1-10

 蜘蛛足がまるで掘削機械のように次々と振り下ろされる。その威力は床に開いていく大穴が如実に物語っていた。

 その蜘蛛足を伊藤は避け続けていく。傍から見ればかなりギリギリだ。

「ほれほれほれ! 止まらんと辛いだけじゃぞ? 諦めて立ち止まらんかい!」

 一方、笑う蜘蛛女には余裕があった。

 ここまで一回も戦っていないし、そもそも化け物と人間では体力という概念が違う。息が上がりつつある伊藤とはなにもかもが違っていた。

「くそがぁ!」

 振り下ろされた蜘蛛足をギリギリで避けて、伊藤が反撃の発砲。

 蜘蛛女を狙ったその正確無比な一発、

「甘いわっ!」

 それはあっさりと蜘蛛足に弾かれる。

「くっそ硬すぎる!」

 床に大穴を開けるだけの強度がある蜘蛛足は、拳銃弾すらも通さない外殻を持っていた。しかもまるで手足のように動かされるそれにはしなやかさもある。

「くはははは! 短筒ごときでわらわに刃向かうか愚か者がぁ!」

「短筒じゃなくてピストルっつうんだよ!」

 そんな叫び声を蜘蛛女は黙殺する。

 ここで一旦、伊藤は距離を離した。蜘蛛足が届く範囲の外へ身を置く。

 図体の大きい蜘蛛女は動きが鈍いだろう、そう思って少しばかり距離を離した彼の考えを、

「ほれほれ逃げるなぁ!」

 蜘蛛女はあっさりと覆した。

 八本の蜘蛛足を周囲の床に突き刺し、力を込めて勢い良く跳躍。

「くっ!?」

 その着地点に居た伊藤はすぐさま走り出した。

 僅かに遅れて蜘蛛女が着地――否、着弾。床を大きくへこませて、また蜘蛛足を振り回し始める。

 それはまるでモグラ叩きのようだった。

 伊藤はただひたすらに避け続けるしかない。

「立ち止まれば楽じゃぞぉ! そろそろ諦めんか!」

 だが蜘蛛女にも内心、苛立ちはあった。

(なぜじゃ! なぜ当たらん!)

 次々と蜘蛛足を振り回し振り下ろしながら、心の中で悪態をつく。

 ここまでずっと戦い通しで疲労もたまっているはずの伊藤に、蜘蛛足を一回も当てられていないのだ。

 これまでの長い年月、蜘蛛としての本性を現した状態でここまで『苦戦』した記憶は彼女にはなかった。

「わらわが、わらわがたかが人間ごときにぃ!」

 その焦りが、攻撃をさらに苛烈にしていく。

 もはやなりふり構わず振り下ろされていく蜘蛛足。次々と穿たれる大穴。

 しかし、彼女は手の内を見せすぎてしまっていたのだ。

 避け続けながらも伊藤は――ニヤリと笑った。

 次の瞬間――

「っつぅ!?」

 痛みに呻いたのは蜘蛛女だった。

 蜘蛛足に走った突然の痛み、だがそれよりも驚きの方が勝っていた。

「なんじゃ、いったいなんじゃ……!」

 激痛が走った蜘蛛足を見て、そしてようやく彼女は気がついた。

 蜘蛛足の関節部分――どうしても他の場所より柔らかくなるその場所から、どす黒い液体があふれ出していた。

「き、きさまぁ!」

 怒りの声を上げながら彼女は蜘蛛足を振り回す。

 だがもうその動きは伊藤にとっては見飽きたものだった。

 目の前に振り下ろされた蜘蛛足を避けざまに右手で構えた拳銃を発砲。放たれた弾丸は関節部分を穿ち、貫通する。

「おのれおのれおのれぇ!」

 さらに苛烈になっていく蜘蛛足の攻撃。だがもう彼には通用しない。

 右から左へ振り回される蜘蛛足に、姿勢を低くして発砲。そこを狙って振り下ろされた蜘蛛足に、テンポ良くダブルタップ(二連速射)。飛び散った体液と空薬莢が地面に落ちるよりも早く、次の蜘蛛足に向けて発砲。

「足が! わらわの足がぁ!」

 目に見えて鈍くなってきた蜘蛛足を掻い潜りながら、伊藤はここぞとばかりに蜘蛛女へと接近する。

 だが、もうあと少しで攻撃できるというところで――

「舐めるなよ小僧がっ!」

 蜘蛛女が吠えた。

 吠えざまに地面に一斉に蜘蛛足を突き刺し、力を込めて――跳躍。

 高く飛び上がった蜘蛛女を油断なく見据える伊藤。どこへ逃げようとも追い詰める――そう彼は考えていた。

 だが蜘蛛女は、ただ逃げたのではなかった。

 彼女の口が大きく膨れ、それを吐き出した。

 大量の――蜘蛛糸。

「ちっ!」

 伊藤は舌打ちしながら蜘蛛糸の範囲から外れる。

 床にまるで巣のように張り巡らされた蜘蛛糸が、目に見えて伊藤の動きを制限する。

 そして、その中央部分に蜘蛛女は着地した。

「ほれほれどうしたのじゃ! さっさとかかってこんかい!」

 蜘蛛足をなおも振り回しながら蜘蛛女は挑発する。

 伊藤はなんとかその本体を狙おうとするが、足元の蜘蛛糸が邪魔でなかなか攻撃できないでいた。

 もしもまた、蜘蛛女が糸を吐き出したら?

 そうなったら伊藤は移動することすらできなくなってしまうかもしれない。

「くそっ!」

 振り下ろされ、振り回される蜘蛛足を伊藤はなんとか避ける。

 一方の蜘蛛女は、自らが張り巡らした糸のことを気にせずに移動し続ける。その動きを観察しながら、伊藤はなおも回避に専念。

 だが、それもすぐに限界が来てしまった。

 蜘蛛糸の上に、足が乗ってしまう。

「っ!?」

「これで終わりじゃぁ!」

 そこに蜘蛛足が振り下ろされる。

 自分目がけて振り下ろされるその鋭い先端を見据えながら古谷は――

 

 ――蜘蛛女目がけて走り出した。

 

 

「な、なんじゃとぉ!?」

 あまりの驚きに一瞬蜘蛛女の動きが止まった。だがすぐに蜘蛛足を振り回し始める。

 それを避けながら伊藤は蜘蛛糸の上を走り抜ける。

「どういうことじゃ!?」

 振り下ろされる蜘蛛足。接近する伊藤。

「きさまぁぁぁ!」

 蜘蛛足と伊藤が交錯し、そして――

「悪いな、蜘蛛女」

 ――ピタリと、銃口が蜘蛛女の顔に向けられる。

「蜘蛛の巣はな、縦糸に粘着性はないんだよ」

 そして、ダブルタップ。

 鼻っ柱に叩き込まれた弾丸は、その役目を遺憾なく発揮。

「が……ふっ」

 奇妙なうめき声を上げながら蜘蛛女の巨体がゆっくりと傾き、そして――倒れた。

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