第10話 徳川経済圏統一、弥五郎対抗三策

 明智光秀の反乱以降、中央で起きる争いから、距離を置いていた男がいる。

 徳川家康である。


 家康は、織田家の内乱に巻き込まれるのは御免とばかりに、織田家の争いにはまったく介入しようとせず、信長公の没後に、有力者がいなくなった近隣の国へと攻め入り、みずからの領土としていった。かつて武田家が支配していた甲斐国、信濃国の大部分は徳川家のものとなった。


 この着実ぶりが恐ろしい。

 信長公の盟友だった家康である。

 織田家中の権力争いにも、その気になればいくらだって介入できただろうに、家康はそれをやらない。これだけでも彼は常人ではない。


 みずからにささやきかけてくる――「いまこそお前が天下人」――という悪魔の言葉を、素知らぬ体で聞き流し、ただ目の前のことをコツコツとやりとげる。それが一番、徳川家にとって幸いなのだと言わんばかりに。


 実際、ここで織田家の争いに家康が介入すれば、中央の情勢も織田家も徳川家も泥沼となるばかりだ。家康はそれを分かって、あえてなにもしなかったのだ。


 さすがは、のちの江戸幕府初代将軍。

 俺はこの時期、家康の態度に心から感服していた。

 バブルが起きても景気のいい話に飛びつかず、コツコツと仕事だけをやり遂げる職人のような重みを、家康から感じたものだ。


 その家康が、動きを見せた。




「徳川家が、はかりを統一?」


 京の都にある、山田屋敷の一室にて。

 伊与が、素っ頓狂な声をあげた。


 伊与、カンナ、あかり、五右衛門、次郎兵衛という面々を前にしている俺である。

 俺は、うなずいてから話を続けた。


「まだこちらに情報が伝わってきてはいないが、間違いなく、起こる。今年の10月、徳川家康は、領内の秤を統一する」


「どういうことだ、俊明。よく説明してくれ」


「分かった。……そもそも、秤はみんな、知っているな?」


「馬鹿にするんじゃないよ。子供だって知っているさ。……秤の片方に分銅ふんどうを載せて、もう片方にものを載せるやつだ。これでものの重さを計るんだ」


「あたしたちだってずっと使ってきたやないの。商品の重さや、金銀の重さをはかるために」


「商いの途中で、ニセモノの金をつかまされるときもあったッス。そういうときは秤で調べたら、一発。本物の金とニセの金は重さが違うッスからね」


 五右衛門、カンナ、次郎兵衛がそれぞれ回答する。

 俺は、また大きく首肯して、


「その通りだ。秤は商いに大切なものだ。……ところが、これもみんななら分かると思うが、秤の大きさや種類は、全国でまた統一されていない。尾張には尾張の秤があり、大坂には大坂の秤がある。まちまちだ。これは信長公でさえ藤吉郎でさえ、まだ統一できていない」


「そらまあ、どの国の商人にも、その国ならではのやり方とか風習があるけんさ。それを変えていくのは大変やろ」


「それを家康はやるのさ」


 俺は目を光らせた。


「甲斐国の秤は、守随秤しゅずいはかりという。守随氏しゅずいという甲斐の座の大物がいるだが、その守随氏が使っている秤だ。……家康はその秤を、自国領土唯一の秤として認定する。これにより、三河、遠江、駿河、甲斐、信濃の5カ国は秤が統一されることになる」


「……どうしてでしょう。徳川様は、なぜいきなりそのようなことを?」


「経済圏を作り上げることが、目的のひとつだろう」


 あかりの質問に、俺は答えた。


「信長公、そして藤吉郎は楽市楽座を広め、関所を廃止し、道を整備し橋を架けて、さらに俺たち神砲衆を用いて、ひとつの統一した経済圏を作り上げようとしている。これはまだ道半ばだがな。家康はそのことを知った上で、こちらに対抗するために自国をひとつの経済圏としてまとめようとしているのさ。


 ……これが家康の恐ろしさだよな。織田家の争いなんて興味がありません、みたいなフリをしながら、しっかりこちらの動きを見ていたわけさ。そしてひそかに対抗するような策を持ち出してきた」


「で、でもよ、アニキ。徳川家はいちおう、織田家とまだ同盟しているんだろう? 藤吉郎のアニキとも、いちおうはまだ仲間のはずで」


「いちおうは、な」


 今年の5月、柴田勝家さんを倒した秀吉に対して、家康は戦勝祝いの使者として石川数正さんを秀吉に送った。


 それだけではなく、名物として知られる茶器『初花肩衝はつはなかたつき』を送った。


 だから羽柴と徳川は、ひとまず友好関係だと言っていい。

 少なくとも、表面上は。


「だが腹の中では別さ。……織田家の内紛を横目で見ながらも、次はどうするべきかじっと考えている。場合によっては藤吉郎と戦うことも考えているだろうさ。そのために経済圏の統一しようとするんだから」


「なして藤吉郎さんと戦わないかんっちゃろ。仲良うすればいいのにね」


「それは先の展開を知っている我々だから考えることだろう、カンナ。徳川から見れば、羽柴家は信長公亡きあとにいきなり天下を制覇し始めた新興勢力に過ぎない。このあとどうなるか、分かったものじゃない」


「藤吉郎さんも実の子供がいねえからなあ……。信長公みたいに、誰かにすっぱり殺されちまったら、そこで羽柴の天下はおしまいだと考えるヤツもいるだろうね。そんな羽柴家にすべてを託すなんて、なかなかできることじゃない」


「それに徳川様は、小さいとはいえもともと三河の大名のご出身です。……羽柴様は……もとは尾張中村の百姓ですから。仲良くするなんて冗談じゃない、と思うかもしれません」


 あかりの言ったことは、一種の本質かもしれない。

 秀吉は――いや俺もだが、もとは尾張の農民だった。

 そこから天下人になろうというのだ。本能的に反発する人間がいても、おかしくはないのだ。


「それで俊明」


「ん?」


「徳川家が秤を統一するのは分かった。これに対して私たちはどうするのだ」


「俺は先の展開を知っている。……このままいけば、徳川家康と織田信雄が、藤吉郎と戦うことになる。だが俺は、争いをなるべくしてほしくない。織田家の人間をこれ以上、苦しめたくもない。そこで、だ」


 俺はあごひげを撫でながら、


「上中下、三段階の策を用いる。


 第一に、藤吉郎と会って、なるべくやんわりと徳川家を従属させるような使者を出すように頼む。だがこれは下策。やらないよりはマシだが効果はあまり期待できない。


 第二に、駿河にいるいつきと、徳川家にいる松下嘉兵衛さんに連絡を取る。そして樹の嫁ぎ先と松下家を巻き込んで、いま予定している外国交易を行おうと思う。……南蛮や明とも交易して、多大な利益をあげ、その利益の一部を徳川家に還元しようというわけだ。――すなわち、家康にこう言うわけさ。『戦うよりも、羽柴や山田とつるんで、金儲けをしたほうが得だぞ』とな。これが中策。


 第三に、この国外貿易策に尾張・津島や尾張・熱田にいる商人町人をおおいに巻き込み、完膚なきまでに神砲衆の支配下に置く。こうすることで、織田信雄に金銀が上がらないようにする。あるいは武具や馬具、兵糧、鉄砲用の弾薬、火薬などなどが渡らないようにしてしまう。


 今後は織田信雄と徳川家康がつるんで藤吉郎と戦う展開になるんだが、こうして織田信雄に金がいかないようにすれば、信雄といえど戦なんかできなくなる。これが上策。


 ……どうだろうか。

 結局のところ、食べ物に銭に武器がなければ、いくさは絶対に起きないんだからな」


「……あんた、ようそこまで二重三重に考えるもんやね」


 カンナが、少し驚いたように目を見開く。

 俺はちょっと笑って、


「商人なりの発想が、できるようになってきただろう?」


「けれどさ、弥五郎。そんなになんでもうまくいくかね?」


「うまくいかせるんだよ。俺たちの手でな」


 そう言って、俺は立ち上がった。


「善は急げだ。俺は動く。……みんなも動くぞ。


 俺は藤吉郎に会いに行く。

 伊与、ついてきてくれ。


 カンナは堺に行って国外貿易の話を進めてくれ。

 次郎兵衛は松下さんのところへ。

 五右衛門は樹の家へ。


 それぞれ向かってくれ。……よし、行くぞ!」




 翌日、俺は大坂で秀吉に会った。

 そして作戦のことをあらかた話すと、秀吉は手を打って喜び、


「気宇壮大な策よ。見事じゃ、弥五郎、さすがよのう。……よし、動け。汝の思うままに動いてくれ。わしも徳川に使者を出す! この秀吉がおおやけに動くことも大事じゃからのう」


「どんな使者を出す? 容易なことじゃ徳川はひるまないぜ」


関東惣無事かんとうそうぶじの実現を督促する」


 秀吉は、真面目な顔をして言った。


「信長公は、滝川久助と徳川次郎三郎に関東地方の統一を任せておった。しかしそれが成らぬまに亡くなられた。……それから1年以上経つが、関東はまだ統一されておらぬ。当たり前じゃがのう。


 そのことを主張するのだ。『徳川殿、関東統一がまだ成されておらぬ。関東惣無事は天下泰平のために必要なことであるので、ぜひ徳川殿に動いてもらいたい』との。


 ……わしだけで使者を出せば、おそらくもめ事になろうゆえ、織田三法師さまの名も加えて出す。なにしろ織田家はまだ消滅はしておらず。織田家と徳川家は同盟関係にあるゆえのう。徳川家もこれは無視できまい……」


 秀吉らしい、抜け目のない行動だった。


 こうして秀吉は徳川家に使者を送った。

 徳川家は、秀吉の読み通り、反論する材料を見いだせず。

 1583年(天正11年)11月15日、家康は関東最大の大名である北条氏に『関東惣無事』の指示を伝え、天下のために争いをせぬように熟慮されたし、と伝えた。


 このことは、徳川家が、事実上、羽柴家に従属しているような印象を世間に与えた。




 国外交易の話も進んだ。

 カンナは堺に赴いて、会合衆の人々も巻き込んで南蛮商人や明国商人と話し合い、交易の話を進める。


 日本側からは、日本刀や火縄銃、さらに漆器や屏風といった芸術品が輸出され、堺から、明のマカオに向かって運ばれることになった。


 逆に明や南蛮からは、明国産の生糸や絹織物、薬、硝石。シャム(タイ)のなまりや各種鉱物が輸入されることになった。


 それにしても硝石は常に日本に入ってきている。

 昔、俺は津島であやしげな商人から硝石を購入したが、あれは明の硝石で、堺から流れに流れて津島に運ばれてきたものだった。


「だが、もっと必要だな。硝石や生糸をどんどん輸入しよう」


 と、俺はカンナに言った。


「輸入を続け、その後、俺たち神砲衆で火薬に加工する。それを売る。生糸や絹もいいな。仕入れた生糸を使って着物として、これも国内外に売る」


 いわゆる加工貿易だ。

 これは俺たちが長年続けてきたことで、得意分野である。


「堺で輸入したものを京の都や大坂、坂本に送って販売、あるいは加工して輸出、これを繰り返せば莫大な富となる。その富を、計画通り、松下さんや樹さんのところにも還元したいものだ」


「かしこまり。あたし、やっぱり商いしとるのが一番楽しかよ」


 カンナは明るい笑顔を見せた。

 そして、


「ねえ、弥五郎。落ち着いたらさあ、博多にやっぱり行きたかね。そして、できたら、マカオとかシャムとか、他の国にも行ってみたか」


「マカオやシャムにも?」


「行きたくない? きっと楽しかよ。船に乗ってさあ、たくさんの商品を載せてさあ、風を切って南へ進んで、会ったこともない人と商いの話をして。……絶対に楽しいと思うよ」


 さすが、海外にまで進出していた博多商人の娘である。

 カンナは気宇の大きいことを言う。……そういえば、明国人の友達もいたな、カンナは。


 俺はうなずいた。


「そうだな、きっとそれは楽しい。……天下のことが片付いたら、みんなで外国に行こう。そうしよう」


「やった、やった! 約束ばい。絶対、ぜーったい、外国に行こうねっ!」


 久しぶりにカンナらしい明るさを見ることができて、俺も嬉しかった。

 ふと空を見る。雲ひとつない。どこまでも明るい。


 いいな、と思った。

 天下のことが片付けば、俺は外国に……

 みんなと、一緒に……。




 それから10日ほど経った。

 大坂で商務を執っていた俺のところに、五右衛門と松下嘉兵衛さんがやってきたのだ。


「松下さん、お久しぶりです!」


「やあ、弥五郎。お互いに大変だったな。また会えてなによりだ!」


 松下さんは相変わらず、優しそうな顔である。


「話は聞いた。南蛮も含めて交易をすること、まことに結構。なによりだ。弥五郎の娘である樹にも会ってきた。ぜひ、神砲衆の交易計画に自分たちも参加したいと言っていたよ」


「そうですか、それは良かった。……これで徳川様と、羽柴家が仲良くなり、共に道を歩むことができればいいんですが」


それがしもそう願いたい。……しかし大坂はすごい賑わいだな。人であふれかえっている」


「なにしろ古今無双の巨大城が建とうとしていますからね。藤吉郎のフトコロ刀である黒田官兵衛が縄張りを頑張っていますよ」


 その大坂城普請のために、大坂の道は整備され、町家が建ち並び、職人や人足のための商店が次々と開店している。実に天下一の賑わいである。


「素晴らしいことだ。あの弥五郎と藤吉郎がこれほどの町や城を築くとはね。……ここまで来たら、某も藤吉郎と顔を合わせていきたいが」


「会いましょうよ。きっと大丈夫です。松下さんと会うのは藤吉郎の仕事でもありますからね。……行きましょう!」


 こうして俺と松下さんは、揃って建築中の大坂城に登城したのだが。

 大坂城に向かう途中、松下さんが、ふと、思い出したように言った。


「ところで弥五郎。あの、飯尾家の未来のことを覚えているかい」


「未来? ……あの娘……」


 忘れることはできない。

 俺を愛し、また俺を憎み、苦しみながらも俺の前から去っていったあの娘。


「もちろん覚えていますが、あの未来がなにか?」


「聞いた話なんだが。どうもいま、博多のほうにいるらしい」


「博多に? あの未来が!? なぜ……」


「それは分からない。某もちらりと聞いただけだからね。……元気ならばいいのだが」


「…………」


 未来のことに思いを馳せる、俺。

 だが考えているうちに、俺と松下さんは足が進み、ついに大坂城にやってきてしまった。


 ひとまず――

 松下さんと秀吉を、対面させねばならない。


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