第十話
次の日、俺は早速身支度を済ませ部屋を出る。海乃がこの家に来る前に出ようと考えていた。
「どうしたそんな重い荷物を持って」
部屋を出ると朝早いにも関わらず虎吉さんは廊下で仕事の準備をしていた。
「おはようございます。もうこの街を出ようと思いまして、短い間でしたけどありがとうございました」
正直に虎吉さんに告げる。お礼の言葉はしっかりと言っておかなければいけない。
「そうか。お前のご飯美味しかったんだけどな……帰るっていうなら止めはしないよ」
じゃあなと虎吉さんは手を振りリビングに入る。
俺は再びありがとうございましたと言い家を出た。
家を出るとまだ七時だというのに暑かった。これからどんどん気温が上がっていくだろう。昨日の行き道帰り道で、駅への道のりは大体覚えたので迷うことなく歩いていく。流石に朝早いということもあり、人は全く見当たらない。もともと人の数が少ないことが関係しているのだろう。
駅に到着し俺は時刻表を確認する。次に電車が来るのは三十分後だった。都会に比べると本数がかなり少ないのでホームで待つ時間が長くなる。
空いている椅子に座りこれからのことを考える。家に帰るという選択肢は無いので隣の街に行くか、もっと先の街へ行くか。お金のこともあるのでそう遠くへは行けないなと考えた。
そもそも宵浜って位置的にどの辺りになるのだろう。ここにきてから一度もスマートホンの地図を開いていない。確認の意味も込めて俺はスマホを開き地図のアプリを起動した。
「一番線に電車が到着します。下がってお待ちください」
車掌さんの声が聞こえ電光掲示板を見ると《電車が到着します》と赤色の文字で書かれていた。俺はスマートホンをポケットに入れ荷物を持って立ち上がる。
すぐに電車が到着しドアが開く。
「待って!」
俺が一歩踏み出し電車に乗ろうとした瞬間、誰かに手を引っ張られ強引にホームへ引き戻される。俺はその手に掴まれたまま去りゆく電車を見ることしかできなかった。
「海乃……」
振り返り手を掴んでいる少女の名を言う。掴まれた瞬間に海乃だと言うことがわかった。もし誰かが俺を引き止めに来るとしたら海乃しかいなかったからだ。
「はあはあ……よかった、間に合った……」
膝に手をつき肩で息をしている海乃。額からは汗が出ており、全力でここまで走って来たことが一目でわかった。
「どうして引き止めに来たんだよ」
少しの静寂の後、俺は海乃にそう言う。海乃は呼吸を整え俺を真っ直ぐ見つめてきた。
「逆にどうして黙って別れようとしたのさ」
「それは……三日間しか一緒にいなかったんだ。別れを告げる義理はないだろ?」
「秋哉君にとってこの三日間はそんな小さなものだったの?」
「ああそうさ。俺はここに来たくて来たわけじゃない。たまたま出会って遊んで、三日間ちょっとした小旅行をした。そこで知り合った人にわざわざ別れなんて告げないだろ?」
違う。本当はそう言いたいんじゃない。
「……なにそれ」
いつも笑顔だった海乃の表情を見ていたからこそ、こんな怒った雰囲気の海乃を見るのは初めてだった。
静寂が辺りを包む。先に口を開いたのは海乃の方だった。
「これで終わりなの? もう秋哉君と会うことはないの?」
「……ああ」
「楽しくなかった?」
そう聞かれ俺はすぐ返答することが出来なかった。嘘でも楽しくなかったと言うのが辛い。
「楽しかったよ」
だから俺は本当のことを海乃に告げる。
「じゃあどうして! まだ三日間だよ? まだ秋哉君に紹介していない所はたくさんあるし、まだまだ楽しいことをいっぱいやろうよ!」
海乃が俺の目を真っ直ぐ捉えそう叫ぶ。俺だってこのまま海乃と別れたくない。
「早いか遅いかの差だよ。どうせ俺は元の生活に戻るためにいつかここを離れる」
「そうだけど……思い出をもっと残そうよ」
残せる思い出があるならいい。この場所を覚えておき、長期休暇になれば訪れる。そうやって毎年思い出を積み重ねていく。そんな未来があるならいい。
だけど、それは普通の人の話だ。俺は普通じゃない。思い出を重ねたところでじゃあなと別れを告げればもう二度とこの街に来ることはないし、この街で過ごした思い出も消えてしまう。
「残せる思い出があるならいい……」
「どういうこと?」
言ってしまうのか? 記憶のことを海乃に。これを言えば海乃も納得して別れてくれると思う。
「一番線に電車が到着します。下がってお待ちください」
ホームに着いてから二度目の車掌の声が聞こえる。言うなら今しかない。
「俺は……」
言うんだ。はっきり。
俺は一度小さく深呼吸をした後……
「記憶を無くすんだ。一ヶ月に一度。だからこの夏の思い出も消えてなくなる。残るものはなにもないんだ」
俺の言葉を聞き大きく目を開く海乃。一度下を向き、返す言葉を決心したのか笑い俺の目を離さず捉えた。
「私も失うんだ……一ヶ月に一度自分の記憶が。同じだね」
一瞬海乃がなにを言っているのか分からなかった。
「だからこそ残そうよ。最高の夏の思い出を」
黙って海乃は俺の手を取り歩き出す。二度目の電車が通過していく中、俺はただ呆然とその手に引かれていくだけだった。
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