第8話 南蛮勢力の接近
現在地は摂津国、大坂である。
秀吉によって大坂城が築かれようとしているこの場所は。
現在でも複数の宿舎が建立されていて、築城のための人夫はその宿舎に寝泊まりしている。
なぜ宿舎があるのかというと、これは信長公が四国征伐の軍を編成したときに、その軍を泊めるための場所として築いたからである。そして信長公が亡くなったあとは、池田恒興が大坂に在住していた。その池田恒興も、滝川一益の降伏後には美濃国を与えられ、大坂は召し上げとなった。そんなわけでいま、大坂は秀吉の土地となっているのだが。
「滝川どの。山田どの」
俺と滝川一益が大坂にやってくると、丹羽長秀さんが現れた。
その後ろには、伊与とカンナもいる。丹羽さんの商業指導を行っていたカンナたちも、丹羽さんについてきたわけだ。
「丹羽さん。カンナたちがお世話になりました」
「いや、なに、世話になったのはこちらのほうで。……それよりも滝川どの。道中、お疲れ様でございましたな」
「いえ……」
滝川一益は、小さく頭を下げてから、
「丹羽どのが来てくださるとは、じつに心強く、かつありがたい。……しかし
羽柴家に、いや筑前に激しくたてついたこのオレを出迎えては、あなたの立場が悪くなるのでは……」
「なに、そのくらい……。かつては信長公のもと、共に戦った者同士、せめてこれくらいはしたいと思いましてな。それに、……筑前に逆らえる者はもはやおりませぬが、それでもこうして織田の旧臣が集まっているのを見れば、まだまだ、筑前も少しは遠慮をする。そうすれば滝川どの、あなたの処遇も少しはよくなると思いましてな」
「おう。さすがは米五郎左。そこまで考えたうえでの出迎えでござったか」
「ははは、こちらこそ、これから退くも滝川のお手並みを拝見したく。筑前相手にどううまく降参するか、見ものでございますな」
丹羽さんと滝川一益は軽口をたたき合った。
二人とも、俺が思っていたよりは元気な雰囲気でよかった。
しかし、秀吉。
滝川一益をどうするつもりだ?
史実では、殺すことまではしないのだが……。さて……。
「伊与。カンナ」
「なんだ」
「はいな」
「俺は藤吉郎を信じているが、話の流れや勢いってものは最後までどうなるかわからん。もしも久助が殺されそうになったら、そのときは、俺は命がけでも久助を助けるつもりだ。ふたりとも、そのつもりでいてくれよ」
「無論」
「かしこまり。滝川さんは守らな、つまらんもんね。でも大丈夫。大丈夫よ、弥五郎!」
カンナは俺を励ますようにニコニコ顔である。
その笑顔がありがたかった。
「滝川久助どの。よく参られた」
「……はっ」
大坂の宿舎、奥の間にて。
秀吉は上座に座り、久助は下座で平伏した。
久助は脇差一本だけを帯びて、ただ神妙な顔つきである。
俺と伊与とカンナ、それに丹羽さんは、秀吉の左右に座っている。
「さて、滝川どの。貴殿は」
と、秀吉は冷たい声で久助の罪状を並べ立てる。
すなわち、織田三法師と織田信雄による織田体制が天下に存在し、その天下を羽柴秀吉、丹羽長秀、池田恒興が支えるという構図になっているのに、織田信孝や柴田勝家と共にこれに逆らい天下を乱した罪。それが貴殿にはある、という理屈だ。
久助は、ぐっと拳を握りこらえながら、しかし秀吉の話が終わると、
「恐れながら、この一益にも言い分がござる」
と、述べた。
秀吉は片眉を上げた。
「ほう、どのような」
「もとより織田家の筆頭家老は柴田勝家どのであり、また三七信孝さまは、かつて信長公より四国征討を委ねられたほどの逸材。オレはその筆頭家老と信長公の三男である三七様に与することこそが、天下に安寧をもたらすと信じて戦ったまで。それを天下騒乱の罪として裁かれるのは心外に候」
正直すぎる!
聞いていた俺はさすがに冷や汗をかいた。
内心の屈辱と言い分は分かる。だが久助、その言葉では殺してくれと言っているようなものだぞ!
「ほう。……では滝川どのは、三法師さまに逆らったことを、罪とは自覚されておられぬわけじゃな?」
秀吉はわずかに、眉間にしわを寄せた。
かと思うと秀吉は、ニヤリと笑い――それは楽しいとか嬉しいの笑みではなく、凄まじい、憤怒さえ内蔵したような笑顔を浮かべて、
「よかろう。そちらの言い分は分かった。ではわしの言い分も聞いてもらおうか」
秀吉から、殺気が放たれた。
殺す気か、秀吉! ……そうだ、いまの久助を助ける理由など秀吉にはひとつもないのだ。秀吉がひとこと、切腹、といえば久助の生命は終わる。……久助!
俺は思わず声をあげようとした。
丹羽さんも、伊与もカンナもそうだった。
いざとなったら、秀吉と戦ってでも久助を守らねば、と――
だが、そのときであった。
「いえ、筑前どの。オレの話はまだ終わってはおりませぬ。……オレの誠意を受けてもらいたく」
「なに? 誠意?」
「こうでござる」
久助は唐突に脇差を抜いた。
秀吉の隣に控えていた、若い近侍が刀に手をかけた。
だが秀吉は、その近侍を手で制する。……その間、久助は、脇差で、ざっくざっくと自分の白髪頭を切っていく。髪が板の上に散らばっていく。
3分と経たぬうちに。
久助の頭は、まだ乱雑ではあるが、すっかり坊主頭となっていたのである。
「出家いたす」
「なに?」
「滝川一益の言い分を、天下の羽柴筑前どのの前で申し上げることができた以上、もはやオレのこの世における役割はすべて果たしたと思われる。……よって、もはや一益は武将をやめ、これより以後はひとりの坊主として、信長公、信忠公、信孝公のご冥福と。
今後の織田家の末永い繁栄を、心より祈るのみでござる」
うまい。
俺は心の中で感服していた。
自分の言い分を、丹羽さんも含めた満座の前で語り、その後、みずからの手で剃髪と出家を申し出た。これで久助を殺せば、秀吉は降伏、出家までした人間を殺したということで、天下の評判が下がること、この上ない。
それでいて、久助は今後の織田家の繁栄を祈る、と告げているのだ。
秀吉が、織田家の繁栄の邪魔をするのであればそれは許さない、と告げているも同様だ。
「……」
秀吉は、進退窮まった、という顔をした。
できればここで、久助のことを殺すか、幽閉するか。
なんとかして久助を社会から抹殺したかったのが秀吉の本音だろう。
しかしここで久助を殺すことは、もうできなくなった。だからといって、ハイそうですか、では出家してくださいね、と言って久助を無罪放免とばかりに放り出せば、これも秀吉にとって困るのである。生かしておけば久助はなにをするか分からないし、世間からも、
『さすがの秀吉様も滝川一益は殺せなかった』
として甘く見られるかもしれないからだ。
退くも滝川――
じつに久助の、退却戦のうまさを目の前で見せつけられた。
この場でピンチなのは明らかに久助のほうなのに、場の空気を支配しているのは久助のほうなのだから!
「ふっ、ははは……。そうか、出家なさるか、滝川どの。ははは……!」
秀吉は笑い始めた。
笑わなければ、場がもたぬ、みずからの威厳も保たれぬと判断したのだろう。
そして笑っている間に、次の方針を考えているのだ。秀吉はそういう男だ。「ははははは!」と秀吉は笑っている。
だが、良くない。
この笑いが出ているときは、秀吉が決断力を全開にする寸前なのだ。
世間の評判など糞食らえの行動をする直前の笑いだ。良くない。このままいけば、恐らく秀吉は、世間体もなにもなく、いかなる理由をつけても久助を殺そうとするだろう。それは良くない。久助は死に、羽柴秀吉の名前に傷がつく!
俺はとっさに、声を出した。
「滝川久助どのが出家なさるとあれば、世俗で得たものはすべて、羽柴筑前守さまに献上されるが良いかと存じますがなあ!」
「……」
「……」
俺はニコニコ顔だった。
秀吉も久助も、そんな俺を一瞬、呆然として見ていたが。
いちばん最初に反応したのは秀吉だった。
「おう、弥五郎、それも道理。滝川どの、出家されるとあれば、もはや貴殿所有の茶器や絵画や名刀などはすべて不要のはず。この羽柴筑前が、責任をもって戴こうかと思うが、あっはっは、どうでござるかな!?」
俺なりの案だった。
久助は長い人生の中で、それなりに名物を抱えてきている。
大名だったのだから当然だ。信長公から褒美としてもらった刀や、商人、茶人から貰った茶器や絵画がある。
出家するのならばそれは要らないはずだ。
だから秀吉に出せ、と俺は言ったのだ。
そこまでしなければ、久助、お前は殺されるぞ、という意味を込めている。
そして秀吉に対しても、それで勘弁してやれ、という意味で告げている。
ただの出家ではなく、名物を差し出しての出家ならば、世間は滝川一益の降伏と受け取るに違いないのだから。
「……左様でござるな。オレの持つ名物は、もはや今後の人生には不要なもの」
久助は俺のメッセージを、正しく受け取ってくれたようだ。
穏やかな顔で告げた。
「すべて、羽柴筑前守どのに差し上げる。あとは出家し、織田家の今後をただ祈るのみ。それでよろしゅうござるか、筑前守どの」
「よろしゅうござるとも。滝川どの。……」
秀吉と滝川久助は、互いに含み笑いをしたうえで――
これでひとまず、決着とした。
これにより、滝川一益の降伏は決定。
滝川家の領地は織田信雄が所有することになった。
秀吉はおそらく滝川家の領土が欲しかったことだろう。
しかし、あくまでもこの時点ではまだ織田家が健在で、秀吉はその家の重臣という立場なのである。絶大な権力を持ったとはいえ、織田家と羽柴家の間に漂う微妙な空気がこの状況を是認していた。
滝川一益は出家。
その後、丹羽さんの管理下に置かれ、越前で暮らすことになった。
秀吉の管理下ではなく、丹羽さんの管理下というあたりは、滝川一益への絶妙な配慮だろう。
「とっさに、よう知恵を絞ったのう、弥五郎」
久助降伏後、数日経って。
京の都の、寺の一室で会った秀吉は、ニヤニヤ笑いながら俺の肩を叩いたものだった。
「さすがは弥五郎と思うたわ。わしの顔を立て、滝川の財宝をわしに寄越し、その上で、古い友である滝川の命もしっかりと救う。まったく奇術でも見ているようじゃ。汝、さすがに
天下の大商人よな」
「おだてるなよ。それより俺からも感謝したい。よく久助を殺さなかったな」
「出家までされると、のう。さすがのわしでも手出しはできぬ。……実のところ、滝川の扱いはかなり悩んでおった。若いころからウマもあわなんだ男。恐らく今後も、わしのためには動こうとせぬ男。ここで斬ったほうが良いかとも思うたが、……まあ、わしはあまり意味もなく人を斬るのは好きではないでのう」
「……うん」
「それに、越中の佐々もまだわしに刃向かっておる。織田家臣をすべて降伏させるには、滝川を利用するべきときがくるかもしれんとも思うた」
事実だった。
越中国を支配しているのは、織田家家臣、佐々成政。
言わずとしれた俺の友だが、この佐々成政も、秀吉の行動をよしとせず、反羽柴を叫びながら、秀吉への抵抗を続けている。
この佐々軍を隣国で食い止めているのが、先日、秀吉に降伏した前田利家。そう又左だ。……又左とも佐々とも親しい俺は、彼らの争いを悲しく思っていたし、なんとかどこかで止められないかと常々考えていた。
「内蔵助(佐々成政)を殺すなよ、藤吉郎」
「それは向こう次第よ。我が天下統一に力を貸してくれるならば、ありがたく受け入れるがのう」
秀吉はガリガリと首元をかきむしりながら言った。
秀吉は、ニッと笑った。
「自分の首をかきむしることでさえ、近頃は簡単にできぬわい。ちょっとした行動を見せるだけで、家来どもはワアワア騒ぐ。……大殿様が首をかいたぞ、あれにはなにか意味があるのでは、とな」
「日ごろから芝居気が多いからそうなるんだよ。信長公が首をかいたからといってまわりは別に騒がなかっただろうが」
「いや、信長公でも公方や公家の前では堅苦しかったそうじゃぞ。うっかりあくびもできんと、昔こぼしておった。いまとなってはその苦労も分かる――なんの話をしとるんじゃ、わしらは」
秀吉は笑った。俺も笑った。
お互い、久しぶりに、肩の力が抜けたような笑顔である。
かと思うと、秀吉は真面目な顔になり、
「さて、これからのことよ。……弥五郎。わしは大坂城を築いておるが、おかげで銭がない」
「だろうな。金を出せ、って話か。しかし俺のほうも、近ごろ長島城を攻めたばかりで
あまり余裕がないんだ。藤吉郎ならではの、銭儲けの策はないか?」
「ふむ。……汝が管理しておった坂本に、三法師様を置こうと思っておる。織田家の支配という名目にして、坂本の町衆から矢銭を出させる」
「坂本は豊かだ。それもいいだろうな」
「近江の検地を石田佐吉にやらせる。隠し田を見つけ、さらに水運をやっている商人から上がりを貰う」
「それもいい。……が、どれほど銭が出るか」
「そこよ、弥五郎。あと一歩、足らぬ。矢銭も良い。検地も良い。だがまだまだ銭が足らぬのじゃ。なにか名案はないか」
「と言われても……。……そうだ、藤吉郎。大坂を支配したのなら、ほかの商人ともよく会うだろう。なにか面白い商人はいないか?」
「ふむ。まあ、あちこちの商人がぜひご挨拶にと連日やってきておる。全部会っている時間はとてもないから、よほどの大物を除けば、たいていは小一郎や黒田官兵衛や、小六、佐吉などに任せておるが。面白い商人のう。……ああ」
「心当たりがあるか?」
「南蛮の商人と宣教師が、一度お目通り願いたいとやってきているそうじゃ。忙しくて後回しにしておるが、名前はなんといったか――そう、宣教師のほうは――イエズス会宣教師の、オルガンティーノと言ったのう」
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