第七話


「……辛いよな。ずっと一緒に過ごしているのに思い出は二人で紡げないんだから」

「……うん。でも一番辛いのは海乃だからね。私が悲しい顔をしていたらダメなんだよ」


 雪奈はこれまでのことを思い返しているのか少し涙ぐんでいる。


 俺は今日雪奈にも記憶のことをきちんと話そうと思う。隠すことでもないし、むしろ知っておいて欲しかった。どうやって二人はここまで乗り切って、親友になれたのかそれが知りたかったからだ。


「雪奈実は俺も記憶が一ヶ月に一度失くなるんだ。海乃と同じ。嘘じゃないけど本当の話なんだ」


 俺は雪奈の目を見てはっきり言う。雪奈は一瞬驚いた表情をしたが、すぐに普通の表情に戻った。


「それは驚きだね。でも……信じるよ。冗談でそんなこと言わないだろうし、海乃を現に見ているから世界のどこかに同じような人がいても不思議じゃないよね」


 雪奈はずっと海乃のことを見ていたからこそ、俺のような海乃と同じ現象を持った人がいてもおかしくないと言う。もしかしたらまだ他にも知らないだけで同じような人がいるかもしれない。


「でもどうして海乃はあそこまで俺と正反対なんだろう。元気で明るいし、いつも笑顔でいる」


 やっぱり一週間ちょっと海乃と過ごしてきて疑問に思うのはそこだ。俺ならとてもじゃないけどあんな風に振る舞えない。


「それは海乃に聞いた方がいいと思うよ」

「俺も雪奈みたいな人が傍にいてくれたら変わっていたのかもな」


 毎月きちんと傍にいてくれる親友がいたらまた話は変わってきたのかもしれない。


「でも秋哉君そこまで言うほど海乃と正反対じゃないよね?」

「ここではなんというか素になれるんだよ。本当の俺は思い出をノートに書くことはないし、誰とも関わらないようにしているんだ。いつも一人でいいと思っているから」


 そうと雪奈は小さく呟き次に自分がどう言葉を返すべきか考えている。安易に言葉を返してもいいのかって感じだな。


「本当は一週間前この街を出ようと思った。ここにいたらどんどん楽しい思い出ができそうで怖かったんだ。忘れる瞬間に絶対後悔する。それなら傷が浅い内にいなくなった方がいいだろ」

「海乃に引き止められたんだよね? その日の話は海乃から電話で聞いたよ」

「ああ。そこで海乃も記憶が失くなるって知ったんだ。自分と同じ症状の人がこの世にいると思ってなくてびっくりしたよ」


 俺はあの日あったことを雪奈に言う。海乃に引き止められたこと、そして最高の夏の思い出を作ろうと言われたこと。


「……海乃らしいね。海乃はねいつも物事を楽しんでいるのは見てわかるでしょ?」

「ああ」

「私はねでもやっぱりそれは不安だからだと思うの。こんなに何年も一緒にいるとある程度考えていることがお互いわかるようになるの。記憶を忘れたって海乃は海乃だもん。だから海乃はいつも不安と戦っているって感じ取ることができるの」

「不安か……」

「表向きには私たちに不安を抱かせないようにしているけれどね」


 自分が気丈に振る舞うことで周りを安心させている。雪奈はこう言いたいらしい。


「だから一度海乃ときちんと話をしてあげて。この不安を取り除けるのは長い年月共にしてきた私よりも同じ症状を持っている秋哉君の方が適任だと思う」


 真っ直ぐ視線をこちらに向ける。その目からは海乃をお願いという雪奈の気持ちが読み取れる。


「わかった。俺にできることがあるならするよ」


 海乃と話すことは俺にとってマイナスな部分がない。これからのためにもきちんと話ておく必要がある。


「それにしても秋哉君も記憶を失くすのかあ……世界は案外狭いものなんだね」


 雪奈はジュースを一口飲みそう言う。


「本当にな。こんな症状が起こること自体珍しいのに、その上出会うなんてどんな確率だよ」


 でも出会えたからこそ俺と海乃はこの先の未来へ進めるかもしれない。そう考えると出会えてよかったと思う。


「雪奈が重く受け止めるタイプじゃなくてよかったよ。ずっと気を使われたままだったらどうしようかなって思っていたんだ」

「ふふ、その辺は海乃で慣れているからね。こういう時は気を使わないでって何度も言われたから」

「そっか。もしさ海乃の記憶が元に戻ったら雪奈はどうする?」

「どうする? 別にどうもしないよ。海乃は海乃だもん。それで海乃が喜ぶなら私は一緒になって喜ぶよ。そうだ! ちょっと昔の話をしてもいい?」


 雪奈がそう言い特に断る理由もなかったので俺は了承する。


「昔ね、私が親に怒られていた時期があったの。今はそうでもないんだけれど、昔はすごく厳しかった。外に遊ぶのもダメ、ゲームをするのもダメ、一言目には勉強しなさいって言われたの」


 旅行の写真を見ても雪奈の両親からそんな印象は抱かなかった。雪奈の振る舞いを見てら大事に育てられているんだなということは重々理解できる。


「でもそんな私に対して海乃は毎日少しでもいいから遊ぼうって誘いにきてくれていたの。記憶がまだ失くなる前だね」

「泥だらけになりながらボールを持ってそうなイメージがあるんだけれど……」

「さすがの海乃でもそんなわんぱくじゃないよ」

クスッと右手を口に当て笑う雪奈。余計な口は挟まないでおこうと心に誓う。

「いくら誘いにきてもお母さんが海乃を追い返しちゃうの。それをずっと窓から眺めていて、なんで私は海乃と遊べないんだろうって気持ちになったの」

「お母さんに反抗したのか?」

「ううん。結局お母さんに一度も反抗はしなかった。けれど、ある日突然お母さんがね海乃と遊んできてもいいって言ってくれるようになったの」

「え?」

「後からお母さんに聞いた話なんだけれどね、私が知らない間に海乃がお母さんを説得していたらしいの。『雪奈はすごく遊びたがっている。だからお願いします』って泣きながら私のお母さんに言ったみたいなの。学校では顔を合わすけれど、遊べても休憩時間の十分だったりしたから」


 雪奈は当時の記憶を思い返しているのかどこか懐かしげな表情で話す。


「私はその時ね、私のために泣いてくれた海乃がすごいと思った。他人の母親を説得するなんて勇気がいるし、とても私なんかにできることじゃない……そのおかげで私はみんなと遊べて、楽しい思い出がたくさんできた。あの時海乃がお母さんを説得してくれていなかったら、今もこんな所にみんなで旅行に来ることもなかったのかもしれない」


 雪奈の言葉の一つ一つ重みが感じる。雪奈にとっての人生の分岐点はもしかしたらそこだったのかもしれない。


「だから私は記憶が失くなっ多時どんなことがあっても海乃の傍にいようと思ったの。今度は私が海乃に何か返したいなって」


 たとえ記憶が失くなってもと雪奈は付け足した。二人の絆の深さに改めて関心させられる。


「たまに海乃にこの話をすると全然覚えていないやって言われるんだけれどね」

「海乃らしいな」


 それから俺たちは他愛のない話を続けた。主に海乃と雪奈が過去にどんなことがあったのか。楽しそうに話す雪奈を見て、俺は海乃が羨ましいと思った。


「あれ? 雪奈と秋哉君じゃん。なんでこんな所にいるの?」


 大きな袋を持った海乃が前から現れる。どうやら買い物から帰ってきたみたいだ。

「二人で話をしていたんだよ」

「ずるい! 私はこんなに一生懸命働いているというのに」


 海乃が大きな声で文句を言ってくる。雪奈は笑顔で海乃をなだめていた。

「そろそろ寝るとするよ。明日もまた早いだろうし」


 仕事に慣れてきたからといって夜更かしなんてもってのほかだ。今日はなんとか気持ちで乗り切ったけれど。明日も今日みたいな体の調子だとミスをしてしまう。


「おやすみ海乃、雪奈」

「おやすみ秋哉君」

「おやすみ……また明日ね」


 俺は二人と別れて部屋に戻る。そのまま自然と布団にダイブした。

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