第6話 反秀吉勢力、半壊
長島城を包囲している俺たち神砲衆。
それに織田信雄軍や蒲生氏郷軍は、毎日、美味い飯を食べていた。
白い飯に干し魚、上質の味噌を使った芋がら縄に、各地から運ばれてきた漬物、などなど。時には果物や蜂蜜をふんだんに使った甘味まで。
おかげで、この頃、
――伊勢に行けば、それだけで食える。
なんて評判が、近隣諸国に広まった。
そのために、槍や火縄銃を担いだ男たちが次々と長島城までやってきて、
「一雑兵としてでも構いませぬ。ぜひとも羽柴軍の末席に加えていただきたく」
と、申し出てきた。
食い詰めた男たちであり、いや、ときには長刀を担いだ女たちまでいたのだが、彼ら彼女らは関東出身の者が多かった。明智の乱により、関東もまたおおいに乱れた。そのために食っていくことができなくなった者たちが、やってきたのである。
俺は、なるべくその連中を雇用してやった。
戦力として期待していたのもある。
だがそれ以上に、諸国に評判が広まるのを期待していた。
――羽柴秀吉や山田弥五郎の家来になれば、たらふく食える。
そういった評判が広まれば、敵が味方になってくれる。
敵の戦意も喪失する。そう思っていた。
できれば、滝川軍にもこの評判が伝わりますように。
と、俺は思っていた。……やがてそうなった。
長島城の兵の中にも、城から抜け出て、降参してくる人間たちが出てきたのだ。
「久助。これが俺の作りたい天下だ」
俺は長島城を見上げながら、独りごちた。
「日本各地から食べ物を集め、飢える者を減らす。戦いをなくすんだ。……そのための、統一した経済圏なんだ。強い、確固たる経済圏なんだ。……久助。意地も忠誠も分かる。だが、もうそろそろ、出てきてくれないか……」
うめくように独り言をつぶやいていた、そのときだ。
五右衛門が足音もなく、俺の隣に現れて告げた。
「柴田勝家どの、ならびにお市の方、お討ち死に」
ぞくり。――
と、鳥肌が立った。
分かっていたはずなのに。
この流れが起こるのは。――
俺は初めて柴田さんと出会ったときを思い出した。
信長公の弟である織田信勝と、熱田の銭巫女、そして柴田さん。
あの人たち3人とは、確か、敵の砦の物見に出かけた帰りに、出会ったのだった。
初めて出会ったとき、俺は鬼柴田の迫力を間近で感じたものだったが。
そうか。あの人が亡くなったのか。柴田勝家さんが……。
「……そうか」
俺は小さく、うめいた。
柴田勝家と、その妻、お市の方。
ふたりは4月24日に、北ノ庄城で自刃して果てた。
柴田勝家は、主家たる織田家を凌いで台頭する秀吉の行いが許せずに戦おうとしたのであり、お市の方もまた、夫である柴田さんに従い、反秀吉の思いを強めていたと伝わる。
俺は柴田さんともお市の方とも、深い交流があったわけではないが、それでも、先ほど思い出した初対面のときや、敵になったとき、さらに味方として共に戦ったとき。いろんな思い出がある。
そしてお市の方とも。
初めて出会ったのは、確か17年も前だったか。
清洲城で、藤吉郎と俺と、ふたり。信長公に呼ばれて、お市の方の美貌を間近で見たときの衝撃。
殺せない道はなかったのか。救う方法はなかったのか。
と、俺は自問自答する。……しかし、俺と同じようなことを、秀吉はとっくに考えていたはずであり、また動きもしていたはずである。特にお市の方については。
しかし、現実はこうなった。
「あまり悩むなよ」
五右衛門が言った。
「あんたがどう頑張っても、敵になるやつはなるし、死ぬやつは死ぬさ。特に柴田勝家なんて武骨者はな。……なんでも気に病むな。織田信長だって、尾張の守護を追放したり、守護代を殺したりしているんだ」
「分かっている。……いまは長島城攻めだけを考える。……だが久助は救うぞ。絶対に死なせない」
と、俺はそう言ったが、さらに辛い出来事は続く。
柴田さんの敗死を知った織田信雄は、長島城を包囲していた自軍を率いて、美濃に急行。岐阜城にいた織田信孝を攻撃し、これを攻略。織田信孝は信雄によって捕らえられ、
『昔より主を内海の野間なれば やがて報いん羽柴筑前』
織田信孝は死ぬ間際、このような辞世を詠んだという噂が伊勢にまで伝わってきた。
呪詛にも似た、壮絶なる文言であった。
秀吉よ。
亡主の息子たる自分を討ったからには、報いを受ける日が必ず来るだろう。
という意味の辞世だが、……信孝はこんな辞世を詠んでいないという話もあった。
真偽は不明だった。俺のところに織田信孝の最期の光景は伝わらなかった。あくまで、ただの噂かもしれない。
しかし。
多くの者が、こう思ったのは間違いないのだ。
秀吉は必ず、報いを受けるであろう、と。
多くの民衆がそう思ったからこそ、噂が広まっていったのだ。
「報い、か」
俺は、ひとつ、大きなため息をついたあと、
「筆と紙を持て」
部下に向けて言った。
手紙を書くことにしたのだ。
送る相手は秀吉だ。どうしても手紙を一枚、書きたかった。
内容は簡単なものだ。
あまり敵を殺すな。
しかし、どうしても殺さねばならない敵がいるならば。
そのときはやるがいい。地獄には俺も付き合う。俺はお前の相棒なのだから。
手紙はすぐに戻ってきた。
秀吉直筆の手紙にはこうあった。
――礼を言う。自分としてもこれ以上、織田の一族を殺したくはない。織田信孝はなまじ器量があっただけに、殺さざるを得なかった。信長公には申し訳ない。
――しかしながら自分は地獄に墜ちる気は毛頭ない。ただいまの世の道理と良識に背こうとも、信長公からお叱りを受けようとも、世間が自分に後ろ指をさそうとも、みずからが考える天下のためにただ
――忠義も道徳も乗り越えた先に、天下の繁栄があると信じる。その天下統一を成し遂げた先には、世間の誰もがこの秀吉を認めあげていることだろう。山田弥五郎、世間に怯えず、わしと共にあるが良い。あの大樹の下の誓いを果たそう。
「……この強さが秀吉だ」
俺は秀吉の力強い回答に、汗さえ滴らせた。
天下人になる男とは、こうか。……何十年もの付き合いだというのに、自分が知っている秀吉のさらにその奥に、また別の秀吉がいたかのように感じる。天下人たる男の奥の深さと強さ。世の道理も良識も、自分色に染め上げてやろうと言わんばかりだ。
「天下統一を成し遂げた先には、世間の誰もがこの秀吉を認めあげている……」
鳴かぬなら、鳴かせてみせよう――
そういうことか。
俺は、思わず天を見上げた。
太陽が、さんさんと中空で輝いていた。
「俊明」
伊与がやってきた。
「藤吉郎さんから、続いてまた文だ」
「ん……? そうか」
伊与から手紙を受け取る。
その手紙には、『言いたいことを先走って書きすぎた。もうひとつ、汝に頼みがある』と書かれてあり――
――丹羽長秀に越前国を与えたので、どうか商業の指導を行って欲しい。
とあった。
「丹羽さんはすでに家臣扱いか」
秀吉が、丹羽長秀、と書いたことになにやら思うところもあったが、いや、これだって俺が知っている史実だったな、と自嘲気味に笑う。
――心得た。ただし俺は久助を攻めているので、指導はカンナを越前に送る。
とだけ答えた。
その後、カンナは伊与と共に越前国に向かい、丹羽さんと商業の打ち合わせを行った。
結果、越前国の
三国湊は日本海の海運の要衝であり、また越前の米や産物を諸国に送り出す重要な拠点であった。それだけに、信長公の時代から注目を浴びている場所でもあった。
かつて信長公は、越前を支配したあと、この三国湊に対して、「上杉家の船は出入り禁止とせよ」と命じていた。当時、織田家の敵対していた上杉家に対して、一種の経済制裁を行っていたのである。
越前の港が封鎖されたことで、上杉家は米や産物を上方(京都など)に送ることができなくなり、ずいぶん経済的に疲弊したとされる。
それほどの拠点を、楽市にした。
これにより、三国湊は栄え、さらに日本海の海運は丹羽家が掴んだも同様であった。
しかし。――秀吉はむろん、すべての特権を丹羽さんに与えたわけではなかった。
「三国湊から上がった利益は、その半分を羽柴家がいただく。そして湊の商売の管理は、神砲衆が行うこととする」
このような命令を、秀吉は丹羽さんに向かってくだした。
丹羽さんは、拒絶するはずもなく、羽柴家の使者に向かってひれ伏した。
と同時に、俺の妻である伊与とカンナに向かってさえも、一度、頭を下げ、
「今後とも、商いのこと、よろしくご教導くださいますよう」
と言って、何度も礼をしたということだ。
伊与もカンナも、なにやら絶句してしまったそうだ。
あの丹羽さんが、織田家の重臣だった丹羽さんが、伊与とカンナにまで礼を尽くす。
羽柴と、その盟友たる山田の天下が、いよいよ始まろうとしているのである。
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