第二話


「家事全部終わりました」


 海乃と雪奈が帰った後、俺はベランダでタバコを吸っている虎吉さんに今日の家事が終わったことを報告する。


「おう。ありがとう。お前も一本吸うか?」

「俺未成年なんですけど……」

「俺がお前くらいの時にはもうタバコを吸っていたぞ」


 それ法律ではアウトですからとは言わなかった。過去の話だしな。ただ俺は二十歳になるまでお酒もタバコもしないと心に決めている。


「どうしてまた戻ってきた?」


 虎吉さんはタバコを消し夜空を見ながら質問してくる。


「単に気まぐれですって言っても信じないんですよね?」

「そうだな。あの日のお前は誰が見ても帰ることを決心した顔だった。それがまた戻ってきたんだ。気になるだろ」


 俺は虎吉さんに包み隠さず話そうと思う。おそらく海乃の事情も知っているだろうし、なんとなくだけどこの人はちゃんと話を聞いてくれそうな気がした。


「俺一ヶ月に一度記憶を失うんです。人間関係や思い出が」

「海乃と同じか……」

「はい。俺は元々この夏の間だけ名前も知らない街、自分のことを誰も知らない人と過ごしたいと思ったんです。もう二度と会うこともない人と過ごせば別に記憶を忘れたって大して痛手ではないでしょう?」


 少しくらい会話をして一人旅をするのが当初の目的だった。


「それがたまたま海乃に出会って、『遊ぶ』ってことがこんなに楽しいことだと初めて知りました。家族の話だと俺はいつも他人と距離を置き、誰かと一緒にいることもなかったみたいなんです。それは多分根本的に自分の性格がそうだからなんです」

「誰かを忘れるくらいなら最初から付き合わないと」

「そうです。でもこの街に来てからは違いました。もっとここにいて海乃や雪奈と過ごしたいと思ったんです。だけど同時に思い出を失うのが怖かったんです。この楽しさが続けば自分はきっとダメになる。そう思ったから早い段階で出ていこうと決心しました」

「そしたら海乃も自分と同じ境遇だと知り踏みとどまったのか」

「最高の夏の思い出を作ろうと言われました」

「海乃らしいな」


 虎吉さんは嘲笑しポケットからタバコを取り出し吸い始める。煙がこっちにこないように配慮してくれていた。


「自分と同じ境遇で……でも性格は全然違う。海乃が記憶のことをどう思っているのか気になったから俺は踏み止どまったのかもしれません」


 単純に連れ戻しに来ただけだったら俺はこの街を去っていただろう。


 初めて出会った自分と同じ境遇を持った人。気にならないわけがない。


「記憶のことについて海乃と話したのか?」

「いえ……あれからそういった話は一度も」

「だろうな。あいつはあまり記憶のことを話したがらないからな」


 そう言い虎吉さんはよいしょと立ち上がる。気づけばタバコはもう吸い終わっていた。


「まあ俺はお前たちの現象について何もアドバイスはしてやれない。ただ……できるなら今を楽しめ」


 そう言った虎吉さんの言葉には重みがあった。


「ここでこうした話をしたことをお前は忘れるのかもしれないが、俺は覚えておいてやる。この家に来て家事をやって色んなことを覚えておいてやる……片方がしっかり覚えておけば忘れるのが怖くないだろ」


 だから今を楽しめ。


 もう一度そう言い残し虎吉さんは自分の部屋に戻っていった。


「海だよ海!」


 二日後、俺と海乃と雪奈の三人は朝早くに起き虎吉さんの車で目的の海まで向かう。天気は快晴で絶好の海水浴日和だった。


「まだ眠いんだよ。隣で騒がないでくれ」

「えー折角の海なんだからテンション上げていこうよ」


 現在朝の六時。いつもならまだ眠っている時間だ。車の窓から海を見ようと顔を覗かせたが、海は海乃側にあったので俺は諦めて眠ろうとする。


「こら寝ないの」


 海乃に肩を揺すられ強制的に起こされる。移動の間くらいゆっくりさせて欲しいものだ。


「もう海乃秋哉君が困っているじゃん」


 助手席から雪奈が振り向きそう言う。もっと言ってやってくれ。


「むー」


 頰を膨らませ海乃はおとなしくなる。海乃は雪奈にあまり逆らわない。お母さんと娘みたいな関係だな。


「あとどれくらいですか?」

「一時間くらいだな」


 一時間仮眠をとることにしよう。このままじゃ昼頃にぶっ倒れていてもおかしくない。俺は窓にもたれ寝る体制をとる。


「秋哉君」

「ん……なんだ?」

「暇なんだけど」


 目を瞑ってすぐに海乃が肩をゆすり起こしてくる。


「お前も寝ればいいだろ。着くのはまだ先なんだから」

「今日のことが楽しみすぎて昨日早く寝たんだ。だから全然眠たくない」


 小学生かお前はと心の中でツッコミ俺は窓から背を離した。


「雪奈こいつの相手してくれよ」

「寝ているぞ」


 運転席から虎吉さんがそう言う。さっきまで起きていたはずなのにこの一瞬で寝たのか。裏切り者め、こんなことなら俺が助手席に座ればよかった。


「そういえば秋哉君水着は持ってきているの?」

「虎吉さんが向こうで買えるって。さすがに荷物として持ってきてなかった」

「ねえ私と雪奈の水着楽しみ? 昨日雪奈とどんな水着にするか相談していたんだ」

「珍しく家に来なかったから何をしているんだろうと思っていたんだ」


 昨日は海乃も雪奈も虎吉さんの家に来なかったので俺はずっと残っていた夏休みの宿題をしていた。誰にも邪魔されず一人で効率よくできたので、八月に入る前に終わっていた分と合わせて全ての宿題をやり終えることができた。

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