31
ソファーに座ると、矢吹君がリングを手にする。私が右手を差し出すと、矢吹君は薬指につけてくれた。
左手の薬指はとっておくの。
大切な日のために……。
「良かった。サイズぴったりだね」
「私の指のサイズがよくわかったね?」
「うん。何となくね」
何となくで、指のサイズがわかるんだ。
それって、凄すぎるし。
何人の女性と手を繋げば、そんな技が習得できるの?
やっぱり、たくさん彼女がいるのかな。
矢吹君は今何をしているのかな。
まさか、まだニートじゃないよね?
「ねぇ、矢吹君、今仕事は……?」
――トントンッ
会話の途中で、店員がアイスコーヒーを持って来た。
「お待たせしました。優香ちゃん、今日は歌わないの?顔が真っ赤だよ。暖房入れてるの?温度下げようか?」
店員の言葉に、思わず矢吹君と顔を見合わせた。
「い、今から歌うの。ねっ、矢吹君いつものナンバー入力して」
「いつもの?何だっけ?」
店員はエアコンの室温をチェックし、「ごゆっくり」と、意味深に笑いながら部屋を出て行った。
「上原、いつものって何?」
「異世ファンのメドレー。私ね、『溺愛パラダイス』が一番好きなんだ」
「……異世ファンか。そうだよね。好きだって言ってたもんな」
「一年前の誕生日にウルフのぬいぐるみ送ってくれたでしょう。あのウルフ、異世ファンのキャラクターだよね。私ね、ナイトのファンなんだよ。でも……嬉しかった。そう言えば……異世ファンのウルフの名前はタカだよね。矢吹君は貴だし、名前似てるね」
「そうだね。上原の家にまだ猫のかめなしさんはいるのか?」
「かめなしさん?うん、いるよ」
「そっか、元気なんだな。よかった」
矢吹君はなぜかホッと溜息を吐いた。
私の飼い猫がそんなに気になるの?
変な矢吹君。
「……凪さんはまだ海外にいるの?」
「ナギはまだ海外にいる。上原、そのリングは肌身離さず必ずつけていて欲しい。いいね」
「……うん。ありがとう。大切にするね」
肌身離さず?
矢吹君は独占欲が強いのかな。
矢吹君の表情はとても真剣で、少し怖いくらいだった。
「矢吹君、仕事は何してるの?まだ決まってないの?」
「俺?」
「みんなね、就職したのよ」
「上原も就職したの?」
「うん。私は去年から動物病院に勤務してるんだ。まだ看護助手だけど。恵太は警察官になったのよ。美子は銀行員で恋人も銀行に勤めてるの」
「みんな凄いな。上原はどうして動物病院を選んだの?」
「それは……なんとなく」
不思議な体験をしたことで、動物の気持ちが理解でき動物に携わる仕事に興味を抱いたからこの職種を選んだとは、矢吹君には言えない。
「なんとなくか。上原らしいね。あの中原が警察官だなんて、あいつ、猫パンチなのに凶悪犯を逮捕出来るのかな?」
矢吹君が口元を緩ませ笑った。
そうだよね、恵太が警察官だなんて、七不思議のひとつだよね。
その恵太と私は……。
矢吹君に嫌われることが怖くて、なかなか切り出せない私は、狡い女だ。
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