文字媒体というメディア
いわのふ
文字媒体というメディア
1.何故、本は読まれないのか
もう何年も前から、本を読まない人が増えたと言われてきた。わたしが少年の頃からなので、今に始まった話ではない。
なぜ、「本を読まなくなったか、新聞を読まなくなったか」について哲学の教師が簡単なことだと言った。すでに数十年前になる。
「テレビその他のメディアで同等の情報が得られるのに特にニュース性が求められる分野ではもはや文字はニュースですらない。娯楽であればマンガ、映画、ビデオがある」
当たり前の話ではある。さらに、「編集王」というマンガにも事情が事細かに描かれており(作者はもうお亡くなりだが)、よほど芸能人でも無い限り、新人作家などデビューのしようがないわけで、デビューしたところでそれで食っていけるわけではない。今では日本人の五人に一人しか日常的に本を読まない(電子書籍を含む)といわれているほど市場は縮小している。
「編集王」は文芸が衰退した後のマンガ全盛の時代に描かれたが、やがてゲームに娯楽の座を奪われていくであろうことを予測した。そして作者の土田世紀はなくなった。マンガも同様の経緯をたどりつつあるようだ。
今ではゲームすら怪しい。高度化が進むかとおもいきや、携帯やスマホゲームの普及で一気に開発コストが安く、課金制のゲームが流行した。その後はもう見る影もなく、大タイトルは別にして特に視点を変えたよほどできの良いゲームでもなければヒットなど望むべくもない。今後はVR技術の発達、というより、コンテンツの充実でそちらに顧客を奪われていくのであろう。脳に直接、情報を投射する技術が開発される迄は。
メディアというのは変遷するものであり、文字が発明され、印刷技術が発明された後は雪崩式に変遷期間が短縮されている。日本では早期に多色刷りの浮世絵が実現され大衆娯楽となった。今では極めて印刷技術が高度化している。家庭にあるインクジェットプリンタ、ページプリンタは超微細なインク粒子を細かく制御して写真画質で印字できるまでになった。もはや印刷会社は本来の技術で食っていくことさえできなくなって、別のビジネスで稼いでいる。
文字でなければ困る分野というのは限られている。たとえば科学技術書類などで、これは電子書籍より、あるいは動画式の解説より活字本の方がはるかに良い。数式が多く、自分で書き込んで導出した経緯を書いておくことができるし、一々付箋ソフトなど使ったり、最近のOSで実現されたようなメモ機能で数式なんか面倒で書いていられない。いまだにペンタッチでの数式入力には問題が多く、使いものにならないからだ。
以上、文章を使ったメディアにはわずかな用途にその必然性を見るだけであり、やはり衰退するメディアであることに代わりないと思う。
2. 解説本ビジネス
となるとごく一部の特殊な分野を狙い撃ちして書こう、と書き手は考える。例えば、この手のサイトやブログサイトなどでいかにしてカウント数をかせぐか、といった本当かどうかは分からないがその手の解説である。この文章もその種のものである、と言われればそうではあるが、私は何もカウントを稼ごうとして書いているわけではない。実態を見てその思いを書いているだけである。
で、この手の文書は大抵あてにならない。意図的に狙ったとしか思えないものもあれば特殊な人の実体験もある。文章作成能力が格段に優れた人がごく一冊ほど書くものは信用して良いかもしれない。だが、連発している人は確信犯である。まあ、それは私の感覚から述べているに過ぎず、事実誤認である可能性を捨て去ることはできないが。
あとはソフトの解説書のたぐいである。ワープロソフト、表計算ソフトなどその手の得意な人が書くものである。中には役に立つものもあるが、多くの場合には記述に問題があり、よほど動画サイトでも見た方が良い、とおもわせるものもある。とはいえ、PCが不得意な人は一定数いるわけで、近頃はスマホの普及でPCに慣れず、会社に入ってから困った、ということになり買い求める人もいる。
良いか悪いかわからないが、ソフトの使い方はインターフェイスから何からバージョンアップのたびに変化していくので、そのたびに出現する難民にとっては救いに船、ということにもなる。なので、いつまでたってもなくなりはしない。だが、先に述べたとおり動画サイトの方がよほどわかりやすい。当たり前と言えば当たり前で、画面の操作を文章にしているので文章での解説は二度手間だからだ。
3.結局は知識をいかに吸収しやすくするか
この時代に至るまでに、出版は不況を呈するようになり、なおかつ他のメディアはどうかというとテレビ業界まで不振である。ほしい情報がいつでも動画で手に入れる手段が別にあるからだ。それが、便利であれば、つまり便利というのは知識を吸収する上で有利、かつ短時間ですむのであればそちらに移行するのは必然的である。
その点でも科学技術書類は未だ、重宝されていたりするがその原因は上述したとおりであり、インターフェイスが進化すればそれもまた同様の経緯をたどると思われる。
もはや、文章メディアの利用価値とはいかなるものなのか、という原点に立ち返らなければ、その復活はあり得ない、というところまで来ていると考える。
4.面白い、という文章はたしかにある
3で述べたように、文章の利用価値、という面でみると、文章でなくては表現できないような面白いモノを書く人もわずかながら存在するわけで、そういった人を発掘する意味でもこの手のサイトは必要かもしれない。全体のパイは縮小するかもしれないが、そのような文化は人の人生を豊かにするかもしれない、あるいは豊かにしなくても一時的にでも楽しい気分を味合わせてくれる。
このサイト、あるいは他のサイトでもそのような書き手は必ず存在しており、面白いわけである。ただ、その一点においてだけであっても文章というメディアに存在価値はあるかもしれない。判で押したような小説を読むくらいなら、別な娯楽がたくさんあるわけで、一時的にはそのような小説が人気になろうと、いずれは飽きられてしまう。そのターンオーバー期間はどんどん短くなっていくはずで、やがては廃れてしまう。しかし、上述したような才能ある書き手は、型にはまらず、かつ面白いのであり、文章というメディアが絶滅するわけではない、という可能性を示唆してくれるだけでも十分である。そのようなものが自分にも書ければ良いのではあるが、この作業には天が与えた才能というものがあるようで、自分にあるとも思えず、この才能に恵まれた方の文章を見てはため息をつくことになる。
以上
文字媒体というメディア いわのふ @IVANOV
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