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 今日で結果が出る。そう思った。人の言葉を信じて、自分でも驚くほどバカみたいに、一途に彼女を待っていた。それが良かったのか悪かったのか、それがはっきりする。


 10月9日、水曜日。

 二講目は「研究入門」なので、専攻のみんなは出てくるけど、七海ちゃんは一講目の、一般教養の「哲学」も、きちんと出席しているようだった。

 いつもは廊下に出て、視線が会うとニコッとしてくれる彼女を、密かに待っている僕だけど、今日は静かに席に座って、配られたレジュメに目を通していた。しかし、内容はまったく頭に入ってこない。その日は、彼女がどこに座っているのかさえ、確認しなかった。


 学而館食堂で昼食を一人で取ったあと、午後1時少し前に、清心館の屋上に上がった。早く行ったのは、屋上の様子を確認するためだ。すると、同じ専攻の五木が、ベースを持って、見慣れない女の子と話をしていた。

 これは、あまりよろしくないな……。

「何してるの?」

「あ、軽音のコにベース教えてって言われて……」

 そういうと、傍らにいた女の子がちょこんと会釈した。

「ども……」

 低い声で返事していると、奥へ歩く僕についてくる。

「お前、何しに来たの? 女と待ち合わせ?」

 ……図星……

「そ、そんな、違うけど。ひなたぼっこに、な」

 いぶかしげに五木は「ふーん」と言って、入口近くのベンチに戻っていった。その様子を確認したあと、僕は屋上の奥のほうへ進む。


 清心館の屋上は時間は限られているが、開放されていた。

 15人くらいの学生が、本を読んだり、昼寝をしていた。

 屋上の一部は、下の階にある549教室の天井が高いため、その分だけ出っ張っていた。かなりの範囲が1メートルほどの高さのステージのようになっている。

 その向こう側のベンチが空いていたのでそこに座った。ここからだと、屋上の入り口からは死角になる。五木からも見えないだろう。二人でいるところを知りあいに見られたくなかった。あと30分でいなくなってくれたらいいのだけど。

 正面には東山連峰が見えた。10月にしては暖かくて、わた雲が浮いていて陽射しも力強く感じる。僕の座っているところからは6人が視界にいた。

 本を一心に読んでいる2つくらい年上の女性。同い年くらいでベンチで寝転がっている男二人。何かの打ち合わせをしている男一人、女二人。そんなことを確認して腕時計を見た。


 1時20分。約束の時間まであと10分だ。

「スローなブギにしてくれ」の文庫本を取り出して時間をつぶす。本を読むには少しまぶしい光だ。文字を目で追うけれど、内容は入ってこない。


「水城クン」


 不意に名前を呼ばれて右の方へ視線をやると七海ちゃんがいた。ピンクハウスらしいブルゾンをはおって、すっと流れるようにそばに来る。ベンチに人一人分くらいの間を開けて、右側に座った。

「何なの? いったい……」

 不安そうな瞳でじっと見つめられる。それだけで怒れる気持ちが消えていきそうだ。

 視線を外して、目の前の柵を見つめた。

「五木、いた?」

「うん」

「なにか、言われた?」

「ううん」

 そうか、まだいたか……。

 これでバレたと思ったけれど、気にしている状況じゃないとも思っていた。


 どう切り出すか。

 前の晩、いろいろと頭の中でシミュレートしていたのだけれど、いざとなると何にも考えられない。オーソドックスにいくしかない。

「前置きは抜きにして聞くけど」

「うん」

「何でも正直に言ってね」

「うん」

 意を決する。


「俺に、つきあったことがないって言ってたけど、本当はあったって聞いたんだ……。それから、河原町に行ったのも、俺とが初めてじゃなかったということも……。家が厳しいって言ってけど、夜の9時頃にウロウロしてたってことも聞いた」


 一気にそこまで言った。

 七海ちゃんの反応は。


「えー、なにそれ?」

「俺が聞いてるの」

「誰から聞いたの。誰が言ってたの」

「そんなことはどうでもいい!」


 僕がそう言いきったので、彼女はそれ以上言わなかった。だけど、あっけにとられた顔をしている。かなり驚いているようだった。僕はこの時とばかりに、これまで抱えていた疑問をぶつけることにした。こんなことは一度だけでいい。

「それから、みんなとあまりつきあいがないのはなんで? いろいろ邪推してるヤツもいるし……。七海ちゃんが本当は社交的なのは俺はよく知ってる。でも、だから、わからないんだ……」

 彼女の顔から笑みが消え、こわばっていった。

「まだ3年半もあるし、今からでもみんなの中に入っていけばいいのに」

そう言いながらも僕が後で問いかけた疑問のほうにより重く反応していることがひっかかった。僕としてはあくまで、最初に聞いたことのほうが重大なのに。

 七海ちゃんは視線を足元に落とした。無言のままだ。

「それと……俺が聞いたことにはっきりと答えてくれなかったこともけっこうあったし。夏休みのこととか。……どうして?」

「……」


 そこまで聞いても、七海ちゃんは黙っていた。

 さらに重ねて言う。それは僕の本心だった。


「俺、今までに好きになったコなら、こんなことが起こったらすぐにイヤになってた。そんな面倒なコなんて。でも、七海ちゃんは違うんだ。本当のこと言ってくれたらすぐに許せる。きみの味方になる。……愛してるから」

 「愛してる」なんて初めて女の子に言った。、僕の気持は「好き」を遥かに飛び越していたから。この気持を言葉に当てはめるなら、これしかないと思っていた。電話でしか伝えていなかった気持ちを、本人の前でもう一度伝えたい、ということもあった。

 そういうと、七海ちゃんが切りだした。

「河原町のこととか、言うけど……」

 僕は彼女を見つめた。彼女も僕と視線をあわせる。

「私は男の子と付き合ったこともないし、夜の9時に河原町にいたこともないし、水城くんと初めて行った」

 最後はかなり強い調子で、訴えるように伝えてくれた。

 目でわかる。これは本当だ。彼女は無実だ。

 僕はホッとした。

 しかし、その次に続く言葉に僕は驚愕した。

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第十六章解説


清心館の屋上……僕と七海ちゃんが話をしたあたりは、現在エアコンの室外機が置かれるエリアになっており、入れなくなっている。


「スローなブギにしてくれ」……片岡義男著。1975年発表、同年直木賞候補。1981年、浅野温子主演で映画化。南佳孝が歌った主題歌もヒットした。

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