第3話

『仕事』も終わり空腹の折部は一度自宅に戻り卓上に置いてある菓子をつまみ

またどこかへ飯探しの旅にでることにした。

また気まぐれにバス停に向かい、一番についたバスに乗る。

いつしか雨は予想を外し降るのをやめていた、しかし鈍い灰の空は変わらない。


今度訪れた街は虹倉町。

ここはさっきの秋雨町よりかはいくらかは平和ではあるものの

街をつつむ思い空気は変わらない。

なんせ追い詰められた国民が来るいわば難民村に近いものがある。

北部まではいかなくとも、自分の街が穏やかではない情勢へと陥った者が

少しでもあたたかい場所を探して最初に行き着く場所。

その末のやけっぱちなのか夢のあるような娯楽施設は無いに等しく

軒を連ねるのは哀しい人間の集まる呑むことを中心とした店ばかり。

特別な用事がある以外あまり来たことはない。


知っている店が1つもないので失敗したかなあと腹を伺いながら思う。


「おい、もしかしてお前移住するやつじゃねえな。」


口の悪い日本語で後ろから声をかけられた。

声の主はすぐ折部の横に回り込み顔をのぞきこんだ。

身長が10センチは違いそうなほどの身長の高い男だ。

それに顔立ちや金色のくすんだ髪は間違いなく日本人ではない。


「ああ、ちょっとここらに美味しいご飯屋さんはないかな?」

「は?」

「近所の飯屋がつぶれてね、なんとなく気まぐれでバスに乗ってきたんだよ。

 君がもしここらに少し詳しいなら美味しいところを教えてもらえると嬉しいな。」

「…かわってんな、お前。」

しばらく考えた後男はちらりと折部を一瞥し、にやりとした。

「じゃあ俺呑み屋にこれから行くんだけどよ、付き合ってくれよ。」

「俺酒はそんなに呑まないんだけど。」

「いーだろ、どっちにしろ行くとこなさそうだし暇だろ。」


男の左腕がふと目に入った。

硬く握られた拳が小刻みに震えており

時間がたつにつれ血管が浮かび上がり笑顔が少しづつひきつったものになる。

これ以上焦らすのは折部にとっても意味は特にない。


「…日本食は?あるの?」

「んあ?まあいやあ作ってくれんだろ。

 なんせ人の少ないとこだからな、ある程度なら我儘にも付き合ってくれるって。」

「じゃあそこでいいかな、これもなにかのご縁だろうし。」

「はなしゃあよくわかんじゃねえか、こっちだ。ついてきな。」


男は鼻で笑って大股で先導していく。

日本人ではないはずの彼の日本語はほとんど滞りも違和感もなく

日本人の知り合いと喋っているときと同じ感覚だ。

やけに刺すような尖った印象を感じざるはえないが。

この男、しかも最初から折部に話しかけてのみに誘うつもりだったらしい。

元々はぐらかす気性のある折部に自分の意見をはぐらかされたことにより

苛立ちを覚えていたのだろう。


「なにぼさっとしてやがる。」

「ああ、ごめんね。さくさく歩かなきゃだ。」


それをわかっている上で、彼についていくことにした。



「ここだ。」

そう呟いて男は店に続く階段を大きな音をたててあがりはじめた。

看板にはささやかなネオンで英語がかいてある。

それを見て目を細めていると、いつの間にやら戻ってきていた男が

英語の下をごつごつとした指ですらっとなぞった。


「Juan(ジュアン)、だ。」

「ああ…これつながっててよみにくいね。読めないよ。」

「筆記体っつうんだよ、さっさと来い。」


男はイラついたようにもう一度階段をのぼっていく。

今度こそ遅れをとっては面倒事になるかもしれないなと思い、

半ば男の背中に張り付くように階段をのぼる。

するとそこには若い女性の店主が受付に立っていた。

どうやらこの女もまた異国の者らしい。

金髪の男となにやら英語で色々しゃべったあと男は受付のカウンターにある

小さなメモ用紙になにかを書き始めた。

後ろからそそそっとのぞきこむとAと書きかけている。


「A…ア?」

「ん?ああ…」


男はAのあとにすらすらっとSとHをつけてボールペンを置く。


「アッシュだ。俺の名前はアッシュ。あんたは。」

「折部正義だよ。あんた苗字は。」

「ねえよんなもん。俺はアッシュとしかよばれてねえんだ。

 煤けて灰をかぶった灰色のやつってな、ちょっと洒落すぎたか。

 んな洒落たもんでもねえけどな。意味なんてねえ。」

「そうか。」

「神妙な顔とかすんじゃねえぞ、名前なんて縛りみてえなもんだろ。」


アッシュはそう言って店の奥に進む。

折部はそんな背中に相変わらずはりついて進むしかなかった。

少し歩いたあとカウンターからも入り口からも死角になっているテーブル席に

いかにもガラも悪そうに猫背になって座り折部を促す。

やがて若い女店主がビールを持ってくるとアッシュは半ば奪い取るように受け取る。

そしてまたいくつか英語で注文をとると女店主はすごすごと戻っていく。


「鮭茶漬けくらいしかできねえみたいだけどいいだろ?」

「充分だよ。ありがとう。君がいないと注文も厳しそうだね。」

「お前が英語ペラペラなら別だけどな、あの女は日本語喋れねえからな。」


そうしてしばらくの沈黙の後、アッシュは貧乏ゆすりをはじめた。

靴の底がボスボスと鈍い音をたてて少しした後折部に身を乗り出した。


「あんた、『ゴーリー』だろ。」

「え?なんだいそれ、」



言いかけたところで頭に衝撃を感じた。


正確に言えば頭ではなく頰だったのだが頭に響いた感覚のが強かった。

そして自分が今右側を向いていること、

椅子の手すりから軽く身を乗り出した状態であることに気づいた。

茶漬けを持ってきた女店主が驚いた顔でこちらを見てくる。

なにかアッシュが言っているようだが彼女の顔を見ていて聞こえなかった。

聞き返すより先にもう一度鈍い音が響いた。

口の中が切れてしまった…。


「とぼけんじゃねえ、あんた腐れウサギ頭であの仕事してんだろう?」

「痛いね…あの仕事って?」


アッシュの拳にまた力が入るのが見えた。

殴られた衝撃で右を向いたまま流し目で彼を見る。

女店主はお茶漬けを一旦置いて足早に厨房へ戻って行ってしまった。

ふーっと息をついてゆっくりまばたきをする。


「俺を殴るのはいくらでもいいけど俺はこのペース崩れないと思うよ。

 いかんせん生来なもんでね。話聞きたいんだったらちょっとは待ちなよ。」

「うるせえ黙れ!」

「さっき喋れって言ったのに次は黙れか、君は存外忙しいんだな。

 俺は答えようとしてるんだからちゃんと話をしようよ。 

 これじゃあただの尋問にもならないよ。」


そう微笑みながら答えるとアッシュは一度席に座った。

依然その態度はどこかいらついているままだが

とりあえず彼の聞きたいことの内容を詳しく聞かないと。

口元の血をぬぐってもう一度椅子に座りなおすとアッシュは1つため息をついた。


「で?なんだっけその…仕事?っていうのは。」

「家に…家に電話とか手紙とかラジオとか、なんでもだ。

 そっから急に住所を告げられる、そこに行って全員潰す。

 お前もそんなことをしてるんだろ?」

「お前も…ってことは君も。」

「まず俺の質問に答えろや、気味の悪いうさぎ頭さんよお。」


先ほど厨房に引っ込んでいった女店主が事が収まったのをみて戻って来た、

そして少し冷えた新しいおしぼりをもってきてくれた。

どうやらこれを止血に使えということらしい。一言礼を言って受け取る。


「まあそうだね、とりあえず君の言ううさぎ頭さんは俺のことだろうね。

 そのゴーリーっていうのは知らないけど。」

「お前、あの連中の存在自体知らないのか?

 そんな無頓着でよく生きてられるよな。

 まあいい、俺もお前と同じくそんな生活を送ってるやつの一人ってことさ。」

「ほう…そんなに簡単に身分あかして大丈夫なの?」

「お前が答えたんだ、俺も答えねえと後味悪いだろうがよ。

 まあもっとも?あんな残虐の名高いゴーリーさんがこんな良々爺とはな。

 期待ハズレだったわ。興ざめしたし俺帰る。」



彼は財布から1000円ほどをだしてテーブルに出すと席を立って、

足音も大きく店を出て行った。

お手拭きで血を少し拭き取っていると女店主が心配そうに遠巻きに見てくる。

どうやら心配してくれているようだ。

衝撃がそこそこあったから打撃音も響いたのではないか。

アッシュは手加減をしていたのだろうか。

微笑みながら血を抑え、彼女の持って来たお茶漬けを食べる。

傷に少し沁みてぬるかったもののその味は美味しかった。


『美味い。』


そうへたな英語でつぶやくと彼女が少し驚いたように見えた。

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