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 大学に入学してすぐに軽音楽部に入部した僕は、新入生6人でバンドを組んだ。それまではアコースティックギター一本でやっていたから、これはかなり大きな冒険である。担当はシンセサイザー。キーボードは別にいたので、僕は主にストリングスやブラスの音を出す係だった。それ以外に本職であるアコースティックギターも担当していたので、知り合ったばかりのドラムスの男に、「木根みたいだな」と言われた。

 TM NETWORKの木根尚登のことだが、そのとき僕は彼らの存在を知らなかった。音楽シーンも次々に新しいバンドが登場していて、音楽番組でビデオクリップを見ながら「勉強」しないと追いつけないほどだった。

 バンド編成はドラムス、ベース、キーボード、ギター、シンセ(僕)、ボーカル。ボーカルとキーボードが女性だ。まず最初に何かカバーしようと、メンバーから出てきたのは杏里の「Bring me to the dance night」と「gone with the sadness」だった。この2曲はアルバム「Coool」の冒頭に、メドレーのようにつながって収録されている。作詞作曲は角松敏生。華やかな雰囲気を持つノリのいいナンバーだ。


 授業が終わり、ランチをバンドメンバーと取りながら軽い打ち合わせをしたあと、待ち合わせの場所に向かった。同じ専攻の連中とボーリングへ行く約束をしていたからだが、肝心の待ち合わせの時間を聞きもらしていたので、少し心配だった。

 耳元のイヤホンからは山下達郎の「For You」。高校1年のころにファンになって、さかのぼってすべてのアルバムを聞きこんでいた。夏のイメージが著しいこのアルバムはお気に入りの一枚だ。愛機の「ウォークマンDD」は高校時代にバイト代を貯めて買ったもので、入手してからは自転車通学のときに必ず使っていたし、その延長で大学入学後も一人で歩いているときは、ずっと音楽を聴いていた。

 僕にとって音楽はいわば自分を表現するメディアで、自ら作る詞や曲を通して自分自身を構築していた。耳から入ってくるメロディは、例えるなら燃料だ。食事と同じで、途切れたらとてつもない喪失感に襲われる。

 流れてくる曲に身を任せながら、待ち合わせ場所へ急いだ。


 そこにはレーロー一人だけがいた。彼はかなり変わった経歴の持ち主だ。一度、東京の美術系大学に通っていたのだが、中退してこの大学に入り直している。だから、歳も三つ年上だったのだが、童顔だったため、みんなと一緒にいてもそれほど違和感はなかった。


「みんなは? ボーリング行くやつ」

「あいつら、20分くらい前に出たぞ」


 ……。

 やはりそうか。失敗した。時間はしっかり聞いておくべきだった。ボーリング場の場所はわかっていたので、後追いで参加することも出来たが、この日に限ってバイクで登校していなかった。会場は山の向こうにあるため、とても徒歩では行けない。一人でバスに乗っていくのも億劫だ。

 帰ろうかな……もう。


 途中参加するつもりだったレーローが、僕と並んで正門方向へ歩き始めたが、ほどなくして彼もその道のりの困難さに気づいたのか、「やっぱ、やめるわ」と戻っていった。

 いくつかの偶然が重なり始めていた。


 5月21日、火曜日。通っていた大学では、火曜日の午後は「アッセンブリー・アワー」と称して講義がない。

 せっかくのフリー・タイム、このまま部屋に帰って、寝ることになるのか……。大学に入学して一カ月と少し。専攻の連中とも打ち解けてきてはいるが、まだまだ馴染んでいない人もいるので、こういう行事には積極的に参加しておきたかった。

 帰宅は市バス50系統に乗って堀川三条までの道のり。自分が悪いのだが、「ボーリング行きたかったなあ」と悔みながら、正門前にあるバス停へなだらかな坂道を登っていく。大学の正門前はバスの始発停留所となっていた。

 

 正門を抜けて、右斜め20メートルほど前方にあるバスストップに目をやる。

 数人の待ち人がすでに並んでいた。


 あれ?


 その中でも格段に輝いて見える女の子がいた。

 同じ専攻の七海ちゃんだ。


 そのルックスについてささいなことでも文句をつけるヤツは誰一人いない。専攻の「三大巨峰」の一人、と呼ばれているくらいの美形だ。そして、その笑顔。彼女がひとたび微笑むと、その場の空気さえ輝くような錯覚にとらわれる。男たちはみな、あまりの神々しさに黙りこくってしまう。

 4月下旬に京都中の大学の自治会連合主催で、我が大学のグラウンドにおいて新入生歓迎イベントが行われた。僕たちの専攻はたこ焼き屋「憂国」を出店したのだが、売り子だった彼女が誰彼なく微笑んだおかげでたこ焼きは完売御礼。そしてスタッフだった男たちにもにこやかに応対したので、まだ知り合ったばかりのはずなのに「あのコぜったい俺に気がある」と言ってた男が15人はいた。

 僕はといえば。

 そのときは、特別な感情は持っていなかった。あまりにもかわいくて、僕には縁遠い、雲の上の人だと思っていたからだ。でも、かわいい女の子と一緒にいられるだけで気分はよくなる。不埒な考えかもしれないけれど、男なんてそんなものだ。


 彼女の前を知らぬふりをして通りぬけた。

 そして、しばらくボーッとした素振りをして白々しく顔を彼女へ向け、「あ……」と驚いたふりをした。我ながら面倒くさい。


 彼女は軽く会釈した。

「どうしたの? ボーリング、行かなかったの?」

 彼女はちょっと困ったような顔をして頷いた。


 彼女は自宅通学者だ。

 滋賀県中央部に位置する、わりと有名な地方都市に住んでいた。国鉄と市バスを乗り継いで2時間かけて、この京都市北西部にある大学に通っている。ちなみに市バス50系統の、もう一方の終起点は国鉄京都駅だった。


「もう、帰るの?」

「うん」

「いやに早いね」

「ポルタで時間つぶしていくの」


 お。


 カチッと、心の中で音が聞こえた。


 運命の歯車が回り出した気がした。もっともらしい理由を急速に頭の中に構築する。半分は本意だったのだが。


「俺、いつも大阪に出るときは大宮から電車に乗るから、四条より南ってあんまり知らないんだ。ポルタって地下街のことでしょ? 俺が中学のときには派手に工事をしてたなぁ。“アバンティ”っていうところも行ってみたいし……。つきあってもいい?」


 彼女は、一度見ると忘れられなくなる微笑みで頷いた。

 すぐバスが来た。

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第1章解説編


TM NETWORK……1983年シングル「金曜日のライオン」でデビュー。メンバーは小室哲哉、宇都宮隆、木根尚登。その後、ヒット曲を連発し音楽界で重きをなす存在となり、小室哲哉はプロデューサーとして一世風靡した。活動「終了」期間を経て、現在も活動中。なお、木根氏は当時はギターが弾けず、当て振りをしていたことを2016年になってテレビ番組にて告白している。


杏里……1978年、「オリビアを聞きながら」でデビュー。デビュー曲はロングヒットしたが、その後低迷。しかし、アニメ主題歌「キャッツアイ」の大ヒットで第一線にカムバック。現在も活動中。なお、アルバムタイトルの「Coool」は誤字ではない。


角松敏生……1981年「YOKOHAMA Twilight Time」でデビュー。5年間の活動停止期間を経て、現在も活動中。本人名義での大ヒット曲はないが、他の歌手のプロデュースや提供作品も数多い。代表曲に中山美穂の「You're my only shinin' star」、V6の「WAになっておどろう」など。


山下達郎……バンド「シュガー・ベイブ」解散後、1976年アルバム『CIRCUS TOWN』でソロデビュー。現在も活動中。「For You」は1982年リリース。ウォークマンの普及で「音楽を野外に持ち出す」習慣が生まれ、このアルバムはリゾートミュージックの代表として、大滝詠一の「LONG VACATION」と双璧を成す。


ウォークマンDD……1982年発売。先代に当たるウォークマンⅡがベルトドライブ方式だったのに対して、ディスクドライブを採用。筐体もプラスティックから金属製に変更された機種。全6色が発売された。


自転車通学のときに必ず使っていた……2015年に道交法が改正され、自転車やバイクを運転しているときに、音楽デバイスでイヤホンをしながら曲を聴く行為は法律違反となった。


ボーリング場……しょうざんボウル。


大学正門前のバス停……当時の名称は「衣笠」。1986年3月末のダイヤ改正時に「立命館大学前」に変更された。


国鉄……日本国有鉄道。1987年4月に分割民営化された。


アバンティ……京都駅の南側に1984年に開業した複合商業ビル。現在も営業中。

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