6

 デート当日の、少し前。法学の時間にナオちゃんと一緒になった。清心館で最も大きい549教室の後ろに陣取る。もちろん積極的授業聴取の態勢じゃなくて、僕のアドバイザー役となった彼女に相談するためだ。

 僕は、半年前に初めて女の子とデートしたくらいの、ひよっこ。女の子との付き合い方についての考えさえおぼつかなくて、でも、雑誌のマニュアルに頼るのもどうかと思っていた。ナオちゃんはすでにいくつもの修羅場をくぐり抜けていた、恋愛についてのエキスパートだ。僕には生きた教材だし、相談しやすい。それに、二人でいるところを知らない人が見たら、まるで恋人同士みたいに勘違いされる。そうしたら、僕の他者評価も上がる。

 だって、そうじゃない? 連れている女の子のルックス、スタイル、雰囲気。それが上ならば、その女の子を選んだ自分、選ばれた自分。それだけで自分のグレードが上がるじゃない。「こいつ、こんなかわいい女の子とつきあってるんだったら、なにか秀でたものがあるに違いない」って勝手に勘違いしてくれる。入学当初からナオちゃんと一緒にいたせいか、僕とナオちゃんがつきあっていると勘違いしている人もいた。

 

「七海ちゃんのこと、やっぱり好きになっちゃった」

 単刀直入に言った。あーあーまたね、といった感じでナオちゃんが言う。

「へー、そーお。でもさあ、亜衣ちゃんとか、島田とかどうすんの?」

「いやいや違う」

 僕は訴えた。亜衣さんは美しい。スタイル抜群だし性格もいい。

 島田だってそうだ。かわいいし、思慮深くて堅実なところとか、奥さん向き。


 でもさ。


「ごめん、亜衣さんにしても島田にしても、俺の妄想で語ってたかもしれない。今は、七海ちゃんだけなんだ」

「ふーん」

 疑り深いナオちゃん。信じてほしいので続けて訴える。

「俺が七海ちゃんとまともに話してるところ見たことある? ないだろう? 実際、しゃべってないし。俺はたぶん、本当に好きになった人には、話どころか、顔もまともに見られないよ」

 そこまで言うと、ナオちゃん、本当に俺が七海ちゃんのこと本気なんだと納得したようだ。

「でも、あの子、純情そうだし……変なことしたら」

 まだ僕の性向をわかっていないのか。僕がただのナンパで女好きだと思っているらしい。実像はかなり違うんだけど、彼女の前では女の子の好みなどをずけずけと言ってたからかもしれない。とにかく誤解を解かないと。

「そんなことするはずない。俺、あの子について、そんな、肉体的なこと、考えたことない。そんなことをしたら、あの子を汚すようだし」

 それは本当に思っていた。彼女は神聖であり侵すべからずの存在なのだ。

「でも、もしつき合うようになって、キスとか、その先とか」

 そう言われて想像してみる。七海ちゃんが相手だとそれだけでクラクラしてくる。

「キス……キスかあ……、つきあいはじめて、半年、くらいかな……」

「半年!?」

 ナオちゃんが驚く。そんなに変なこと、言ったかな。

「あのさあ、だったら、たとえば、最後まで、だったら?」

「最後って、あの……最後?」

「そう。あの最後」

 そんなこと言われても想像もできない。七海ちゃんに対して、セクシャルな妄想をしようとすると自動的に回線が遮断するような感覚なのだ。

「うーん……つきあって1年半くらいとか」

「いちねんはん!?」

 ナオちゃんが思わず大きい声を出したので、周りにいる学生が一斉に振り向く。小柄な体をさらに縮こめるナオちゃん。小声で続けてきた。

「ヨシユキくん、それ本気で言ってるの?」

「うん」

 呆れた顔でナオちゃんが続ける。

「ま、そういうことは当人同士がよければいつでもいいんだけどさ……とりあえず映画にでも誘ってみたら?」

 オーソドックスな提案だった。しかし、僕はそれには否定的だった。

「夏だし、屋内にこもるのはどうかなあ」

 キラキラ輝いている彼女をどこかに閉じ込めるのは嫌だった。それに映画を見ている1時間半なり2時間の時間を、彼女との会話に使えないというのは致命的に思えた。

「うーん。でも、家も遠いし」

 それがネックだった。でも、僕はそういう諸条件をまったく無視して、思いついた場所があった。


「神戸にデートは?」


 かねてから、僕は女の子と神戸に行ってみたかった。きっといい雰囲気になると思ったのだ。雑誌で見ただけだが、異国情緒あふれる街は、きっと僕と彼女の「異世界」のようなものを作りだすと思っていた。その世界の中で、二人はさらに親密になる……ことを期待して。


 僕の思いつきを聞いたナオちゃんは。


「神戸? それいい! ヨシユキくんにしては上出来! 二人で神戸行ってきたら。もうすぐ夏休みだし、朝からだったら何とかなるかも」

 ナオちゃんは自分が神戸に行きたいから、賛成しているようだ。神戸って大阪よりも遠いんだぞ。

「神戸って女の子が行きたい街なのかなあ」

 さらに僕が言うと、

「そりゃそうよ! だって、ロマンティックだし」

 なんだか、あらぬ方向へ視線を移し、うっとりした顔で何か妄想している。ダメだこりゃ。


 気づくと、法学の授業が終わり、次の心理学の授業を受けるための学生が教室に入ってきていた。僕もナオちゃんも心理学は履修している。

 僕たちはもう少し前の席に移った。


 それにしても京都に来てから、ツイてる気がする。高校時代はひたすら暗かった。バイト先で知り合った女の子たちと、推薦が決まった3年の秋以降にようやくデートらしきことはしたけれど、高校のほうはまるでダメだったのに。布井さんに告白され、「三大巨峰」のナオちゃんとは懇意にしてもらって、傍目に見たら、まるで恋人同士に見えるし、亜衣さんのなまめかしい肢体をこの肌で感じることになるし。環境が変わるってこういうことなのか。まるで自分に対する評価が一変したみたいで、うれしいけれど、少し怖い。

 そして、最大の変化は。

 まるで僕の理想を具現化したような七海ちゃんとの、誰にも知られることのない秘密の交流。この大学で彼女と最も親密で秘密の交流を持っているのは僕のはずだ。たぶん、これまで女の子運を出し惜しみしていた神様なり仏様なりが、大学生になった僕にありったけの入学プレゼントを贈ってくれている気がするのだ。


 やはり、京都に来てよかった。


「神戸のデートプランが出来たら教えてよ」

 ナオちゃんが最後に厳しい教師のような顔をして言ってきた。

「いっそのこと、ナオちゃんと行くか、リハーサルで」

 冗談を言うと、ナオちゃんが「うーん」と手帳を広げ、真剣に日程のチェックをしはじめたので「うそうそ」と言い繕いながら、僕は頭の中で急速に神戸デートの日程を検討しはじめた。

 七海ちゃんと歩く、神戸の街。

 夏の海の街はきっと、恋人たちの街になるんだ。


*******************


「MOONLIGHT」


 夕陽が光るね 彼方の方へは

 きっと僕らも行けないだろうから

 二人きりで会いたい 海風の最中

 少し潮の香りがきみと交わった


 いつだって大事な人だと思っても

 きみは微笑みを飛ばすだけ

 ざわめきを抜けて 僕へ逃げて

 うずまく気持ちをすべて流して


 水面がたなびく きっと永遠に

 今ここにいることが一番大切だから

 きみからの電話の音は少し違うんだ

 少したじろぐ心が声に乗ってる


 海を見に行けば落ち着くから

 きっと誰しも 今までそうしてる

 シグナルの影をすりぬけていけ

 言えない心で僕を見つめて

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る