。
この出版社では折部はそこそこ名の売れたライターだ。
社内では誰も折部のプライベートに踏み込めないし文句も言えない。
なによりその放浪癖のような足どりはだれにだって追えやしない。
それはイドラに所属している折部にとっては都合のいいことなのだが。
時計を見るともうそろそろアッシュとの約束の時間が近いことに気づく。
幸い待ち合わせ場所のレストタワーは同じ風早町の東部である。
小走りで折部はレストタワーの位置する東部中央付近へと向かった。
「もう来てたのかよ。」
待ち合わせ時間5分前にきたアッシュは息をつく。
折部はというと文庫本片手に近くのベンチに腰をかけ、
自販機で買った安い缶コーヒーを飲みながら読書にふけっており
ここについたのは20分くらい前だった。
アッシュの声に顔をあげにこにこと小さく手をふる。
「つか、今日リュックかよ。」
「ん?リュックはとても楽じゃないか。」
「そんなこたあ聞いてねえんだけどよ、手ぶらのイメージだったから。」
「ああ、今日ちょっと仕事の関係でね。事務所よってきたんだ。
こんなに早く起きたのもいつぶりだろうね。16時起きだった。」
「おせえじゃんかよ。ていうかなに、仕事してたんだあんた。」
折部の横に腰掛けタバコを取り出した。
この男はところかまわず人への影響も考えず吸い出すらしい。
確かにくすんだブロンドからは昨日もタバコの臭いがしていたか。
折部はコーヒーをもう一本取り出しアッシュにすすめた。
「もう一本でてきたんだ、あたりだったみたいでね。」
「おーおーそりゃめでてえけどよ、俺はコーヒーはいいわ。」
「そうだったそうだった、アッシュはこっちかなとおもってさ。」
折部はリュックからビールを取り出して渡すと、
アッシュは卑屈で歪んだ笑みを浮かべてプルタブをひいた。
「あ?…わかってんじゃねえかあんた。これだよこれ。」
「よっぽどの好き者らしいね。
会って早々ビールを飲む人間から俺は無職だと思われていたんだね。」
「だってあんたぼんやりしてっし、なんの仕事してんだよ。」
「物書きだよ、雑誌とかでちらちらみないかな?」
「物書きぃ?」
ビール缶を横に置き、2本目のタバコを奥歯に噛み潰しつつそう言う。
なかなか火がつかなくて苦心していたので思わずリュックから
ライターを取り出し一発で火をつけてやった。
「サンキュ、ていうかあんたなんでライターなんか持ってんだよ。喫煙者?」
「俺は吸わないんだ。職場でもらったんだよ、そこで働いてて。」
「悪いけど俺本とか買う金あったら酒とタバコに費やしてっから。」
アッシュは乾いた笑いをこぼしつつ浮浪者そのものの動きでタバコをふかす。
その横顔を見て折部はつくづく勿体無いなあと思う。
くすんだ金髪や顔についた汚れが先行して目に付くし浮浪者の仕草もあるのだが、
顔のパーツ自体は悪いものではないしむしろ整っているというのに。
「おい、おい。なにぼやっとしてんだよ正義。聞いてんのか。」
「あ、ああ?ああ悪い。ちょっと考え事だ。」
「つかよ、お前ほんとに吸ってないのか??
吸ってない奴は一発でタバコに火つけられるとはおもえねえんだけど??」
「残念だけど吸ってないよ、まあ昔若気の至りで吸おうとしたことはあったけどね。」
折部はコーヒーをもう一杯口にふくみ飲み込んだ。
「もう、肺がしんどくてやめたんだわ。」
缶を放り投げ一発でゴミ箱に入れたところで折部は脚を組み直した。
ライターをそのままアッシュの空いた右手に握らせ目をつむった。
1分もしないうちに折部はろうを漕ぎ始めた。
「おいコラ。」
アッシュが頭をパァンと叩くとぼんやりと起きた。
「手厳しいなあアッシュは。」
「こんな夕方から寝るやつがあるか。」
「いやあ昼寝の時間がせまってたものでね。
さあつぎはなんの世間話をしたらいいのかな?今朝どっちの足から出たか?」
言い回しの意図に気づいたアッシュはビールを飲み干し、
タバコを足で消して握らされたライターをポケットにしまった。
「一応確認しとくけどよ、今日は『あっちの』仕事きてんのか?」
「今日は君との用事だけしか予定はなかったと思うよ。帰りに黒飴買いたいけど。」
「あ、そ。ならいいんだけど。俺もわりと近くにやったからまあ…
ねえと思うんだけどよ。」
アッシュは唐突にケータイを取り出し目線をおとしいじり始めた。
同時にまた折部も文庫本のページに再び目線をおとす。
二人の少し向こうを会社員風の日本人男性が歩いている。
しかし彼はなにかをうかがうようにキョロキョロしたあと、
ビルの間のほうへと入っていった。
「あいつ、どっちだと思う。」
アッシュが囁くようにケータイに目を向けたまま声をかける。
折部は文庫本のページをめくり
「さあ、わからないね。でもそういう顔に見えないけど。」
「お前がそれを言うのかよ。いいけど。」
「でも今の注意の仕方はどう考えても怯えてないし日本人に注意してる感じだね。」
「てことは、『おともだち』か。」
アッシュはそう言うと口の端をニヤリとつりあげた。
面白くなってきた、と顔にかいてあるようなものだ。
ここまで組織に深入りしてなおかつ楽しむなんていう人間は少ないだろうし
それに付き合っている自分もまた変わり者なのかなと折部は少し思った。
「突き止めて中のやつも殺してやりてえけどなあ…」
「こちら側に入り口がある建物は1つしかないんだけどねえ。」
「じゃあ楽じゃねえか。とりあえず中に押し入ってみればわかるさ。」
アッシュがケータイをしまった時だった。
「あっ!なーにしてんすかこんなところでさあ。」
遠くから声をかけて近寄ってきたのは制服姿の夜々だった。
どうやら一人だったらしくなんの気兼ねもなくひょいひょいと寄ってきた。
それを見て手を振る折部と舌打ちをするアッシュ。
「あーっ、態度悪くない?」
「外でよってくんじゃねえよクソ子供。」
「あっバカにしてる!」
「おかえり夜々くん、学校この近くなの?」
「そうそう、僕この近くの高校通ってるんすよ。
まあ実質…こんな状況じゃ出席もかなり自由になっちゃってるんだけど。」
「そんなヌケヌケと個人情報くっちゃべっていいのかよ。」
実際さっきからアッシュが言っていることはかなり正論である。
おそらく自分たちが殺している『ガキ』どもは『イドラ』の存在を
正体や実態は知らずとも脅かす存在として警戒はしているはずだ。
それは自分が仕事に行った回数と照らし合わせるだけでも少なくはない人数が
消えていることになっているのだから。
年がそれなりに近い折部とアッシュならまだしも
歳が一回りも違う高校生の夜々が知り合いというのは言い訳しづらい。
それに『イドラ』はある程度の仲間としての線引きはされていても
お互いのことを詳しく知っているわけではない、
いわば本当に仕事上で同じ敵を殺しているわけであって内心などは知らない。
そもそも他に同職を見つけなければ折部のように集団であることもわからない。
すると夜々はあっけらかんとして顔をしてアッシュに詰め寄った。
「俺はべつにそんなちっちゃいこと気にしたくないんだけど。
まあそんなことより…
なんかこんなのが届いてないっすか?」
夜々はスクールバッグから深緑の封筒を取り出してひらひらとした。
見覚えがない…というより今日は折部は郵便受けを見るのを忘れていた。
昨夜は仕事が1つもなかったので確認は必要なかった。
「今日は誰かの誕生日だったかな?」
「あはは、なんかよくわかんねえっすけどジョークっすよね…。
金髪のほうのオッさんは知ってる?」
「ここくるのに早めに出てきちまってるし、あっても多分すれ違ってる。
だいたい俺には郵便受けなんて小洒落たものは持ち合わせてねえよ。」
「小洒落てもないでしょ!?必要なもんだって…
ほんとおっさんらそんなんでよく『イドラ』で仕事して生きてますよね。
なんか一回くらいは『仕事』すっぽかしてそう。」
ため息をつきながらアッシュの隣に腰掛け夜々は封筒から紙をとりだす。
中身は白紙の紙が一枚。
「なんだよこれ、冷やかしか?」
「ん?裏になにかあるのかな?」
夜々は頷きながら紙を裏返す。
そこにはあの時折部が読めなかった筆記体の英語が並んでいた。
これは…ああ、この筆記体といえば。
あのバー『ジュアン』のことだろうか。見覚えもある。
折部と夜々に挟まれたアッシュの貧乏ゆすりが視界のはしに見えた。
「少なくともあのバーに招待されてるってことは確かだよね。」
「あんのクソ女…何か企んでやがるのか?見つけたら殴って吐かせてやる…」
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