第9話 日明南三勢力商人談話会

「汝がオルガンティーノ殿か。よう来た。わしが羽柴秀吉である!」


「……ハッ」


 普請中の大坂城。

 ……の、仮屋敷にて、秀吉は宣教師オルガンティーノと面会した。

 その横には、俺、伊与、カンナの3人、そして黒田官兵衛も控えていた。


「わしはよく知らなんだが、信長公とも昵懇だったそうじゃのう。うん、うん、わしは南蛮のことにとても興味をもっておる――」


 秀吉らしい弁舌だが、信長公とオルガンティーノに交流があったのは本当だ。

 信長公在世時、オルガンティーノは信長公の信頼を得て、安土の町の一部にセミナリヨ(イエズス会の修道士を育てるための学校)を作っていた。それも明智光秀の乱で焼失してしまっていたが――


 オルガンティーノは、イタリア人である。

 しかし日本の衣服を身にまとい、シワだらけの顔をニコニコさせて、


「筑前様にそう言ってもらえると、とても嬉しゅうございます。われわれイエズス会は、神の教えを日本の皆様に広めるために参りました」


「うん、うん、それはもう知っておる。わしも以前、堺でガスパル・ヴィレラという南蛮人の宣教師と会ったことがあるし、そこにおる我が家来の黒田官兵衛もデウスの教えを信仰しておるからのう。よきこと。うん、デウスの教えを広めること、まことによきこと。日本の民を導いてやってくれい」


 これでキリスト教の布教については、秀吉の許可が得られたことになる。

 オルガンティーノはおおいに目を細め、


「そう言っていただけると、マコトに感謝感激でございます」


「うん、感激してくれい。土地は大坂の一部を貸してやろう。信長公のときよりも派手にやってよいぞ、はっはっは」


 秀吉がキリスト教の布教を許可したのは、信長公に倣い、かつ、自分の政権が信長公よりも優れていることを世間に知らしめるためである。そして、


「ところで堺には南蛮人がよう出入りしておるが、商人もきっと多いであろうな?」


「はっ、私は神の教えを説くのが役目でございますので、詳しいとまではいきませんが、何人かは存じております」


「それで充分。……南蛮の商人たちにもっと伝えてくれい。大坂の羽柴家のもとへもっと参れ、と。ここにいる山田弥五郎とその女房ふたりが商いの話を受け持ってくれる。南蛮衆がもっと儲けたいのであれば、羽柴と山田をおおきに頼れと触れ回るのじゃ。……できるかのう、オルガンティーノどの?」


「もちろんでございます」


 オルガンティーノは、笑顔を崩さない。

 それにしても立派な日本語で、


「日ノ本と南蛮の架け橋となるべく、このオルガンティーノ、粉骨砕身、努力いたす所存にて」


「よくぞ申した。はっはっは、それでは弥五郎、南蛮商人の件はよろしく頼むぞ! ……これからの戦いと商いには、南蛮との繋がりがもっと大事になるであろうからな」


「任された。結果に繋がり次第、また報告する」


「うむ、頼むぞ、弥五郎!」


 秀吉はニコニコ笑って、わざわざ俺の前にやってきてからバンバンと肩を叩くと、急いで小姓を連れて奥へと引っ込んでいった。忙しいのだろう。


「山田どの、参ろうか。拙者も山田どのと話がしたい」


 そう言って、ゆっくりと立ち上がったのは黒田官兵衛である。

 かつて地下牢に幽閉されたために足が悪い官兵衛は、立つ座るでも一苦労なのだ。


 一瞬、官兵衛がよろめいた。

 俺、伊与、カンナ、それにオルガンティーノの4人が慌てて官兵衛を支える。


「おう、すみませんなあ、こんなこと。……いや、先日までは立つくらいなんともなかったのだが、どうも近ごろは。……年齢とし、ですかなあ」


「俺より若いのになにをおっしゃるか。……オルガンティーノさん、伊与、カンナ。このままゆっくり官兵衛どのを立たせるぞ」


「分かりました」


「ああ」


「はいなっ。……あ、いけん、あたしの手首が折れそう」


「無理するな。だったらもうカンナは離れろ」


 20秒ほど経って、官兵衛はひとりで立つことができた。

 ふう。……俺たちだけの内密な話だと思って、誰も小姓や若侍を連れてこなかったから、一苦労だ。


「いやいや、まったくすみませんなあ、山田どの。こんなことなら吉兵衛でも連れてくればよかった」


 吉兵衛とは、官兵衛の長男、黒田長政のことだ。

 とっくに初陣を果たし、いまでは凜々しい若武者となっている。


「吉兵衛とは懐かしい。最後に会ったのは信長公のころだったと思うが……元気かな? すっかりたくましくなられたでしょうね」


「なんの、なんの。黒田家もいま、相次ぐ戦いで若手が足りませんでなあ。そこで無理やり、あんな子供を戦に使っておるだけで、まだまだ」


 官兵衛は手を振ったが、息子を褒められてまんざらでもなさそうだ。

 つまり謙遜だな。


 しかし、黒田家に若手が足りないというのは本当だろうな。

 ここ最近、ずっと戦続きで討ち死にした者も多いだろうし。


 ……息子、か。

 ふむ。


 俺の中で、ふと閃いた案があった。


「カンナ。ちょっと耳を貸せ」


「はいな。…………はあ? 本気で言いよるん、それ!? はあ~……」


 カンナは俺の提案を聞くと、驚いて目を見開いたのだった。




 2日後。

 俺は伊与とカンナ、さらに官兵衛と共に堺へやってきた。


 オルガンティーノの仲介によって南蛮商人や明の商人と知り合いになるためだ。

 かねてよりの知り合いである会合衆の今井宗久さんや千宗易さんも交えながら、俺たちは南蛮商人と出会い、話をして、情報を得て、さらに商取引の約束をしていった。


 その話が盛り上がった結果、翌日には、今井さんの屋敷内に、日本商人、南蛮商人、明国商人が集う、一種の商談パーティーのようなものが開催された。


 ある明国人と今井さんが話す。


「満州で、女真族のヌルハチを名乗る人物が兵を挙げたそうで……」


「ほう、それは明に対して?」


「もちろん。まだ小さな乱のようですが、明がなにかと物入りになるかもしれません。マカオに日本の刀や火縄銃を運び込めば、売れるかも……」


 また、別の南蛮人――ポルトガル人らしき男が、千宗易さんと話す。


「琉球で、素晴らしい布ができておるそうです。綾錆布、といって、琉球王に献上された布だそうですが、それはきめ細やかな模様の布だとか」


「ほほう、琉球の布、それは興味深い。一度、見てみたいものですな」


 また別の商人が、他の商人と話す。


「坂本が楽市になるそうですな」


「あそこは明智さまの時代からの商都ですから。しかしいまは織田家の三法師さまがいると聞いていますが」


「しかし糸を引いているのは当然、羽柴様で……ああ、これは失礼」


 商人は俺がいることに気が付いて、ぺこりと頭を下げた。

 俺が秀吉の盟友であることは知れ渡っているので、秀吉の悪口(になるかもしれない)言葉は慎まれたのだろうが……。


 俺は手を振って「いえいえ、お気になさらず。本当のことですから」とわざと大きな声で言った。ここはむしろ商人同士の自由な会話を行って欲しかったのだ。


 その直後である。

 俺の隣に、官兵衛、伊与、それにカンナと、もう一人、巨体の男がやってきた――


 官兵衛は、言った。


「商いの話は面白うござるなあ、山田どの」


「面白いでしょう。聞いているだけで、心躍ります」


「はっは……。ところでその商いの件で、いま、蜂楽屋どのと話しましたがねえ。博多商人とまた連絡を取り合って、堺、大坂と筑前国の間に船をより激しく行き交いさせてみるのはどうかと思うのです」


「ほう。それは……毛利家への圧力のために?」


「おう、さすがは山田どの。よくお気づきで。その通り。……毛利家と羽柴家は、和睦こそしておりますが……それでは困る。毛利家は必ず、最後は、羽柴家に従ってもらわねばなりませぬ。そのために――」


「瀬戸内の海を押さえるわけよ。大坂と筑前が深く繋がる。そして筑前は九州におる南蛮商人とも繋がる。……そうすれば、毛利家には、この、南蛮、九州、大阪の繋がりからいつでも追い出せるんだぞ、と圧力を加えることができる」


「カンナ。……なかなか物騒な圧をかけられるようになったなあ」


「戦がすかんけん。すかんけんこそさ、こうして銭の力でなるべく穏やかに進めたいんよね」


「まったく、蜂楽屋どのは素晴らしい。山田どのはこれほど聡明なお方を室にされて、官兵衛、羨ましい限りですわ。はっはっは……。……息子どのも、お母上に似られるといいのですがなあ」


「はは……」


 俺は引きつったように笑いながら――

 官兵衛の後ろに控えている大男を見つめた。

 身長180センチ。薄い茶髪を髷にして、青い瞳をしているその男の名前は、牛神丸ぎゅうしんまる――


 俺とカンナの息子である。

 現在、満年齢13歳。

 なにを食ったら、こんなにでかくなるのかと思うほど、大きい。


「牛神丸。……いいか、ひとりの家臣として官兵衛どのによく仕えろよ。それができなかったら、その――」


「つまらんけんね! いい? いつも官兵衛さんをお支えするんよ? 分かった?」


「分かってるよ。何度も言わなくても分かる――」


「それがいかん、て言いよるの。主たる官兵衛どのの前で、そんなうつけみたいな口の利き方。もう二度と許さんけんね!」


 カンナはぶりぶり怒るのであった。


 牛神丸。

 仕事と戦いで忙しかったばかりに、あまり構ってやれなかった我が家の長男は、その分、せめて腹一杯食事をさせてやろうと思い、安土の山田屋敷で育てながら、あかりに頼んで美味いものを食べさせていたのだが――おかげでこの巨体、なかなかの馬鹿力、カンナにちょっと似ている西洋人っぽい外見、しかし口の利き方を知らない、わがままな少年に育ってしまっていた。


 これはいけない。

 俺もカンナも反省し、いろいろと教育を施していた。去年の秋くらいからのことだ。

 おかげで体力はあるし、学問の出来も悪くはないのだが、どうもこう、子供っぽいというか、反抗期っぽいというか。


 そこで俺たちは、官兵衛の身の回りの世話や護衛も兼ねて、黒田家にしばらく預けてみることにしたのだ。牛神丸は昔、官兵衛の嫡男の黒田長政とも遊んだことがある仲なので、その点は話が早かった。官兵衛も「牛神丸なら喜んでお預かりいたそう」と言ってくれた。


 やがてパーティーは終わった。

 俺と伊与とカンナは今井さんの屋敷にて、泊まらせてもらうことになった。

 そういうわけで夜である。


「どうも、子育てを他人に任せているようで気が引けるな……」


「官兵衛どのがいいと言っているのだから、そこは任せたほうがむしろ牛神丸のためだろう」


 伊与がさらりと言う。

 そんな伊与を、カンナはジト目で見つめた。


「自分は娘がもう嫁入りしとるけんと思うて、気楽に言うて」


「そうでもない。樹はまだ子も産んでいない。いつか嫁入り先から追い出されるのではと別の不安がある」


「そういえば、近ごろは文のやり取りもしていなかったな。……明日にも文を送るか。……そうだ、ついでなら松下嘉兵衛さんにも送るかな」


「羽柴と徳川の関係も、少し微妙だからな。……しかも、最後は戦になると来ている」


「小牧長久手の戦いだな。……樹がいるのは駿河だ。戦地になることはない。そこは安心していいと思う」


「そう願いたいね。……ああ、樹のこともあたし、心配になってきた。牛神丸も樹も、無事に大きくなって、幸せになってくれたらええんやけどね。あの子たちはまだまだ、未熟者やけんくさ……」


 カンナの気持ちは実によく分かる。

 いまの樹や牛神丸よりも幼いころから旅商人をしてきた俺たちなのだが、自分たちはもっととんでもないことをしてきたくせに、実の子供のこととなると、些細なことでも心配してハラハラしてしまう。


 親というのは。

 そういうもの、なんだろうな。

 それが戦国時代であっても、いつの時代でも、きっと。


 そして、さらにふと思ったのだ。

 子供がいない秀吉は、どんな気持ちなんだろうか。

 最終的には豊臣秀頼という実子をもつ秀吉だが、いまの時点では子供がいない。


 秀吉は、もしいま自分が亡くなったら、羽柴家をどうするつもりなんだろう。弟の小一郎に任せるのか。それとも……。


 信長公の四男である羽柴秀勝が、……義父の秀吉に対して、仲良くもなく、反抗的でもないのが俺には気になった。牛神丸のように生意気なほうが、逆に安心するところもある。自我がある、ということだからな。……なるほど、だから官兵衛は「喜んで預かる」と言ってくれたのかもな。


 羽柴秀勝。

 信長公の子供。


 いまは越前にいる我が友、滝川一益との話を思い出す。

 織田家の人を、もう不幸にはしないのだ。これ以上は絶対に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る