第11話 再会、佐々成政

「いよう、よう、よう、よう! 嘉兵衛どの、よう来た、よう来た!」


「藤吉郎――いえ、羽柴様。お久しゅうございます」


「固い、固い。そう固くなられずに。……おう、誰か! 甘露でも持って参れ。菓子でもよいぞ。はっはっは……わしに弥五郎に嘉兵衛どの。それに伊与にカンナ。あのときの顔ぶれがこうして、誰にはばかることもなく大坂で揃うとは痛快なことよ。のう、弥五郎!」


「まったくだ」


 ニコニコ顔の秀吉が上座に座り。

 俺たち4人は、至近距離ながら、並んで下座に座る。


 建設中の大坂城、その一室での出来事だが、秀吉の上機嫌ぶりに、若い侍たちが戸惑っているのが分かった。松下嘉兵衛。中央政界でその名前が出てくることなどまずないので、誰もが(あれはどこの侍だ)と思っているようだ。しかし俺と秀吉にとっては長い付き合いの大事な友なのだ。


 秀吉は松下嘉兵衛さんと、干し柿やら、かきもちやらを食べながら、しばらくの間、昔話や、どうでもいい馬鹿話を繰り広げていたが、やがて、


「ところで、嘉兵衛どの。わしと弥五郎が進めておる銭儲けの話だが、松下家は協力してくれると言う。しかし肝心の――徳川どのはこの話に乗ってくださるじゃろうか?」


「……はっ。石川どの(石川数正)どのは乗り気でございました。しかし、他の徳川家臣たちがどう言うかは、まだ……」


「徳川家臣のう。なにせ、秤を統一して、わしに対抗しようと言うのだからの。徳川家は羽柴に従おうという気は薄いように見えるが」


 秀吉は、ちょっと暗い顔をした。

 松下さんは、目を床に落としながら、


「なにしろ徳川家は、織田家と同盟相手。いわば同格という気分がありましたので。それも長篠以降は、次第に徳川のほうが下という扱いになってきてはおりましたが、それでも。……我らはかつて信長公の戦友であったという意識が抜けませぬ」


「嘉兵衛どのよ。先ほどからずーっと固い言葉遣いを続けておるが、もっとざっくばらんでもええんじゃぞ?」


「いいえ、もはや、そういうわけには……。他の方の目もありますし」


 松下さんは、秀吉の友ではあるが、それでも他の人間の目がある以上は、秀吉に礼を尽くすべきという考えらしい。穏やかな松下さんらしい行動だった。秀吉は、無言でうなずいた。


「まあ、よろしい。……それよりも嘉兵衛どの、話の続きじゃが、わしは徳川と争うのは好まぬ。いま羽柴と徳川が戦になれば、天下は大騒ぎ。せっかくまとまりかけておる天下が乱れる。それはいかぬ。……嘉兵衛どのには、石川どのと協力して、徳川家中をぜひとも説得してもらいたいと、そう思うておる」


「某が、でございますか……」


「むろん礼はする。この秀吉、嘉兵衛どのに3000石の領土をお譲りいたそう」


「なっ……」


 松下さんは、さすがに驚き、


「い、いやいや、しかし某は仮にも徳川家の者。いかになんでも……」


「なあに、構わぬ。かつて足利将軍家と織田家がまだ仲睦まじかったころ、足利からも織田からも領土や禄米を貰っていた侍がたくさんおった。それと同じことよ。羽柴と徳川が仲良くなれば、なんの問題もない。……嘉兵衛どの、これはわしからの謝罪の意味もあるのよ。はるか昔、わしと弥五郎は駿府で嘉兵衛どのに迷惑をかけた。嘘をついて家来になった。あのときの申し訳なさは忘れておらぬ。


 後生だ。受け取ってくださらぬか? 羽柴秀吉のせめてもの礼儀なのでござるよ。頼む!」


「……わかりました……。……では……」


 いまの秀吉にこうまで言われて、断れる人間などいない。

 松下さんは、こうして、秀吉から3000石の領土を貰うことになった。


 秀吉は、ニコニコ、ニコニコと笑って、


「よく受け取ってくださった! うん、うん、うん! 嘉兵衛どのは天晴れ、さすがのもののふよ。あとは徳川どのがこの藤吉郎と仲良うしてくれたら、みんな仲良し、天下騒乱も丸くおさまろうぞ。のう、弥五郎! はっはっはっは……!!」


 秀吉の大笑いに、誰もがつられて笑った。

 人徳としか言えないが、秀吉が大笑いをしていると、天下のことなどなにもかも片付く。それどころか地球からあらゆる悩みが消えていくようにさえ感じてしまう。


 まさに。

 人徳としか言えないのだ。

 この異様なまでの明るい人徳は、信長公にさえなかったものだ……。




「うまいこと、丸め込まれてしまったな」


 秀吉の御前から退出すると、松下さんは頭をかいて苦笑していた。


「本当に大丈夫なん、嘉兵衛さん。徳川さまからお叱りを受けたりせん?」


 カンナが心配そうに言った。

 松下さんは笑って、


「徳川さまは事情を察してくださる。なにも言わないさ。問題は他の家臣団だな。酒井どのに本多どのに榊原どの……。まっすぐな人たちだから、な……」


「松下さん。俺も徳川さまのところへ参りましょう。ふたりで事情を話せば――」


「いやいや、大丈夫だ。そこは心配しなくていい。だけど、気遣いありがとう、弥五郎」


 大坂城の廊下で突っ立ったまま、俺たち4人は会話を続ける。


「……某も大坂にやってきて気が付いたが、この賑わい、この豊かさ。一度目の当たりにすれば嫌でも分かる。天下は羽柴の名の下にまとまり、あらゆる富が集っていく、と」


「その富を、あらゆる人々に分け与えようというのが、羽柴と山田の考えなのです」


「分かっている。その考えを徳川家に、そして天下中に広めなければならないな。……弥五郎。徳川家のほうは某に任せてくれ。かわりに弥五郎は、もっともっと富を集めて欲しい。この大坂に、力と富を。そうすれば徳川さまも、他の大名もきっと、戦などをせずにまとまってくれるだろう」


 松下さんは、柔和な目をして言った。

 そこまでうまくいくだろうか、と俺はひそかに思った。松下さんは相変わらず穏やかで、人が良い。そこが人間としてはたまらなく大好きなのだが、不安でもある。


 とはいえ。


「大坂に富を集めることには賛成です。……徳川家のほうは任せました。俺はこの大坂に残り、商いを続けることとします」


 俺の言葉に、松下さんは満足そうにうなずいた。




 大坂城の一角に、巨大な蔵が複数、建立された。

 まだ中には、なにも詰め込まれていない。ガラガラである。


 その蔵の中にいま、俺、伊与、カンナ。そして商人の今井宗久さんや、茶人の千宗易さん。さらに近ごろ、秀吉と昵懇の商人である小西隆佐こにしりゅうささんとその息子、小西行長さん、そして複数の日本商人、明国商人や南蛮商人までもが揃っている。


「なんと巨大な蔵でしょうか。まるで城のようですな」


 今井宗久さんが蔵の天井を見上げながら言った。

 すると、小西隆佐さんも大きくうなずき、


「蔵の中で、蹴鞠、いやいや、相撲さえ取れそうですね」


「これほどの蔵は、明でも見たことがありませんな」


「しかもこの蔵が大坂城の一角に過ぎない! どれほど巨大な城を築くおつもりですかな、羽柴様は」


 明国人や南蛮人でさえ、この景色を見て唖然としていたが、やがて俺のほうを見て、


「ところで、この蔵に我々を集めたのは、ただ見せるだけですかな? それともなにか他にご用件が……」


 さすがに、蔵の見物だけでは拍子抜けだと言わんばかりの、商人たちの態度だったが、俺は薄く笑って、


「もちろん用件はありますとも。……伊与、運び込ませてくれ」


「分かった。……次郎兵衛、例のものを」


「あいッス!」


 伊与の言葉を受けて、蔵の入り口に控えていた次郎兵衛がひゅっと消える。

 誰もが、はてな、という顔をしたが、3分と経たないうちに、おいさ、おいさ、と無数の人間が蔵の中にものを運び込んできたのだ。


「「「おお……!」」」


 運び込まれてきた木箱の中に詰められているのは、黄金、黄金、黄金。次に銀、銀、また銀、棒状の銀、塊の銀、銀だらけ。その次には永楽通宝が何万貫と運び込まれ、さらに続いては掛け軸や絵画、屏風などの芸術品の数々。香料、絹、綿、茶。南蛮製の地球儀や楽器などの貴重品まで。


 富が、蔵の中に積み込まれていく。

 この景色には、外国の商人たちがとにかく驚愕しきっていた。


「これほどの金銀、これほどの財宝……!」


「素晴らしい……羽柴様はいまや、地球で一番のカネモチでございましょう……」


「カネだ……ユタカだ……カネ……」


 うまくいった、と俺は思った。

 全国に羽柴家の豊かさを見せつけるためには、国内外の商人に見せるのが一番いい。

 そう思った俺は、秀吉、さらに小一郎と話し合い、羽柴家と山田家の持つあらゆる銭とコネクションを用いて、財宝や芸術品をかき集めた。


 そして、こうして商人たちに見せつけたのである。

 いわゆる『見せ金』というやつだった。


 効果は絶大だった。

 竜宮城を目の当たりにしたかのような興奮を、誰もが顔に浮かべている。


「皆々様に申し上げます。ご覧の通りの金銀財宝、何万貫もの銭ですが、これでもまだ、羽柴様とこの神砲衆が持つ豊かさの一部に過ぎません」


 俺がそう言うと、おおお、という声が上がった。


「しかし羽柴様はこの銭を、ひとりじめにするつもりはありません。この銭や金銀を用いて、日ノ本の新田を開発し、道を整え橋を架け、さらには新たなものを作りだしあるいは買い上げる。唐天竺から南蛮国にまでものを買い付けに向かい、あるいはものを売りにいく。そうして皆々様にこの金銀を還元したいお考えでございます。


 土地土地のご商人しょうにんのお兄様お姉様、よろしくこれからも、羽柴と山田、両家とお付き合い、お引き立てのほどを。我々は銭を、金銀を用いて国を豊かにいたします。誰もが豊かになりましょう。誰もが幸福になれる、そんな天下を我らは目指しているのです!」


 まるで選挙演説だな、と俺は内心苦笑いだったが、効果はあったようだった。

 商人たちは、瞳を輝かせ「おおお」「おおおお」とうなり声をあげながら、俺のところにやってきて、「よろしくお願いします」「是非一度、お話を」「共に豊かになりましょう」と笑みを浮かべたものである。


 うまくいったぞ、藤吉郎。

 俺は内心、笑顔になった。


 これほどの富が大坂にあり、またみんなと分け合いたいという俺たちの思想を知れば、各地の大名や豪族も、羽柴家に組みそうという気持ちになるはずだ――俺はそう思っていた。秀吉も同意見だったのだ。




 その日の夜。

 昼間の興奮さめやらぬ蔵の前で、俺は伊与、カンナ、五右衛門、次郎兵衛と共に、いままさに蔵の扉を閉じようとしていたのだが、そこにやってきたのは千宗易さんであった。ひとり、若い供を連れているだけだ。


「これはこれは、山田さん」


「宗易さん、昼間はどうも」


 俺たちは互いに礼をした。

 宗易さんは目を細め、


「実に見事でございました。あれほどの金銀財宝をお集めになるとは。……しかし、山田さんはいささか無理をされたのではございませぬか?」


「さすが宗易さん。実はその通りで」


 集めた金銀は各地の鉱山から出てきたもの。

 永楽銭は神砲衆が持っていたもの。

 それは間違いない。


 ただ、芸術品や香料などを集めるのは、実は金がまだ足りなかった。そこで俺と秀吉は、後日必ず支払うという約束をしてから、ものを集めたのであった。


 いわば借金である。

 しかしそれだけのことをしても、あの見せ金作戦はやる価値があると俺たちは判断したのだ。


「宗易さん、内密に願いますよ。……羽柴は凄い。山田は凄い。そういう印象を、我々は世間に見せつけなければなりません。嘘ではあります。しかしいまこのときだけは、必要な嘘でもあるのです」


「いえいえ、分かりますよ。私も商家の生まれだ。そのような策を用いてでも、上にいかねばならぬ、人間の一生には一度か二度、そういうときがあるのです。わたしはそれについて、なんら咎めたてはいたしません。……しかしながら」


「しかしながら?」


「……見せ金の計略。……いささか、あなたがたの思いとは逆の結果になるやもしれぬ、と思いましてな」


「逆の効果、とは」


「世の中には、豊かさよりも、誇り、意地を貫く人間もいるものです」


「それは……そうでしょうが」


「そういった人たちに向けては、いささか……」


 宗易さんの目が、暗く光った。


「なまで、豊かさを、見せすぎたかもしれませんなあ……」


 ……なまで?


 俺は思わず、息を呑んだ。


 宗易さんは「いや、どうも失礼しました。年寄りは説教臭くていけませぬ。では、また」とだけ言って、闇の中へと消えていった。


 なまで……

 豊かさを……?


「…………」


「……俊明。大丈夫か?」


「あ、ああ。……大丈夫だ。大丈夫だとも……」


 俺は軽くめまいのようなものを感じながら、俺に背中を向けて去っていく、宗易さんを見つめていた。


 天下の茶人、千宗易。

 のちに秀吉と対立して、死を賜ることになる男。

 俺自身が、茶道をろくにしないためだろうか。宗易さんの人間性は、まだうまくつかめない。


 この、つかめなさ、は。

 かつて明智光秀に感じたものと、よく似ていた。




 見せ金作戦は、ひとまずうまくいった。

 秀吉の豊かさを知った商人たちは、各地から次々と大坂に集いはじめていた。


 俺は伊与たちと共に、その商人たちと面会していた。商人たちは、矢銭といって秀吉に次々と献金を始めていた。さらには地方の名物や特産品も大坂に運び込まれた。各地の大名や豪族も秀吉に文や使者を送ってきた。


 これに対処するのは、蜂須賀小六や黒田官兵衛、さらに近ごろ頭角をあらわしはじめた石田三成や小西行長、加藤清正などの若手たちであった。


 そして、毛利家からは安国寺恵瓊が文を送ってきたし、上杉家も羽柴家と友好関係になりたいと使者を送ってきた。その上、もっとも秀吉と俺が心配していた徳川家からも、石川数正さんから手紙が送られてきた。


「家康は決して秀吉を悪く思っていない」


 という文面を見て、俺と秀吉はひとまず安堵したものだった。


 織田信雄の家来衆からも、次々と手紙が送られてきた。

 主家たる織田家をどうかお忘れになりませぬように。

 織田が守護なら羽柴は守護代、なんて表現の手紙まであった。


 織田家の家臣でさえ、秀吉の時代がやってきたと判断し、秀吉と仲良くしようとしているわけだ。


 見せ金作戦は、かなりの効果があった。

 と思っていいだろう。


 このまま、誰とでも、仲良くなって。

 天下が泰平になればいいのだが。

 俺は心から、そう思っていたのだが。




 1584年(天正12年)、1月2日。

 正月のおめでたムードが続く、2日の夕方である。

 大坂城の片隅に設けられた山田屋敷の一角で、俺は簡単な商務を執っていたのだが、そのとき、部屋の外から伊与の声が聞こえてきた。


「俊明、いるか。滝川さまがいらっしゃった」


「えっ、久助が!? なんでまた急に……」


「それと、もう一方。それが、その……」


 伊与にしてはやけに歯切れの悪い言葉遣いである。

 どうしたんだ、と言いかけると、


「気遣い無用、気遣い無用」


 と久助こと滝川一益の声が聞こえてきた。

 足音が、ふたりぶん、ドカドカとくる。


「堤、気にするな。話だけだ、話」


「は、はあ……」


「そんな顔をするなよな、昔なじみじゃねえか。……おう、山田、入るぞ。いいか?」


「あ、ああ。大丈夫だ。しかし久助、来るなら来ると前もって使いでも……」


 と言っていると、ガラガラと戸が引かれ。

 部屋の中に入ってきた、ふたりの男。ひとりは滝川一益。

 そしてもうひとりは。


「久しぶりだな、山田」


「……内蔵助!?」


 そこにむっつりとした顔で立っていたのは。

 我が友、佐々成政であった――





作者の体調不良につき、次回更新は未定とさせていただきます。申し訳ありません。

2週間〜3週間で帰ってきたいと思っています。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る