第4話
翌日の晩。
折部は『仕事』の連絡がきていないことを確認すると
足早にジュアンに向かっていた。
昨日と同じバスに乗ればそこからはもう覚えている。
一度行けば分かりやすい場所なのに裏のほうにあるせいで
最初から一人で見つけることは難しいという素晴らしい立地だ。
軽い音をたててとんとんと階段を上っていくと少し騒がしかった。
いやがやがやとしているわけではない、昨日があまりに静かすぎたのだ。
それこそアッシュの殴打の音が十二分に響くほど。
今日はこそこそといろんな声がしている。
受付に昨日の女店主が立っているので顔をあわすと、
さすがに昨日の今日で覚えていてくれたようだ。
少しだけ笑ったと思った。
表情の乏しい女だったからもの珍しさを覚えて受付の前まで歩み寄る。
「別に口説いているわけじゃないんだけど、名前は教えてもらえるかな?
ちょっとこのお店にはお世話になりそうだし勝手がいりそうだ。」
日本語でつたえてしまったせいか、女はすこし首をかしげた。
しかし少し後によく聞かれるのか、察した様子でメモ帳にペンを走らせた。
「り、り、リノン、でいいのかなこれは。」
つっかえながら言う折部にくすっと笑い女店主は頷いた。
昨日はゆっくり見られなかったが若い綺麗な白人女性だ。
おそらく折部よりもいくぶんも下だろうなと目測をつけてしまう。
「喋れはしないが聞き取りはできるんだね。」
リノンは人差し指と中指を少しだけ浮かせた。
「少しだけ、ってことかな?
全く会話できないってなったら少しさみしいからね、助かるよ。
ああ時間くってしまったね。席は今日あいてるかな。」
最後の言葉をゆっくりしゃべって尋ねると彼女はそのポーズのまま折部を先導した。
店内はきのうとは違って人々がまばらではあるが数人座っていた。
日本人であることや、ささやいている内容からしてどうやら
あの『ガキ』どもの餌食になりかけて逃げてきた人間だらけらしい。
リノンは凛とした表情のまま昨日と同じテーブル席に案内した。
先客が二人座っていることから見ると相席、ということらしい。
二人のうちのひとりの後ろ髪を1つにたばねおろしている男が口を開く。
「この店では相席は珍しくありませんよ、お気になさらず。」
「そうそう、別に僕らそんな気短くないし!」
彼の隣に座っている高校生くらいかの若者が飲み物片手にだらけている。
こんなところになかなか不似合いな年齢ではなかろうか。
椅子は四角形のテーブルをとりかこんで各辺に1つずつ、計4つ置かれている。
長髪の男の正面にあたる席に静かに座り、
リノンに昨日のやつでとメニューを頼み彼女は厨房に戻っていく。
「あなたも常連ですか?」
「いいや、昨日ちょっと連れて来てもらってね。二回目だよ。」
「ふ〜ん。ねえ、昨日のってなに?」
「お茶漬けだよ。」
「えっ、しっぶいねお兄さん…」
少年は手に持っていたオレンジジュースを飲むと、折部の少し後ろを見た。
そして更になにか面倒なものがきたかのような顔をした。
「ちえ〜あんたもきたのかよお。」
「あ?そりゃこっちの台詞だ、子供は家でゲームでも…」
そこまで言ってなにか舌打ちがきこえた。
この声は昨日ぶりに聞いている。
予想通りアッシュが折部の横、少年の正面の席に座る。
相変わらずガラも悪く酒を注文していた。
アッシュが来た途端まわりの客も余計ひそひそとなにか陰で言っているようだ。
まるで空気が違ってきた。
それも気にせずアッシュはちらっと折部を見てため息をついた。
「昨日あんな目にあっといてよく、って思ってるかな。」
「分かってんだったらそう思ってんだろ。なんで来てんだよ。」
「お茶漬けが美味しかったからだなあ。」
「くだらねえな…」
そう言うとタバコを上に着ていたダウンベストのポケットから取り出した。
アッシュの格好は昨日着ていた青色の作業着のツナギに水色ダウンベスト、
履き潰した薄汚れたハイカットシューズのままだった。
いかにも浮浪者ですと言わんばかりの格好がものめずらしかった。
この都市に住む外国人は基本的にいやに裕福な人間が多く
浮浪者でいるというのは『ガキ』に追われて破滅したここらへんの元よりの住人くらいだ。
「んだよ、気色わりい。」
「この反応が当然ですよ。いつもその服じゃないですか。」
「これしかねえんだよ、別にいいだろほっとけ。」
文句を垂れながらアッシュはライターで火をつけてタバコを吸い始める。
少年が若干煙たそうにしているのが目の端で見える。
しかし折部の顔を見るともうジュースのコップをテーブルに置いた。
「まあさ、相席とはいえなんかの縁ってやつじゃないのこれ。
僕は神崎夜々、夜々でいいから。よろしくねお兄さん。」
「ガキはガキって名乗っときゃいいんだよ、てめえの来る場所じゃねえだろここは。」
「もー、お兄さんうるさい。」
不機嫌そうに唇をとがらしアッシュを一瞥した。
どうやらアッシュ自体はこの集団に興味がないらしい。
すると長髪の男もコーヒーを一口飲んだあと1つ息をついて続けた。
「私は斑鳩帝二です。取締役をしてます。」
「取締?会社とかやってるのかな。」
「あーそんないいもんじゃないよ…斑鳩さんね、教祖さんだから。」
「こんな時代だからこそ日本人として自由な思考を持つことで
救われることもあるんですよ。」
斑鳩の話によれば彼のいる教団というのはそんなにいかがわしいものではなく
教団員からお金をせしめ取るというのもないそうだ。
参加は基本的に自由でオープンに話を聞く場を設けている程度のものらしい。
しかし彼のその好意のおかげで立ち直った人間も少なからずはいるらしく
立ち直りもう一度社会へ貢献する者の名前を聞けばいくつか知っている者もあり
彼らはお礼という形で斑鳩へ募金をしそれは追いやられた教団員のために使い
残りは運営資金として温存しているということらしい。
終始穏やかな口ぶりの斑鳩の言葉に嘘は感じられなかった。
もしこれが演技だったとしたら彼はとんでもなく役者で詐欺師になれるだろう。
あくびをする声が聞こえた。
「僕にはわかんないわ〜、はい次、そこのでくのぼう。」
夜々が気だるげにアッシュを指差す。
が、アッシュはさされた指をこちらもまた気だるげに振り払った。
タバコの煙がもくもくと夜々の方向へ向かった。
「俺パス、昨日連れてきたの俺だし。知ってんだろ。」
「え〜でも名前しらないし〜」
「適当に呼んでろやブス。」
「うっざ。はいはいわかりましたよ〜。んで、お兄さんは?」
夜々が改めて折部のほうを見る。
斑鳩もコーヒーをのみつつ目線だけはこちらのほうに向けている。
するとアッシュがタバコを灰皿にすりつけて消し、ためいきをつく。
「『ゴーリー』だよ、そいつ。」
「は?」
「なんですと。」
二人がなにか気まずく顔をひきつらせてアッシュを見る。
まるで言ってはいけない呪いの呪文でもとなえてしまったかのようだ。
さっきまでニタニタと笑っていた夜々もこわばり始めた。
斑鳩がコーヒーを置いて少し感情的になったような声で言い返す。
「いい加減になさい。言っていい冗談と悪い冗談がありますよ。
第一『ゴーリー』の存在は『イドラ』内でも未確認で都市伝説のようなもの。」
「僕もそれ同意だよ、イドラ内で会話した人いないんでしょ?」
「俺は昨日聞いたし、お前言ったよな?」
アッシュは隣から顔を近づけて肩に手をまわしてきた。
その口調は優しいようにみえてどこか脅しているようにも聞こえた。
しかし折部は表情1つ変えずににっこりと返した。
「折部正義です、よろしくね。」
「お前昨日黄色いうさぎ頭のイカれ野郎かって聞いたらそうだっつったよな。」
「ゴーリーとか、そういうのは全然知らんけどね。
でもたしかにその特徴で言ったら俺で間違いないんじゃないかなあ。」
二人の顔が怯みから怯えへと変わったのが見えた。
そんなに大したことはしていなかったとおもうのだけれど。
アッシュは満足げに折部の肩から腕をはずした。
「いや…まだ信用できませんね。
第一私達は『ゴーリー』のことはただのおとぎ話としか思っていませんよ。
今まで都市伝説的に語られていたことを信じろと?ばかばかしい。」
「都市伝説でも事実はあるもんだぞ、その証拠見せてやるよ。
今イドラ内で噂になってる5大都市伝説言ってみろよ。」
「え、えっと。僕わかる。」
夜々がてをあげて、右手のうち親指だけを曲げた。
そして目をつむってなにかを思い出しながら呟くように。
「『ゴーリー』、『ジャック』、『ミラー』、『ジョーカー』そして『狼の食卓』。」
それを聞いた折部は首をかしげた。
なにからなにまで話についていけない。
「んん?俺の知らない単語ばっかりだね。
『イドラ』に都市伝説になんだったかな。」
「知らないんですかね、折部さん。」
斑鳩が落ち着いてもう一度コーヒーに手をつける。
「まあ仮にあなたがゴーリーだとしたらイドラという組織の人間との接触も
されていないでしょうしね。いいでしょう説明します。
『イドラ』とは、あなたもなされているであろうあの指令を受けている人間の組織
実際誰が名付けたかは知りませんがイドラと呼ばれています。」
「そー、つまりここにいる皆あんたと同じ手段で目標がおくられてきて潰しにいく
いわばまあ同業者ってやつだよ。」
「イドラを率いてる人間や構成方法については知りませんが
一番上でイドラを見張りすべての指示を取り決めている王は『ミラー』と呼ばれ
『ミラー』は誰も知り得ない都市伝説の一人だと。」
「残りの『ゴーリー』や『ジャック』と『ジョーカー』はメンバーのうちの3人の噂。
というか色濃く知られているメンバーは実は他にもいろいろいたりするんだけど
この三人が成績トップ3みたいなもんだよね。
あんたがほんとにゴーリーかはしんないけど、
ほんとにうさぎちゃん被って首すっとばすなんてやり方なら
僕は折部さんの正気を疑うけどね。」
折部は運ばれてきた茶漬けに舌鼓をうつように食べていた。
途中からもしかして聞いていないんじゃないだろうかこの人、と
夜々がつぶやくがどうやら鮭をすくうのに必死らしい。
「もう1つの『狼の食卓』っていうのは名前しか聞いたことないよ。」
「私も知りませんね。ところでさっき言いかけた証拠っていうのは。」
「俺は実はその『ジャック』の尻尾をにぎってるんだ。
今はまだ見せてやれねえけどさ、マジで大物だ。」
「なあんだ、それだけ?」
夜々が退屈そうにジュースを飲むとアッシュがキッと睨んだ。
その眼光に夜々はきまずそうにごめんって、とつぶやいた。
「俺はこのイドラにただ単に上の言う通りにハイそーですかと従う気はねえんだ。
なんかいろいろさぐりたくねえか?
こいつらにどんな事情があって上はどういう理由で潰せと言ってきてるんだ、
あいつらはなにをしでかしやがったんだ、とかさ。」
「おすすめしませんね、イドラに対して過干渉を行うのは危険すぎる。」
「いいぜ、反抗してこそ面白みがあるってもんじゃねえか。
お前らも手伝え。」
「なんでだよ!いやだよ!」
アッシュが舌打ちをして手をあげかけたときであった。
折部がその腕を左手でおさえていた。
予想外の方向からの抵抗にアッシュは少し呆然としていた。
「やめておけ、ただでさえ外は危険もあるんだよ。
今こうやって仕事をこなしているだけでもどれだけ死ぬ危険を冒しているか。
全部が全部お前のようにうまくいくとも限らない。
あんまり危ない火遊びのお誘いはやらないほうがいいと思うんだよね。」
「チッ、どいつもこいつも腑抜けばかりじゃねえか。」
アッシュは苛立った口調で財布から金を取り出しテーブルの上においた。
そして一言大きな声で帰ると言い放ったあと粗暴にその場をあとにした。
まるで緊張の糸が切れたように夜々と斑鳩がため息をつく。
「ありがと折部さん、あとごめんね正気を疑うとか言っちゃって。」
「そんなこと言ってたかな?」
「あの人はいつもああですね、自己中心的で癪にさわるとすぐに手が出る。」
折部はそれを聞いてニコニコとまあまあとなだめた。
リノンを呼んでアッシュが置いていったお金を渡し会計させた。
といっても何も呑んでいないのでテーブル代くらいだ。
「まああいつはあれでいいところもあるんだろうね。実直で素晴らしいよ。」
「まああのでくのぼうのことそんな優しく言えるの折部さんくらいだって。」
「そうかな?まあ人よりちょっと子供っぽいかもしれないけどそれは俺もだよ。」
「あなたは心がひろいですね、あの様子じゃ昨日はあなたが殴られたのでしょう?」
折部は食べ終えたお茶漬けを膳の上に戻し手を合わせた。
そしてその横にそっとお金を置いた。
「ああは言ってもやはり少し心配だ、様子を見てくるよ。」
折部も席を立ってリノンに一言声をかけると外へと出ていいた。
「おうい、アッシュ。」
店を出てしばらく行ったあとの路地裏にアッシュはぼんやり立っていた。
雨が降り始めたというのに傘もささずに。
ただ彼の周りにはボロボロになったごみ袋が散乱していた。
どうやら腹立たしいものを物にぶつけていたらしい。
折部は傘の中に彼を入れて声をかけた。
「傘はないんだろう?家まで送ってやろう。」
「…なんなんだお前は。昨日今日で俺はこんな性格だと分かっただろ。」
「なんだ自覚はあったんだね。」
「当たり前だ、周りから何度もどうにかしろどうにかしろ言われてきたしな。
でも俺は直す気はさらさらねえよ、これが正しい道だ。
たとえあんたと殴りあうくらいになっちまっても直す気はさらさらねえ。」
「俺は殴った覚えはないんだけどね。まあいいや。」
ハンカチを手渡すとアッシュはそれを手にまきつけた。
さっきからテーブルに下にやったりして隠そうとしていたようだが。
「仕事でつけたのか?」
「うるせえな、関係ねえだろ。」
「そうか、まあそうだよね。昨日知り合ったばっかりだしね。」
折部は少し伏目がちにそう告げた。
アッシュはなんの悪びれもなく折部の様子をうかがっていた。
「でも嬉しかったのさ。
こんな誰も外に出ようとはせず互いに怯えあって暮らしている
そんな街で軽々しく人に手をあげていけるような人間に会えて。
そんな人間と知り合えたのがな。
さっき言ってた探索のことだけど、俺も一緒にというのは駄目かな?」
「は?お前反対してたんじゃねえのかよ?」
「あれはあの二人が遠慮してたからだよ。
俺は別に失うものも特にないし、幸い書き物をしてるから在宅業だ。
時間ならそれなりにあるからお前に合わせることはできるよ。
それに俺が本物の『ゴーリー』だったとしたらまだ危険は防げるんじゃない?
だってなんだかわからないけど強いって言われてるんだし。」
「…礼は言わねえぞ。イカれ頭の仲間入りになるだけだし。」
「もちろん、これは俺が好きでやり始めることだしね。
それにこんな仕事を受けて実行している以上俺もお前も片足突っ込んでるんだ、
そうでしょ?都市伝説の『ジャック』さん?」
「…」
「その顔はあたりってことでいいのかな?カマかけただけなんだけど。
都市伝説になるほどの実力のジャックとゴーリーが手を組めば
とにかくはどうにかなるんじゃない?」
アッシュはそれを聞いてまた舌打ちをして折部に背を向けた。
「明日の16時、風早町レストタワーの噴水前で。」
そして雨の中すたすたと駆けて帰っていった。
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