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 9月30日の夜、我が専攻の面々は、初の定期試験終了記念コンパを開催した。その席でレーローから重要なことを聞いた。七海ちゃんはレーローと同じサークルに入っているので、そちらでちょっかいをかけている男はいないかと聞くと、「一人いる」という話だった。「今は全然相手にしていないようだけど」ということだけど、その話を聞いて思い当たるふしがあった。

 7月、夏休み前の最終授業だった、文化人類学。授業が終わって教室から出る時に、何の気なしに教室の中を振りかえると、彼女が男と話しているのが見えた。テロテロのアロハを着た、軽薄そうな男にはまったく見覚えがなかった。彼女はいつものようにニコニコとはしていたけれど、目が嫌がっているふうに見えた。


 いったい誰だ?


 レーローの話を聞いて腑に落ちた。

 彼女ほどの美貌だ。狙っている男はあちこちにたくさんいるに違いない。

 僕は何かしら、自分の意志を彼女に示さないと手遅れになるのではないかと考えはじめていた。


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 10月1日。後期の講義が開講した。


 七海ちゃんは変わらずそこにいる。

きらびやかなオーラを放って、でも、本人はそんなことを思いもしていない。


 いったいどれだけの男の心を揺らしながら、知らんふりをするの?


 夏の前と同じように、彼女はそのイノセントな微笑みで僕に笑いかける。僕の心はそのたびにじゅううっと焼ける音を立てて悲鳴をあげる。

 

 ねえ、そんな微笑みを僕にくれるのなら、きっときみは僕のことを好きでいてくれるよね?


 無邪気な微笑みに後押しされて、夏休みにさえしなかった行動に出た。

 彼女の家に電話したのだ。

 意外にためらわずにダイヤルできた。彼女本人が出た。

「私です。こんばんわ」

 軽やかな声。夜を昼に変えてしまいそうな輝きを持っているような。

「うん、本、な、何、貸したらいいかなぁ、って思って」

 緊張のあまり、どもってしまった。

 でも、彼女は僕の言葉を聞くとはしゃぐように「なに、貸してくれるの?」と聞いてくる。

「うーん、あの『ヘッドフォン・ララバイ』の続々編と、まったくの別編があるけれど」

「じゃあ、続きのほうがいい」

「じゃあ、明日、持っていくね」

「ん」


 ここで僕はどうしようか迷った。本の話なんて、単なる口実でしかないんだ。でも、今、言うべきなんだろうか。しかし、学校で会ったって、未だにロクに話もできないし、たった一つの口実を使ってしまったんだ。


 意を、決した。


「それから」

「うん」

「こんなこと、最初は言うつもりじゃなかったけど……俺、やっぱり、……好きみたい。つきあってほしい」


 少し、彼女は考えているようだった。

 そして。


「今……男の子と付き合おうとは思ってないの……ごめん」

「他にいるの? 好きな人」

「別にいないけど……でも、今は、なんとなくね」


「なんとなく」という言葉にひっかかったけれど、それ以上詰問する気力は残っていなかった。僕は七海ちゃんにフラれた。フラれてしまった。もしかしたら、と思っていたのだけれど、やっぱり僕なんか……。

 それでも、これで気まずくなるのだけは阻止せねばならない。だから、物分かりのいい友人になることにした。

「うん……わかった。でも、これで、変になるの、いやだからね」

「うん、わかってる」

「明日、本、持っていくね」

「うん」

「じゃ、おやすみ」

「うん、おやすみなさい」


 電話を切った。涙が出てきた。あえて、我慢をしようとは思わなかった。


 こんな結果に終わっても、僕はすぐに元気を取り戻した。

 "あと3年半もある。きっと彼女を僕のものにしてみせる"

 この、未来への時間だけが、僕の支えだった。彼女に会えなくて、あの素敵な笑顔や声がなかった夏の2か月に耐えたのだから、彼女に毎日会えるのなら、何年でも待っていられる。そう思って、僕は日常の中に戻っていった。

 ひとまず、祭りは終わったけれど、待っていられる。彼女のためなら。


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「HOPENESS」


 流行りの自転車にわざわざ荷台を取り付けて

 きみを乗っけて北山に行くのが夢さ

 若葉が映えるころの季節 二人で行けば

 きみのハートの距離がきっと 近づくんだ


 長い髪をなびかせながら

 僕のところへ走ってくる

 そんな夢を持ち続けているから

 今 僕はこんなにうれしく生きてる


 とびきりの服に新調してあせりを出さないよう

 きみに会えたらうれしい そんな気持ちがわからないよう

 追いかけることが幸せな僕さ

 誰のものでも奪いたい 激しく


 長い髪に指をからませて

 この腕に抱き締めれば

 胸が爆発しそうさ 僕を見て

 いつも素敵な声を聴かせて

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第13章解説


彼女の家に電話したのだ……携帯電話やポケベルはおろか、留守番電話も普及する前。女の子の家に電話することはかなり緊張を要することだった。この3年後に、「就職活動用」に留守番電話が広く普及するようになる。しかし、今のようにICチップに録音するわけではなく、最初はマイクロカセットテープに録音する方式が多かった。


『ヘッドフォン・ララバイ』の続々編と、まったくの別編……『ツインハート・アベニュー』と『マイ・ディア・スイート』のことを指している。

北山……1985年当時、京都市地下鉄は北大路止まりで、オシャレなカフェなどが立ち並び始めた北山通へは車やバイクで行くしかなかった。学生の身分で車で北山に乗りつけるというのは、相当裕福な学生でないとできないことだったので、「北山に行く」というのは一種のステータスシンボルになっていた。

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