第15話 弥五郎、小牧長久手の裏にて

 信長公の盟友にして、東海一の弓取りとして世間に知られる名将、徳川家康。


 彼は信長公の没後、秀吉と、基本的にはゆるやかな友好関係を保ちつつ、しかし決してべたつきもせず、一定の距離を保っていた。織田家の内紛がどうなるか、冷静に見極めようとしていたのだろう。


 その家康が、織田信雄についた。

 秀吉と戦うことを宣言した。


「我が盟友、織田信長殿の遺領を好き放題に切り取りし、天下を我が物にしようとする羽柴秀吉。これを討つことは紛う事なき正義である」


 と、家康は叫んだ。

 この言葉、すべて嘘ではないだろう。


 だが、その裏では――

 カンナが俺に教えてくれた。


「徳川様の領内では、侍も百姓もみんなが噂をしよるらしいよ。このままいけば、徳川領の

人間は全部羽柴に支配されて、いいように使われてしまう……って」


「誰が、そんな噂をしてるんだ?」


「みんなやろ。……弥五郎と藤吉郎さんで、羽柴の商売網を作って徳川領も抱き込もうとしたやない。あれも、見る人が見れば、銭の力で自分たちを支配しようとしているように……」


「そんなつもりは毛頭ない!」


 しかし、俺がどう言おうとも、やられる側としてはそうは思えないのだろう。

 こうして、家康自身の正義、徳川の領民の不安、織田信雄の要請など、さまざまな理由が重なり、織田徳川は連合して、羽柴家と戦争をすることにしたのである。


 家康は軍を率いて、尾張国清洲城に入城。

 織田信雄は喜び、家康の手をぐっと握ると、涙ぐみ、


「父の代から変わらぬ友好に感謝する。織田と徳川が手を組めば天下無敵。武田家さえ亡ぼした我らの強さを、羽柴に思い知らせてやりましょう!」


 ――その武田家を亡ぼしたとき、信雄はなにもしていなかったじゃないか。

 と、のちのち話を聞いた俺は思ったのだが、世間は案外単純というか、信雄のその言葉で織田徳川軍の士気は大いに上がったらしい。秀吉もいよいよおしまいじゃ、天下は再び織田家のものじゃ、と――清洲城に集った将兵は大騒ぎしたとのことである。


 そんな騒ぎとは裏腹に。

 家康は冷静である。


「我らだけで、羽柴は倒せぬ」


 と告げて、まだ秀吉に従属していない勢力。

 すなわち四国の戦国大名である長宗我部元親や、紀伊の雑賀一揆・根来衆に働きかけ、秀吉を攻撃するように依頼した。かつての信長包囲網に似ている。


 このうち、根来衆はただちに行動。

 30000の兵を率いて大坂に押し寄せた。

 これは黒田官兵衛や、秀吉の家来である中村一氏らが打ち破ったが、秀吉といえど楽勝というムードではなくなった。


「ただちに信雄と家康を倒さねば、どうにもならぬ」


 秀吉は本格的に、織田徳川軍と戦闘を開始した。

 大坂から岐阜、そして尾張の犬山城に入った秀吉は味方側の城砦各地に土塁を構築。さらにこの数ヶ月で俺の神砲衆が作り上げた1500丁の新型銃を前線の兵に装備させた。


 八角の銃身に八角の銃口。

 さらに本来の火縄銃より砲身を長くすることで、射程を長くしたものである。

 砲身を長くすれば、その分、重量が増すため、鉄砲を持ったまま跳んだり走ったりする野戦の使用にはあまり向いていない。


 だが、この新型銃は、秀吉軍の戦い方と、非常に相性が良いのだ。

 秀吉軍は兵糧攻めや水攻め、あるいは砦や土塁を作り上げて、敵を包囲するような戦い方が得意だが、その戦闘スタイルに射程の長い新型銃はとても便利なのだ。


 だぁーんっ

 だぁーんっ


 と長距離射程で敵を狙い撃ちにする秀吉軍を見て、織田・徳川軍は驚き、


「なんというところから撃ってくるのだ!」


 と、度肝を抜かれたと言う。


「なんだ、あの銃は。どこから持ってきおった」


「山田弥五郎だ。あの男が作ったに違いない」


「山田弥五郎……! またしても、とんでもない武器を作りおる。さすがにひと味違う!」


 織田・徳川の武将たちは口々に、俺の新型銃を怯え、恐れた。

 織田・徳川連合軍は一時的に後退を余儀なくされたらしい。


 のぞまぬ戦ではあったが、しかし製造者の俺としては、少々の喜びも感じていた。

 してやったり、である。……




 今回の戦い、俺はある理由から前線には出ず。

 神砲衆は伊与に任せて、カンナとふたりで京の都に留まっていた。

 そういうわけで、ここからの話は後になって伊与から聞いた話だが――


 尾張にて。

 徳川軍が一度、秀吉軍に攻撃を仕掛けてきたときがある。

 徳川軍はこともあろうに、連装銃で攻めてきたと言う。


 ……だーん、だーん、だだだーんっ!


「あれは俊明が作ったものだ!」


 そのとき前線にいた伊与は、思わず叫んだらしい。

 かつて俺が信長公と、その同盟相手だった徳川家のために製造した連装銃。

 それがなんと、徳川軍に使われてしまったのだ。さすがに羽柴軍は、驚いたらしい。


 しかし総大将たる秀吉は、敵が連装銃を使ったと知ると、フフンと笑い、いきなり駆けだして馬に飛び乗り、最前線へと登場した、という。


 この行動には敵味方誰もがぶったまげた。

 伊与さえ驚愕し、


「大殿、なにをしておられますか。敵から狙い撃ちにされます!」


「大事ない! ……聞けよ、者ども! わしは天下の大将軍、羽柴秀吉である!」


 秀吉は、戦場一帯に響き渡るほどの雄叫びをあげると、


「この秀吉に、我が盟友たる山田弥五郎の作った銃が、牙を剥くはずがなかろうが! 撃てるものならば撃ってみよ! 一発たりとて、かすりもせんわ!! はっはっはっはっは……!!」


 凄まじいまでの大音声に、羽柴軍は誰もが唖然とし、徳川軍もまた驚きつつ――しかし徳川方の鉄砲兵は「馬鹿なやつだ」とばかりに笑い、連装銃をそれっと構える。次の瞬間、だんだんだぁん! 何十、何百もの弾丸が秀吉に向かって撃ち放たれ――


 本当に。

 一発も当たらなかった。


 驚異である。真っ昼間、まばゆいばかりの陽光が、馬上の秀吉に降り注ぎ、手慣れた者なら目をつぶっても当てられる。そんな状態だったというのに。


「それ見よ、言わんこっちゃない!」


 秀吉はまた、馬鹿笑いをあげた。


「これで誰もが分かったろうが。天がどちらを正義と見ておるか。この秀吉は日輪の化身、山田弥五郎は神砲の作り手。悪党どもが何千何万と寄り集うたところで、我らにとってはまるでものの数ではないわ。織田、徳川のご家来衆よ。天道を恐れよ、そしてわしの下につけ。いまならばまだ間に合うぞ。あっはっはっはっは……!」


 秀吉は大笑いしながら、くるりと敵に背中を向けて、ゆうゆうと本陣へ戻っていったという。

 敵も味方も、伊与さえも。

 誰もが口を開けて呆然としていた。


 ――これも後になって聞いた話だが、織田信雄は秀吉のことを聞いて「まぐれじゃ、まぐれじゃ。ただの偶然じゃ!」と大騒ぎしたそうな。


 しかし。

 家康は違った。

 苦々しげに爪を噛みしめると、


「まぐれなものか。あれが羽柴秀吉と山田俊明の持っている武運なのだ」


 それから、薄い笑みを浮かべてつぶやいた。


「オレはもう何十年も前から、その凄みを知っている」




 秀吉のパフォーマンスはあったが、急に織田や徳川の兵が降伏したりはしなかった。

 だからといって、織田・徳川の味方も増えなかった。


 秀吉の失敗だろうか?

 否。これは驚異的な『成功』である。

 いざ戦になれば、尾張、美濃、伊勢など、織田家の影響が強い国からは、もっと織田・徳川の味方が出てくると誰もが考えていたのだ。


 なにしろ今回は家康まで織田についているのだから。

(かつての織田信孝には家康がいなかったのが大きいと思われていた)

 信長公の盟友、家康が立てば、大義名分では秀吉は圧倒的に不利なのだ。


 それが、ほとんど寝返らなかった。

 これはやはり、原因のひとつとして、秀吉の大パフォーマンスが影響したのだ。

 あるいは本当に、秀吉は日輪の化身なのか、と――誰もが思った。それほど影響が大きかった。


 しかし他にも理由がある。

 例えば、羽柴秀勝の家督辞退。

 あれで親織田勢力は、現在の織田家を見限り始めたのだ。


 その秀勝本人は、今回のいくさでもいちおう出陣してはいるが、近江国の草津に布陣していて、秀吉本人がいる本陣からは遠く離れた場所にいる。


 この理由は、病弱ということもあるが、それにしても、今回は織田家との戦いなので秀勝の存在は利用価値がもっとあるはずなのだ。

 だが、秀吉はもはや、この養子にまるで期待をしていないようであった。




 このように、秀吉と織田信雄、家康の戦いは続いている。

 いわゆる小牧長久手の戦いだ。


 さて、この戦いにおいて神砲衆は、伊与を大将として150人の軍勢を編成しているのだが、では肝心の俺はなにをしているのか。


 京の都で、カンナといっしょに。

 織田・徳川に対する経済制裁の仕事を行っていたのだ。


 4月7日、羽柴家は、秀吉が認めた座以外での米や金属の売買を禁止した。

 織田・徳川両家に米や各種金属を届けないようにするためだ。これにより、羽柴経済網と織田徳川経済網は決定的に断絶、対立してしまったのであるが、


「……これで織田と徳川が参るやろうか?」


 屋敷の中で、カンナはひたすら書類に目を通しながら、俺に向かって言った。

 俺も書類を次々に見まくって、織田信雄や徳川家康に繋がりそうな座や商店を発見すると、部下を呼んで、取引停止の文面を送るように告げる。……告げながら、俺はカンナの言葉に答えた。


「いきなりは参らないだろう。両家とも金や金属、兵糧を貯め込んでいるだろうからな。しかし家来衆や領民への影響は大きいだろうぜ。士気を下げる効果はあると思う」


「……ここまでやって、樹は本当に大丈夫かね? 離縁はされんまでも、別居、ちゅうことにならんやろか」


「五右衛門たちも送ったんだ、大丈夫だろう。……どうせこの戦いはそう長くは続かないし、いずれは徳川だって羽柴家に臣従するんだから」


「そら、そうやろうけど。あんた、ちょっと冷たくない? 樹に文くらい送ってやったとね?」


「言わなくても、樹なら俺の立場や気持ちくらい察してくれるさ。賢い娘だ」


「ほらほら、それそれ! あんた、ちーっとも女の気持ちばわかっとらん! 昔っからそうよ。こういうときに、大丈夫だ、心配するな、必ず自分がなんとかするから、くらいのことが言えんとね? その一言を送るだけで樹は安心するやろうに。


 いくら娘ちゅうても、伊与とは違うんやから。父親としてもっと気遣いしちゃりやい。……ほんっと、なして男ちゅうのは仕事のことばかり気にして、家族のことはその半分も

気遣わんのやろ!」


「お、おう……」


 カンナの罵声が、飛んでくる飛んでくる。

 しかも男性全体への批判に発展してしまった。


 そこまで言わんでも、とも思ったが、こうなったときに反論するとろくなことにならないので、俺は「すまん」と一言詫びて、気遣いの手紙を大急ぎで執筆した。


「よし。この文を駿河の樹に送ろう。……それと五右衛門と次郎兵衛、松下嘉兵衛さんにも別の文を送って、情報の交換をしよう」


「それがよか。ついでに大坂の牛神丸にもたまには文を送りいよ? 吉兵衛ちゃん(黒田長政)が大坂の留守を務めとるから、あの子も大坂におるんやけ」


「そっちこそ母親のカンナが送れよ……。と言うか、ちゃん付けはよせ。もう元服した侍だぞ。……聞いたらきっと怒るぜ」


「だってえ、松寿丸って呼ばれてたころから知っとるんやけん、つい……」


 と、カンナと話しながら書類仕事をこなしていると、部屋にあかりがやってきた。


「あかり、ちょうど良かった。文をたくさん書いたんだ。送る手続きをしてくれ」


「はい、分かりました。……それと……尾張から知らせが参りました」


「……。……教えてくれ」


「池田勝三郎(池田恒興)さま、お討ち死に」


 俺は目をつぶり、ふーっと息を吐いた。

 カンナとあかりは、俺に近づいてきて、そっと喋りかけてくる。


「弥五郎の言うた通りになったね。池田さんがこの戦で討ち死にするって言いよったもんね」


「でも、山田さまは大殿様(秀吉)にも池田様にも、決して突出するなと進言されていたのでしょう?」


「していたさ。それなのに……」


 俺はため息をついた。


 この時期、羽柴軍は、膠着した戦況を脱するために、別働隊を編成して、徳川領を攻撃しようとする。だが、その作戦は家康に看破される。その結果、別働隊にいた池田恒興が討ち死にする。


 池田恒興は、俺とはあまり接点がなかった人だが、できることなら助けたい。

 そう思った俺は、この戦が始まる前に、秀吉に対して、別働隊の策はおそらく家康に見抜かれるから、やめておけと言っておいた。池田恒興に対しても「嫌な予感がするから、今回ばかりはなるべく後方にいたほうがいい」と伝えておいたのだ。


 だが、こうなってしまった。

 俺の言葉は役に立たなかったのか?


 ……そうではなかった。

 数日後、徳川領にいる次郎兵衛から手紙が届いた。

 そこに記されていた情報は以下のようなものだった。



「信長公が亡くなったあと、旧武田領である甲斐国を支配した徳川家康は、武田忍者の多くを雇用した。家康は今回、その忍者を数多く使った。


 忍者たちは、秀吉軍の陣中に忍び込み、『三河はガラ空きだから、いま襲われたらひとたまりもないと家康はおびえている』という噂を流した。


 さすがの武田忍者。噂の流し方が巧妙で、秀吉も池田恒興もつい騙されてしまい、別働隊襲撃の作戦を立ててしまった。……その結果、こうなった……」



「家康にしてやられたか!」


 俺は思わず叫んだ。


「やってくれる……。戦上手というだけでなく、こんな細やかな策略まで用いてくるとは……!」


 未来を知っている俺や、秀吉までいっぱい食わせるなんて。

 俺は改めて、家康の戦上手ぶりに舌を巻いた。

 さすが、東照大権現になる男だ……。


「史実でもそうだが、どこかでうまいところ和解の手を打たないと、こちらがやられそうだ……」


 と、言葉で言うのは簡単だが、その『どこかでうまいところ』を見つけるのが大変なのだ。 秀吉と直に相談がしたい。そうすれば、また別の策も思いつくのだが……。


 しかしそうはいかない。

 俺は目の前の仕事に忙殺されていた。


 例えば、かつて信長公が焼き討ちした比叡山延暦寺の復興。

 延暦寺は信長公の在世時、何度も再興の願いを出していたが、信長公はこれを却下していた。


 秀吉はこれを許した。

 信長公の時代とは違うというアピールを世間にしなければならなかったし、また寺社仏閣の勢力と結びつくことで羽柴家を強くしたいという意味もあった。


 俺は延暦寺の復興について、他の羽柴家臣と相談して仕事を進めていたのだが、その分、小牧長久手の戦いにはなかなか手が回らず、どうしたものかと思い悩んでいた。


 そんなある日。

 駿河に住む娘の樹から手紙が届いた。

 その手紙には、驚天動地の事実が記されてあった――



「父上、お気遣いありがとうございます。いまのところ、わたしの家は大丈夫です。徳川様からなにか言われることもありません。五右衛門さんと次郎兵衛さんもよくしてくれています」



 と樹は現状を知らせてきたうえで、



「さて。……なにしろ流れることもあることなので、まだ父上にも母上にもカンナさんにも内密にしていましたが、お知らせがあります。


 先日、樹は赤子を出産しました。

 大きく、元気な男の子です。

 この戦が終わったら、ぜひ父上と母上にも顔を見せてあげたく……」



「………………え…………」


「弥五郎。ちょっとあんた、これ」


 いっしょに手紙を読んでいたカンナも、目を丸くした。

 すると、隣にいたあかりは、嬉しそうな声で、


「おめでとうございます。これで山田さまもおじいちゃんですね!」


「…………俺が……祖父…………」


 今年に入って、一番驚いた情報だった。


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