鱗火と美月と世月

@lightningnyanko

第1話

 小春日よりの10月。

 街路樹はそろそろ色がつき始め、外での温かい飲み物がおいしいと感じ始める季節。

 裏路地の店先のパラソルの下、テーブルにはチューリップを逆さにしたガラスの器に盛られた、アイスと生クリーム、ぶどうのソルベに、完熟した大粒のブドウが容器の縁を飾る季節のパフェが運ばれてきた。

 待望の甘味に、とがった耳先がぴくぴくと動き、目を輝かせた。召し上がれの言葉を合図に、長く細長いスプーンが容器にのばされた。

「おいしいですか?世月」

 とってもと言って世月と呼ばれた少女は大きくうなずいた。

「それはよかった」

 目を細めて男は笑った。

 緑色の瞳、ビスケット色の髪は毛先がくるんとカールしていて、同色の耳と長いしっぽの先が機嫌がよいのかぱたぱた動いている。まだ幼さがのこっているように見えるため猫娘と呼べる風貌。その隣には、薄汚い白衣、黒縁のセルフレームの眼鏡、ぼさぼさの黒髪と無精ひげの男が座ってコーヒーを飲んでいる。

 しゃれた満席のカフェのオープンテラスのど真ん中。これを見る人の視線は痛い。店員は慣れているのか、さほど気にしている様子はなかった。

 それは異彩をはなっていた。まさしくもロリータと男の構図であったから。


「鱗火!」

 名前が呼ばれて男は顔を上げた。

 見ると白衣の女性が息を切らして近寄ってきた。

 美月!と名前を呼んで男はうれしそうに目を細めた。

「よくここがわかったね?お茶飲む?」

 空いている席を勧めて言った。

「所長が探していたわよ。もぅ携帯に出なさいよ」

「えぇぇ~僕休憩中」

 その言葉に一瞬で不機嫌になる。口をへの字にすると珈琲を音を立ててすすった。

 行儀が悪いと美月は思ったが、今はそのことを注意するところではない。小さくため息をついた。

 見れば珈琲やパフェは運ばれてきたばかりのようで、容器には残っている。

「…しかたないわ。それさっさと飲んでちょうだい」

 椅子がひかれ美月は座りこんだ。

 白衣の裾から長い足が見える。その先には先がとがったヒールの靴。髪をひとまとめにして、切れ長の目にくっきりとした鼻と唇。指先には濃い色のマニキュアがされた美人である。

 猫耳の少女、容姿を気にしない男に美人が加わり、さらに異様さを感じる。

 近寄ってきた店員に珈琲を頼む。

「そういえばここってタルトがおいしいのよね。世月食べる?」

 口の周りにクリームを付けたまま2つと愛くるしい笑顔で答えた。

 適当に頼むと先に運ばれてきた水に口をつけた。

「君ってたまに僕と世月の逢瀬を邪魔するよね~」

「必要なことやってないからよ」

「酷いなぁ…午前中に行ったらいなかったんじゃん。僕のせいじゃないよ」

 それはトイレに行くような、お茶を取りに行くようなそんな短い時間。いなかったで処理するような内容ではない。指定された時間にこなかったし、昼も食堂にいなかったからと美月に声がかかったのだ。

 この男はっっ。

 握ったコップに力が入る。

 ここが外でなく研究室だったら間違いなく、コップをテーブルに音をたてて置くであろう。

 我慢。

 片方の手を握り拳をつくり、音をたてないように静かに置いた。 足を組み替えて気を紛らわす。

 とりあえず、珈琲飲んだらは許した。

 さっさと飲ませて行ってもらおうじゃないの。

「ケーキ食べていい?」

 すでにパフェの容器は空で、注文したケーキとお茶が運ばれていた。

 カスタードクリームの上にカラメルされたリンゴと、モンブランが一つのさらに乗っている。美月のいいわよの言葉を合図にケーキの端っこをフォークですくって豪快に世月は口に入れた。

「おいしい?」

 目を輝かせてとってもと言う少女の頭をなでると満足そうに珈琲を飲み込んだ。

「美月。はい」

 世月がてっぺんにあった栗をすくって美月へと差し出した。

「美月と半分こ」

 ありがとうと言って美月が差し出されたケーキに口を開けて近づいた。

 唇の端にクリームがついたがそのまま口に入れた。イラっとしていたのが中和されていく。渋皮入りなのかちょっと苦くておいしい。

「美月ついてるよ~」

 世月が手を伸ばして口の端を指先がなぞり、それを口に運んだ。

 その動作に男の片眉がぴくりと跳ね上がる。

 天才と言う名の目の前にいる男は、外見など気にしない。薄汚れた白衣もぼさぼさの髪も、無精のひげも没頭する研究があればそれでいい。そしてきまぐれで、研究に没頭していたかと思えば、どこかにフラリと行ってしまう。それが重要な研究であと少しで成果が出るという矢先でも、彼にとっては関係ないようだ。

「それに飽きちゃったんだよねー」

 ものすごいことなのに、後は好きにしていいよと投げ出すこともあり、かなりの変わり者と反感を買うことが多い。それでも彼の能力を手放したくなく、多額の金と自由を与えると言ってくる施設は多い。

「あー無理かな。今のとこを気に入ってるし…総帥が変わったら考えるよ。」

 現在の所属しているところでは、彼の中で長いこと飽きがない。「総帥」の名前が出ると大抵の者は納得して終わってしまう。

 珈琲を堪能していると、美月の白衣のポケットの中からブルブルと振動音が聞こえた。慌てて取り出すと、発信者を確認して出た。

 相手の名前を呼んでしばらくすると「あ!」と声を上げた。すぐ戻るわとの返事をして電話を切った。

「もうこんな時間。会議」

 時計を確認し組んでいた足を地面につけると美月は立ち上がった。

「鱗火、この後所長室行くのよ。世月、好きなケーキ選んで夜斗に持っていってちょうだい」

 もちろんお代は鱗火持ちでとちゃっかり頼むとテーブルから離れていった。

 やれやれと邪魔者がいなくなったとすっかり冷めてしまった珈琲に手を伸ばす。

「何だい?世月」

 美月が去っていき、じっと世月は鱗火を見つめた。その視線に気がつき、声をかけた。

「なんでがっかりしちゃうの?」

 世月の名前を呼んで男は首をかしげた。

「それはどうしてかな?世月」

「鱗火がそういう匂いするから」

 くんくんと鼻を鳴らす。

「へぇ~僕がねぇ…」

 研究者には奇人変人はたくさんいるが、鱗火の場合はそれが群を抜いている。だから周りに人は寄ってこない。偏見なくなついているのは猫耳の少女である世月。それと雇い主の総帥とその娘。そして今の美月。

 同じ研究をしているからのつながりばかりで、こんな風にお茶をしていても誰かが声をかけてくるのはまずない。さみしいとか思ってもいないし、邪魔されなくてすむからそれでいいのだ。

「まったく君の能力には恐れいるよ。そして僕にそんな口を聞くのもね」

 手を伸ばして世月の頭をなでる。ほめられてうれしいと世月はへへへと笑った。

「だけど、こうしている時間を邪魔されるのは嫌いだな、僕は」

 行こうかと鱗火は立ち上げる。

「ねぇ世月。天気いいしどこかで昼寝しようか」

「賛成~!」と猫娘もそれに乗ってきた。


 トントンとドアがノックされた。誰とも確認せずに美月はどうぞと返事をする。

 僕帰ります。と助手の男の子が顔をのぞかせて挨拶をした。

「世月は?」

「僕一人でも平気です」

 茶色の髪に三角の耳、丸い黒い瞳の少年。

 ダメと引き止め、探すわと電話に手を伸ばした時だった。半開きとなった扉から猫娘が顔を覗かせる。

「夜斗帰るの?」

 鱗火は? と尋ねると不動んとこと返事。

「美月帰るね」

「気をつけるのよ?」

 夜斗ははーいと言葉を返しドアが閉まった。

 ちらりと時計を見るとすでに明日に近い時間となっている。

 パソコンの周りには書類、そして山と積まれた紙の束。

 ここは研究者に与えられた個室。隣には簡易的なシャワー室と睡眠がでるベットがあった。一応車で30分のところに自宅はあるが、めんどくさくなるとここに寝泊まりしてしまうのが常。今日もきっとそのコース。朝になって目が覚めたら、着替えと朝食をすればいいだけのこと。

 書類に目を戻した時に再度ドアがノックされ返事もなく入ってきたのは薄汚い白衣とぼさぼさ頭、無精ひげの男だった。

「なーにぃ? 昼間の仕返し?」

 やーねぇと仕事の邪魔よとばかりにため息をついた。

「邪魔だなんて人聞きの悪い。世月が帰ったから暇になったの」

「暇じゃないんだけど?」と机の書類達を指さして言うが、はいはいと適当に返事をし手前にあるソファに座ってしまった。

 人ととつるむのは嫌いだが、言われそうしますという男でもない。この男は何もかも自由なのだ。だから、ここに来てソファに座って何をするでもなく、思い出したように笑ったり、ぶつぶつと呟いてる。

 研究者達は口をそろえて言う。ノートやパソコンを使っているとこをあまり見たことがないと。すべては頭で行っている。会議でも発表でも何も見ないでしゃべているのだ。もちろん助手(というよりは貧乏くじを引いてしまったかわいそうな人)が会議用の書類を作るのだけども、すべては鱗火の頭に入っているために紙に起こすことが困難なのだ。そのせいで助手をつとまる人はおらず、プロジェクトが始まると、すべてを血眼にしてメモを取る研究者達となる。はっきりいって迷惑きまわりないのだこの男は。いやな空気が漂っていると思えばいいと気持ちを切り替えて、手元に目を戻した。

 しばらくしてのどのかわきを感じて顔を上げると男はまだソファの上に座っていた。飽きたらじゃあねと行って帰って行くからほっとく。立ち上がると小さな冷蔵庫からベットボトルを出して水を飲んだ。

 ふと背後の窓のブラインドの隙間から夜空が見える。

「満月…」

 呟くように見上げた。

 雲一つない空には満月が輝いていた。

「そっ今日は満月」

 近寄ってきた鱗火は美月の手からベットボトルを奪うと鱗火はのどを鳴らして飲み込んだ。

「だから?」

「いけないかい?」

 くすくすと男は耳元で笑った。

「世月でいいじゃない」

「ダメだよ。世月は子供だから。そっあの子は永遠に子供」

 世月のわがままと鱗火のわがままはよく似ている。やりたいようにする。気まぐれなんて当たり前。おなかが空いたらご飯を食べ、眠くなったら寝る。今思いついたから研究をして、あきたら辞める。それは子供の欲望のわがままと似ていた。世月も成人に超したことはないのだが、体も心も子供のままなのだ。同じ考えを持つ同士だからそばにいて違和感など感じない。

 だから鱗火はそれ以外を世月に求めていない。

「世月は好きだけど、愛しているのは君だけだよ」

 面倒くさいが、目的を達成するまでこの男は引き下がらない。

 もう、とため息をついた。月の明かりを浴びた美月の髪の色が変わっていく。絹の糸のような光沢のある白。透き通る白い肌、赤い唇、縦に筋が入った金色の瞳。頭の先にはとがった耳。

「美月」

 腰に腕を回して美月を抱きしめる。

「ちょっと」

 顔が赤くなり恥ずかしさを美月が表すが、鱗火は手をゆるめない。結んでいた髪をほどき、頭をなでた。

 普段は人の姿をしているけれど、美月は美しい白狐であった。

 世月はそのまま猫娘ではいるが、研究者となった美月は人の姿でいた方がなにかと都合がよいのだ。もちろん白狐であることを隠したいわけではない。肩書きだって白狐と記載してあるし、周りもそれを承知している。だが、満月の日は姿を戻してしまう。それを狙って鱗火は美月へと足を向けるのだ。

 元の姿に戻った美月を抱きしめ鱗火は満足そうだ。

 ため息をついて、美月は鱗火の肩に顔を埋めた。白い髪が鱗火の鼻をくすぐる。たったこれだけで、鱗火が上機嫌になるのだから周りが拒否するなと美月に言ってこないわけがない。

 嫌いではない。嫌いではないんだけど…。

「これ飲んでみない?」

 白衣のポケットから取り出したのは小さな小瓶。それには液体らしきものが入っている。

「子供になる薬。やっとできてね。飲んで」

 ニコニコと鱗火がうれしそうだが、美月の目が点になる。

「…鱗火?」

「だって君の子供のころはとっってもかわいくってさー。またあのころの姿に戻ってくれないかな?」

「世月は永遠の子供って…。」

「世月は世月。美月は美月。あー二人に鱗火って呼ばれてぎゅっとされたら、気分は最高だろうな」

 ひげ面の男がそれを想像して笑う。自分が身近な人物で、そういう性格だと知っていてもぶるっと寒気がして身震いをしてしまう。

「…ふっ」

 美月が目を伏せた。肩が震える。

「美月?」

「このーロリコンがぁぁっっっ。」

 叫ぶ言葉と同時に、鱗火のみぞおちに美月の拳が入り込んだ。

 小さなうめき声が鱗火の口がから発せられ、床に膝をつく。

 ふんと鼻で息をすると、研究所内にある売店にでも行ってこようかなと机の引き出しから財布を取り出した。

「美…月ぃ…?」

「あ~あ~ひげも髪もキレイにしたらいいのにねぇ~。だってキスする時痛いじゃない」

 じゃあねと動けない鱗火を置いて、美月は研究室を白狐の姿のまま出ていった。

「…ひどい。あんな子じゃなかったのに…」

 苦しいおなかを抱えるように鱗火はつぶやいた。


 美月の膝に上には世月が頭をのせて眠っていた。

 朝起きてみたら鱗火がおなかが痛いと言って、起きられる状態ではないとのこと。暇になってしまい、それで美月のところへ来たのだ。

 美月に与えられた個室のソファの上、美月は世月が起きないように静かにしながら書類を眺めていた。

 時折、世月の頭をなで、カールした髪を指ですく。柔らかい髪の感触に、なでたくなる衝動がおきてくる。猫の属性であるから、人の姿になっていても、そういった仕草やさせたくなる誘惑は持っているのだ。

 もし、鱗火のそばでなく、他の研究員のところにいれば、世月はそれなりにかわいがられ、アイドルのような存在にはなるだろう。

 だがそれはあくまで、表向き。本来の世月は組織である会社の害虫を除外するための組織、暗殺部の一人。

 総帥の娘であるクレアが筆頭となる組織で、命令とあれば確実に続行する者達。世月も血なまぐさい世界へ身を置いて、殺戮を繰り返してはいたけれど、クレアの母とクレアが追放となった事件以降からは任務が極端に減り、昼間鱗火と遊び回っていることが多くなった。人を殺す技を持っているとわかっていても、美月にはそれが恐怖だとは思わなかった。

 なぜなら世月は子供と呼ばれた幼い時にどこからか鱗火が連れてきたから。幼子から現在にいたるまでの課程を身近で見ているから、そんな感情はわいてこない。もっとも暗殺部は内密の組織だけあって、世月が暗殺者だと知る研究者は少なく、あの鱗火に拾われ、成長したと不思議がられているは確かだ。

「…それにしても。鱗火は何者なのかしら?」

 書類で口元を隠して記憶をたどる。気がつけば鱗火が隣にいた。世月は暗殺者となったが、美月が合わなくて研究者となった。

 残念だが美月に幼いころの記憶が曖昧。断片すぎて覚えていないのだ。その詳細はわからない。

 美月は白狐、世月は猫娘。どっちも人ではない。人より自由な姿になるのは可能だし、人より長く生きているために、老いは緩やかだ。だが、鱗火が人以外の者であることを聞いたことがない。

「僕は人だよ」

 と質問した時に返事が返ってきた。

 だが、世月が拾われたのは20年前の話で、美月はもっと前。その時から風貌は全然かわっていないのだ。一緒の生活をしてきたかわわかる。自分のために何か薬を開発したとか、生命を維持するための装置を開発したとか、そんなことは聞いたことも見たこともない。

「鱗火は鱗火だよー」

 眠い目を擦って世月が起き上がった。

「美月ぃおなか空いたぁ」

 寝ぼけた声で空腹を訴える。時計を見ればすっかり昼が過ぎている。

「じゃあ何か食べに行こうか」

「…オムライス。」

 はいはいと返事をして美月は立ち上がる。

 白衣のポケットに財布があるのを確かめ、寝起きの世月の手を引いて研究室を出た。

 鱗火は鱗火だよー。

 その言葉に妙に納得がいき、それもそっかとぽつりと呟いた。

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