第一話 老師 死と、技について
「武術は、弱者のための技術よ」
「はい」
オレと老師は、いつものように公園にいた。
「どうしてじゃか、わかるか?」
「強者なら、武術を身に付けなくても、”力任せにぶん殴る”だけで良いからです」
老師は、ニヤリと嗤った。この歳になっても、性格の悪いところは薄れていないらしい。「人間性の肯定こそが武術」とは、老師がよく言う言葉だけれど、そんなに悪いところばかり、人間性を発達させなくても良いと思う。
「では、更に絞り込んでみようかね。素手の武術はなぜ必要なんだい?」
「弾は尽きるし、剣は折れるから」
オレの答えに、老師はうなずいた。
「もちろん、そこまでは正しい。じゃが、腕も折れるし、腕を上げられないほど力が無くなることもあるじゃろう?」
「はい」
「その意味では、”身体を使う”技術でしかない内は、武術としては完成していない、とも言えるわけじゃ」
「うーん?」
これは、少し難しかった。なら、身体の動かし方を学ぶ意味は無いってことにならないだろうか?
「病や、怪我は、誰にでも起こり得る。そして、本人の意思や努力では防げないこともある」
「そりゃ、そうでしょう」
「病人やけが人に優しくしろ、という考えは、あれは、”可哀想だから”ではない。”自分もいつそうなるかわからない”、”自分がそうなったときのことを考えて置け”という意味じゃ」
「はい」
「これは、死体にもいえる」
「う・・・・・・」
「死体を気持ち悪がるな、という考えは、”死んだ人には礼儀正しく優しくしなさい”、という意味ではない。”自分もいつそうなるかわからない”、”自分がそうならないように考えて生きろ”という意味じゃ」
「確かに、死なない人間はいませんよね」
言葉による講義の時間は終わり、ようやく、身体を動かす時間がやってきた。
老師は、杖をベンチに置くと、すっと片手を上げた。掌を開き、俺の方には両手を挙げるように告げる。
三つの掌が、一ヶ所に集まった形だ。
「さて、儂がこのままお前を押すとしよう。どうなると思う?」
「俺が押されますよね。でも、体重は俺の方が大きいし、少ししか下がらずに済む」
「そう、このように」
ぐっと、掌で押されるが、こっちは両手でもある、簡単に受け止められる。
「さて、今度は手ではなく、肩で押してみよう」
老師は、手を下ろすと、俺との間合いを詰め、上げたままの両掌に、彼女の肩が押し当てられた。
「このまま押したら?」
「距離も近いし、体重が乗りやすいから。さっきより押される?」
「そう、このように」
ぐっと、肩で押されると、身体は下がった。でも、動いた距離はそれほどじゃなかった。
「今見せた動きは、どちらも誰にでもできる、学ばずとも。そして、どちらにも弱点がある、わかるな?」
「はい。えっと、前者は軽い。後者は、間合いが遠い」
老師は、うれしそうに笑った。
よし、今日のオレは、冴えてるぞ。
「じゃから、二つの弱点を消せば良いわけじゃ。つまり、”片手を伸ばした状態で、体当たりをすれば”いい」
「え?」
老師が、下がって、間合いを広げた。その状態から、すっと掌が延びてくる。つまり、遠い間合いのままだ。そして掌がオレの両手に触れた途端、
「わっ」
オレの身体は、後ろに吹っ飛んでいた。まるで、さっき、肩で押されたときみたいに。
「これが、”技”じゃ。そして、これは、誰でも、”学ばなければ身に着かない”動きじゃ。じゃから、これを、”武術”の”技”と呼ぶわけよ」
ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべる老師。オレは、公園の砂を背中や尻から払い落としつつ立ち上がる。
そうだった、こういう人だった。
冴えてないぞ、今日のオレ。
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