1-4

 右手に刀を下げ、左手を壁につけながら伊藤は歩く。

 その後ろを、少し離れてオドオドとした女子高生がついていく。

 一定の歩幅で歩き続ける伊藤に対して、女子高生は彼を警戒しているかのような――ついていくべきかいかざるべきか迷っているような感じで歩いている。

 とはいえこの状況でまるで散歩でもしているかのような伊藤の方がおかしいのだが。

「そういえば、」

 伊藤が歩きながら聞く。

「君、名前は?」

「え?」

 かなり気軽な問いかけに女子高生が怪訝な顔をする。

 その返答をどう受け取ったのか、伊藤はさらに続ける。

「あ、苗字だけでもいいしなんだったらあだ名でもいいよ? なんかあった時にどう呼べばいいかの問題だからな」

「…………」

 女子高生は考え込む。

 その雰囲気を感じ取ったのか、伊藤が首だけ振り向きながら謝罪する。

「おっと、わりぃわりぃ、名前聞く時は自分から名乗らなきゃな。俺は伊藤。伊藤武。好きなように呼んでくれていいぜ?」

「わら――わたしは、紅 蓮子(くれない れんこ)です。紅、と呼んでください」

 少し噛んだのか言い直す女子高生――紅に、伊藤はナンパでもしているかのような軽い口調で答える。

「おーけい。そういやさ紅……紅ちゃん? さっそくで悪いんだけど、ここがどこだか分かる?」

 突然の質問に驚きながらも、紅は周囲を見回して考える。だが彼女の返答は伊藤が予測したとおりのものだった。

「え、えっと……わ、分からないです」

「ま、そうだよね」

 聞いておきながらも大して期待していなかったのかその点についてはあっさり諦める伊藤。

「それじゃ、なにか武器とか持ってる? ライターとスプレーとかでもいいからさ」

「らいたー……すぷれー……も、持ってない、と思います」

「そこは確信してほしかったなぁ」

 口調は残念そうだったが、表情は苦笑い。これについても期待していなかったようだ。

「それじゃ紅ちゃん。なにか気になることとかあったらなんでも言ってね。大事なことかもしれないから。例えば変なモノが見えたり、変な匂いがしたりとか。物音とかも大事だからね。いいね?」

 口調は軽めだったが、最後の問いかけだけは強めだった。有無を言わさぬものを感じて、紅は頷く。

「わ、分かりました……い、伊藤、さん?」

「ん? なんか気になることでもあった?」

 顔だけ振り向きながら伊藤が問い返す。

 彼女は少し迷った様子を見せながらも、思い切ってといった感じで質問を投げかけた。

「どうして左手をついて歩いてるんですか?」

「え?」

「え?」

「あー、そうか。知らないのね。こういう迷宮っていうのはね、片方の壁に手をついて歩いてればだいたいは攻略できるんだぜ。“何回もこれで脱出してきたから”、信頼できる方法だしさ」

「な、何回も……?」

「ま、階段があったり空間が乱れてたりワープホールがあったりすると役に立たないんだけどさ。あと無敵状態の敵から逃げる時とかはそれどころじゃなくなったりするし。そういうのがない初心者向けの迷路にはぴったりの攻略方法だぜ?」

「わ、わーぷほーる……?」

 情報量が多すぎたのか意味が分からなさすぎたのか、女子高生はハテナマークを次々と頭の上に浮かべる。

 というよりも伊藤の言ってることがおかしいのだ。

 まるでそれは“何度も何度も”こういった状況に巻き込まれているかのようで――

「い、伊藤さん」

「ん?」

「あなたは――」

「――ストップ」

 伊藤が歩みを止め、左手を紅に向けて制止をかける。

 少し驚いた様子で彼女は足を止めた。

 そして――前方、少し先の曲がり角の向こうから響いていた足音と金属音も止まった。

 しばしの、静寂。

「はっはー! バレバレなんだよぉ!」

 それを突き破って伊藤は駆け出した。

 その声に気づいたのか前方の曲がり角の向こうから鎧武者が現れる。先ほど倒した鎧武者と同じような出で立ちで、抜刀した刀を右上段に構えている。

 どっしりと構える鎧武者、そこに突っ込んでいく伊藤――両者の距離が急速に縮まる。

 そして刀の間合いに入ろうとしたところで――

「ふんっ!」

 伊藤が気合一発、両足で踏み切って“跳んだ”。

 ドロップキック。

「……!?」

 とっさのことで対応できなかった鎧武者の胸部に両足を揃えた一撃が炸裂する。

 着込んでいた鎧のおかげで威力の大部分は吸収されたが、人間一人分の体重が乗ったドロップキックをそれだけで受け止めきれるはずがない。

 たたらを踏んで鎧武者が後退する。

「だらっしゃぁぁぁ!」

 そこに早くも体勢を立て直した伊藤が突撃する。

 慌てて刀を構えなおそうとする鎧武者より早く、伊藤が横なぎの一撃を放つ。

 刀の重量と切れ味が重なったその一撃は、鎧武者の首を半ば切り離しかねないほどの威力だった。

「……!」

 この鎧武者の傷からも血は流れ出なかったが致命傷ではあったようで、自分の首元を押さえるようにして鎧武者は膝から崩れ落ちた。

「ふぅ……こんなもんか」

「だ、大丈夫ですかぁ!?」

 一息ついた伊藤の元に、紅が駆け寄ってくる。

 そして、倒れ伏す鎧武者を見て、言葉を失った。

 いや、正確には「あっさりと鎧武者を倒した伊藤」の所業に言葉を失ったのだ。

 対して伊藤は、「準備運動にもならないなこりゃ」と言いながら肩をぐるぐる回し、持っていた刀を捨てて倒れた鎧武者から新しく奪った。

 あまりにも慣れた手つき。

 ようやく紅は、聞くべきことを思い出せた。

「伊藤さん」

「ん?」

「なんで――なんでそんなに、慣れてるんですか?」

 それに対する答え――伊藤には簡単すぎた。

「そりゃぁ……慣れてるから、慣れてるんだよ?」

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