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 10月6日、日曜日。起きると正午だった。ふと思い立って電話をかけた。

 相手は砂原だ。

 彼は大変面白いというか、とらえどころのない性格をしている。のれんに腕押しというか、どう表現したらよいのか。極上の楽天家という感じで、僕は彼が怒ったり、落ち込んだりしているところを見たことがなかった。


「砂原か?」

「なーんだ、ヨシユキか」

「あのな、ヒマか?」

「ヒマヒマ、すっごいヒマ」

「アカシ、行こう」

「はぁ? どこだって?」

「子午線が通ってる、明石」

「何しに?」

「海、見に」


 この間の前期試験打ち上げコンパで、彼はみんなから思い切り冷やかされていた。英語の時間は毎回つきっきりのように、いつも七海ちゃんの隣の席に座り、最近は彼女と話をするようになっていた。僕はそれを苦々しく見ていた。僕にとって幸いだったのは、事態がそれほど彼のほうへ動いているように見えていなかったことだ。しかし、それでもあのコンパのときのように、彼と七海ちゃんとの間が「噂」として定着していくのは避けたかった。噂から当人たちの意識が高まり、結びつきができてしまうという例をいくつか見聞きしている。僕が七海ちゃんのことを思っているという事実は、当人を含めて極少数しか知らなかった。

「海を見に行こう」という僕の誘い文句に、彼はとくになにも言わなかった。何かを感じたのかもしれない。


 梅田、三宮、新開地と乗りついで、舞子公園に着いた。砂原が「腹が減って背中とくっつきそうだ」というので、そのあたりの食堂に入ってご飯を食べていたら、夕陽は沈んでしまった。薄暗くなっていく瀬戸内の、すぐ手の届きそうなところに淡路島が見える。

 初めて見た。

 しばらく堤防から見ていたが、砂原が下へ降りたいというので下ってみた。その日、天気は良かったが、風が強かった。

 あたりのテトラポットや堤防に当たり、砕けた波のしぶきが風に巻き上げられて、まるで雨のように降ってくる。堤防の高さは5メートルはあるだろうか。浜に降りた僕たちはほとんど誰にも気づかれないようだった。浜といっても1メートルほどの申し訳ないほどの砂地があるだけだ。

 高さ50センチほどのひし形のコンクリートでできた構造物があり、両側に手すりのついた階段がある。それに登った僕たちは「さむー」「くそー」「あほー」などと叫んでいたが、そんなバカなことをしている間にすっかり薄明は終わり、夜の闇が来たことに気づいた。

 対岸の淡路島には民家の灯りさえ、手に取るように見えた。


 さて、本題に入ろう。僕は砂原に何も言わずに七海ちゃんにアタックしたことに少しひけ目を感じていた。何も義理だてすることはないのだけれど、同じ女の子を好きになったんだから、自分の態度を表明しておいたほうがいいかもしれないと思ったのだ。あるいは、彼への威嚇だったのかもしれない。

 しばらく、からかうように七海ちゃんとのことを突っ込んで聞いていたのだが、いつものように「なるほど」「へえー」と、はぐらかしている。ニヤニヤしていて何を考えているのかわからない。

 少しそんな探りあいをしていたけれど、このままだと確かめたいことからどんどん離れていきそうだったので、本題に突入することにした。


 僕は真面目な顔で、砂原を凝視して言った。


「俺、七海ちゃんが、好きだ」


 しばらく彼はなんでもないような顔をしていたけれど、波の音に消えそうな言葉を僕は聞き逃さなかった。


「僕も……好きだよ」


 その後、「しまった」というような表情でなにやら言い訳していたが、どうも砂原は自分から積極的に打って出るつもりはないようだ。

 

 風が冷たくなっていく。着いた頃は正面に淡路島、右には明石市の灯りに水平線、左にはかすかに大阪か堺あたりのイルミネーションが貼りついていた。

 空は群青に近い青。雲は薄い筋雲が流れている。

 そんな中、一人の女の子のことを男二人が海を見ながら話をしているなんて、滑稽だなあと思うけれど、砂原とは対等でいたいと思ったから、誘ったのだった。

 近くにあったマクドナルドからホットコーヒーを買ってきて彼がなぜか持ってきていた傘に二人で入り、すっかり真っ暗になった明石海峡を行きかう船を見ながら、ズルズルとすすっていると、ますます波しぶきは前や両横からかぶさってくる。


 彼は彼で本当に心から七海ちゃんのことが好きなのだろう。

 二人の男の心に、とても重大な影響を及ぼしている当の本人は、そんなことには気づいていない。


 彼が七海ちゃんについて語った、最後の言葉はこうだった。


「素敵な子だね」


 僕は心の中で思い切りうなずいた。

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第十四章解説


舞子公園……まだこのときは明石海峡大橋は架かっていない。工事も始まっていなかった

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