神の戸はお嫌いですか?

望空

第1話 死の序章はお嫌いですか?

 降りしきる雨は夜の繁華街に照らされて赤や緑やと次々にその色を変える。街を歩く人々は傘で雨を凌ぎながら寒さに震え、それぞれの帰るべき場所へと歩みを進める。


 いつものような客引きの少年少女は屋根の下から少し大きめのボリュームで客に夜の遊びを勧める。ミニスカートで震える足を必死に隠そうと声をあげる少女。この雨じゃなあ、と『本日営業終了しました』と書かれた看板を抱える二人組の男性。おしゃれなケーキ屋さんからパンパンに詰められた袋を嬉しそうに持って出てくる女性。


 飲みに入るのには少し早い神戸の街は今日も色とりどりに輝いている。



 「そこまでゆーんやったらその話ほんまなんやろな」

 「当たり前やん。私が今まであんたに嘘ついてきたことあるか?」

 「昨日会う約束しとったのにドタキャンしたんはどいつや」


 角野香織(すみのかおり)はそんなことあったかいなぁと白を切った。ニコニコと微笑む香織の横顔を見て気分を損ねたのは大山美姫(おおやまみき)だ。


 「それでどーする?私は怖いもの見たさやけど見に行くよ。『死神』を」


 美姫は改めて香織から不吉な単語を聞かされると黙って指の上に顎を乗せた。美姫の考えがまとまるのに時間がかかるかな、と察した香織はわざとらしく視線を煌びやかな洋服屋に移した。香織の垂れ目は流行に乗った最先端のコートを見ても輝かない。


「そ、それやけどさ。今度にせぇへんか?ほら、もう今日は遅いしさ……」

 「夜中寝もせんとゲーム三昧の夜ニートが何ほざいとんねん。怖いだけやろ。わかーとる、わかーとる」

 「そ、そんなことあるわけないやろ!行ったるわ!死神でもお化けでも何でも来いっちゅうねん!」


 美姫は勢い余って心にもないことを言うと香織は「決まりやね」と笑った。


 ニヤニヤ笑う香織の隣でやってしまったと頭を抱える美姫はケータイを開き『裕樹』宛にメッセージをささっと送った。


 「あれ、リア充さん、彼ぴっぴに何の連絡―?」

 「彼ぴっぴ言うな。今日は返事遅くなるって送っただけや」

 「なんや、のろけか?」

 「どこがやねん」


 美姫の鋭い平手が香織の腕に直撃すると香織は「あちゃー」と適当に反応した。その時、彼女らの後方から女性の甲高い絶叫が鳴り響いた。


 「な、なんや!?」


 美姫は青ざめた形相で声の方を見るが人混みが壁となり何も見えなかった。壁たちも突然の出来事に驚き帰路についていたはずの足を止めた。


なんだ今の。死んだんじゃね。このジジイマジ臭いんだけど。何があったん。映画の撮影らしいぜ。うっせぇな。知らぬが仏だ。


その場にいた全員が口々に感想を呟いている間に一発の銃声が鳴り響いた。そしてすぐに絶叫が街を駆ける。


「何が起こっとるんや……何も見えへんわ……」

「美姫。行こう」


香織は美姫の腕をとると群集を掻き分けて叫びの根源へと向かった。すいません、すいませんと肩をぶつけながら辿り着いた先には地面にへたり込む女性の姿と————赤黒い血を撒き散らした頭部に穴の開いた男性の遺体と思われるものがあった。


「何やねん、これ……どういうことなんや……」


美姫は眼前に広がる惨劇に胃から何かが逆流するのを感じてとっさにしゃがみ込んだ。嗚咽を繰り返す美姫の声は香織には届いていなかった。ただその死体をじっと見つめた。


「ああ……綺麗……」


香織の目に光はなかった。




 降りしきる雨は夜の繁華街に照らされて赤や緑やと次々にその色を変える。街を歩く人々は傘で雨を凌ぎながら寒さに震え、それぞれが大事な人の待つ場所へと歩みを進める。


 いつものような客引きの少年少女は屋根の下から少し大きめのボリュームで客に夜の遊びを勧める。ニ―ハイソックスを履いて寒さを和らげて元気を取り戻した少女。『本日営業終了しました』と書かれた看板を置こうか置かまいかと悩む二人組の男性。おしゃれなケーキ屋さんで買ったケーキの梱包に目を輝かせる女性。


 飲みに入るのに丁度良い頃合いの神戸の街は今日も色とりどりに輝いている。



 板倉真也(いたくらしんや)は鼻の先を真っ赤にして冷えた両手を擦り合わせた。手袋を持ってこなかったことを後悔しながら人混みの面々を確認する。


 (まだかよ、おい……もう一時間は待ってんぞ……)


 悪態が口から零れそうになった時真也の携帯がピロンとなった。


 (おうおう、今日は行きませんってかぁ)


 友人からのドタキャンメールの予感を感じながら届いたメールをすぐさま開封した。しかしそれは「今日は遊ばない」メールどころか差出人すら予想外だった。


 (差出人は『死神』だって……なになに……『これから起こることに決して慌てるな。女の叫び声が聞こえたらすぐに高いところに行け。そうすればお前は死なない』……どういうことだ、これ……高いとことか死ぬとかわけわかんねぇ)


 イタズラと決めつけて携帯をポケットにしまおうとすると再び同じ差出人からメールが届いた。


 (次は何だよ……『もし高いところに行って誰かと鉢合わせたらそいつを殺せ。二人とも生きているようであれば私が二人とも殺す』……これただのイタズラ、じゃなさそう、か……?)


 背中に気温の寒さとは違う寒気を感じた真也は慌てて携帯を閉じた。


 (いたずらだ、いたずら……真に受けるな)


 そう自分に言い聞かせた時だった。少し離れた場所から女性の叫び声があがった。叫びは鋭く反響し真也の耳に刺さった。


 「叫び、声……!?」


 メールの内容が頭に浮かんだ。どうしていいかわからずに呼吸を荒くする真也の前に一人の男性が倒れた。


 (え……?)


 目を落とすとそこには背中にナイフの刺さったスーツ姿の男性が倒れていた。赤がどくどくと溢れコンクリートに侵食していた。


 「おい」


 誰かに呼ばれ青ざめた顔で見上げると全身を黒衣装で覆った男性が立っていた。その双眸は真也をきつく睨み離そうとしなかった。


 (慌てず……高いところ……!)


 真也は一心不乱に神戸のシンボル、ポートタワー目指して駆けた。


 そして銃声と女性の叫びが鳴り渡る。




 降りしきる雨は夜の繁華街に照らされて赤や緑やと次々にその色を変える。街を歩く人々は傘で雨を凌ぎながら寒さに震え、今日の悲しみを明日の希望に変えるべく温かい場所へと歩みを進める。


 いつものような客引きの少年少女は屋根の下から少し大きめのボリュームで客に夜の遊びを勧める。絶対領域が輝く少女に鼻の下を伸ばす中年男性たち。『本日営業終了しました』と書かれた看板を店にしまって雑談をする二人組の男性。おしゃれなケーキ屋さんで買ったケーキを大事そうに胸で抱える女性。


 惨劇が繰り広げられる前の神戸の街は色とりどりに輝いている。



 「先輩、今日はどうします?飲みに行きます?それともホテルいっちゃいます?」

 「もう、裕樹くんったら。がっつきすぎ」


 先輩と呼ばれた宮野葉子(みやのようこ)は奥本裕樹(おくもとひろき)に軽く肘を当てた。それに反撃するように裕樹も肘を立てた。


 「ところでさ、ほんとに彼女さん……えーと、美姫ちゃんだっけ。その子と別れちゃうの?私なんかでいいの?」

 「先輩がいいんすよ。あいつは五月蠅いし自分のことしか考えてねぇから。せっかくホテル行ったのにソッコー爆睡するんすよ、あいつ」


 それは酷いわね、と苦笑いをした葉子は視線を近くに見えたコンビニに移した。


 「ねぇ、裕樹くん。ちょっとトイレ行ってくるからそこで待っててもらってもいいかな?」

 「りょーかいっす!」


 裕樹は大きく敬礼ポーズをとってコンビニに駆ける葉子の後ろ姿を見送る。


 「ん、美姫からメール来てんな。っと、お?何だこのメール。誰だ?」


 裕樹は美姫のメールより先に謎のメールを開いた。そこには文体とは裏腹な内容の文章があった。


 『おめでとう!君は一億円をゲットする権利を得たよ!今晩限定ミッションにクリアするとあなたのもとに一億円が!もし、一億円をゲットしたいなら出来るだけ高いところに行くんだ!ただし悲鳴が聞こえてからだよ!高いところに登ったら、そこには人がいるかもしれない。その場合はその人をさくっと殺しちゃってね☆』


 「おいおい、なんだこりゃ……こんな悪質極めたスパムメール初めて見たぞ……っと、下にも何か書いてるな。えーっと『指示に従わなければあなたの命も葉子さんの命もありません☆』……」


 ぞっと背中に何かが這い上がるのを感じた。急に視界がぐわんぐわんと回っている気がした。


 「これ、どうしよ……」



 「ふー、スッキリしたぁ♪」


 葉子はコンビニから出ると目の前の雑踏をしばし眺めた。神戸は相変わらずだね、と呟くと裕樹に指示していた待機場所へと向かおうと方向を変えたその時、何者かが葉子の腕をぐいと引っ張って雑踏の中に引きずり込んだ。


 「きゃあ!ちょっとあんた何よ、離しなさいよ……!」


 葉子を掴む手を振り払おうとするも尋常でない力に葉子の抵抗は空しいだけだった。謎の人物は少し歩いたところで葉子を路上に投げ出すと胸元からナイフを取り出し近くを通りかかった男性の首を切りつけた。完全に不意を突かれた男性は声をあげることも出来ずに首から大量の血を吹き出しながらその場に倒れた。


 殺人現場を終始見せつけられた葉子は血の気が完全に引いた顔を引き攣らせた。


 「い……い……いやああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」


 葉子の断末魔とともに二人の男が神戸の街を駆けた。




 降りしきる雨は夜の繁華街に照らされて赤や黒やと次々にその色を変える。街を歩く人々は傘で雨を凌ぎながら寒さに震え、いつまでも続く絶望を吐き出せる場所へと歩みを進める。


 いつものような客引きの少年少女は客足の少なさにすっかり戦意喪失し店の前にしゃがみ込む者さえいる。絶対領域が輝いていた少女はベンチコートを羽織って殆ど肌色を見せない。『本日営業終了しました』と書かれた看板が置かれたホストクラブ。おしゃれなケーキ屋さんは片づけを始める。


 血の海と悲鳴の嵐に埋もれる神戸の街は色とりどりに輝いている。



 「ことは順調に進んでいるようね」

 「はっ。角野香織は事前情報通り潜在的なシリアルキラーのサイコパスでしたので、ナイフを渡せば後は勝手に暴れるかと。板倉真也と奥本裕樹は二人ともポートタワーに向かっています。宮野葉子は無事に断末魔という名の合図を出しました。大山美姫と宮野葉子は角野香織に殺されるでしょう」


 背丈に合わない大きめの椅子に腰かける少女は「ご丁寧に説明どうも」と扇子をひらひらさせて状況を説明した男に外出を促した。男が部屋から出ると少女の隣にいたメイド服の男が口を開けた。


 「しかし、お嬢様。どうしてわざわざあの五人を使ってテロを起こそうとしているのですか?あまりに回りくどいのはリスクが大きすぎるかと……」

 「ドMオネエは黙ってなさい。私はもう普通のテロは飽きたの。どうせなら悲しみや辛さを一身に乗せた悲鳴を聞きたいのよ。そういう死ぬ間際の声ってすごくぞくぞくするのよ。抑えきれないの。もっと、もっと泣き喚いてほしいのよ……!」


 少女は目を血走らせて街を移すモニターを見ながら息を切らせた。ふうと一息つくとちら、とメイド男を一瞥してまた向き直った。


 「それよりもあなたのそのだらしない恰好をどうにかしなさいよ。見てるだけで吐き気がするわ」

 「お嬢様の吐瀉物ならば私が飲み干しましょう!一滴残らず!」

 「キモイ」


 そう言うとスカートの中からナイフを抜き出してメイド男の肩に突き刺した。男の肩からは血が腕を伝って流れ落ちた。


 「はぁ、はぁ……お嬢様のナイフが私に……なんと美しい血だ……お嬢様の殺意の沁み込んだ赤い血だぁ……」


 少女はほんとキモイ、と繰り返し悪態をつくと香織の映し出されているモニターに集中した。先程の男の説明で『シリアルキラー』と称されていた香澄は美姫の横で笑顔で死体を眺めていた。


 「ふぅん。角野香織はシリアルキラー。やっぱ私の目に狂いはなかったようね。それにしてもあの裕樹ってやつ、最低ね。彼女に内緒で会社の先輩と毎週ホテル通いしてる上に、彼女から誕生日プレゼントを貰ってから別れようとするなんて」

 「私と比べればどちらの方が下衆ですか?」

 「あんたって言ってほしんでしょ。当然裕樹の方が下衆よ」

 「わかっていながら私を選ばないS加減……最高でございます……」


 少女はメイド男の発言に虫を払うように手を振った。そして次に少女の目に留まったのは真也だった。


 「板倉真也と奥本裕樹が予定通りポートタワーで鉢合わせたら真也が勝つでしょうね」

 「何故です?」

 「板倉真也は奥本裕樹のことが嫌いなのよ。奥本と同じ大学だった彼は奥本の浮気を知っていた。だから奥本に浮気をやめるよう注意したけど奥本はやめなかった。板倉も大山美姫のことが好きだったのよ。だから彼女を蔑ろにしているのが許せなかった。殺意くらいあっても当然でしょ?」


 メイド男はなるほどぉと納得したあと、さらに質問を重ねた。


 「待ってください。板倉は大山のことが好きなら奥本の浮気を大山に告げて略奪してしまえばよかったのでは?」


 少女は黙って頷くと気分を悪くしている大山美姫のモニターを見ながら語った。


 「さすがオネエね。だけど板倉はそれをしなかった。彼は大山を傷つけたくなかったのよ。大山はひどく奥本のことを好いていたから浮気されてるなんて知ったら相当深くダメージを負うと考えたのよ、板倉は」


 メイド男は「優しいやつなんですねぇ」と淡々と感想を述べながら一心不乱に走る板倉真也の映るモニターを眺めた。


 「それじゃ、そろそろ始めてもらおうかしらね」


 少女は腕を組んで椅子に深くもたれると無線機を手に取った。

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