第5話 美濃大返し舞台裏

弾丸たま撃てーィ!!」


 滝川一益の号令一下、長島城の城壁上に鉄砲兵が揃い、こちらに向けて弾丸を次々とぶっ放してきた。


 ガンガン、ガンガンガン……!

 激しい。猛烈な鉄砲玉が、豪雨のごとく。

 俺たちの身体に向けて降り注ぐ。


 南蛮具足でなければとっくにやられていただろう。

 そして狙いも正確だ。さすが久助の家来衆だ。手強い……!


「だが、火縄銃だ。弾丸をこれだけ撃てば、必ず次は弾込たまごめのために敵の動きが止まるときがくる。その隙を突いて突撃すれば……!」


 やがて数秒後、はたして弾丸の雨はんだ。


「よし、いまだ! いくぞ、みんな! 突撃っ――」


「かかりやがったな、山田!」


「……っ!?」


 滝川一益の叫び声を聞いて、俺たちは一瞬動きを止めた。

 そして、次の瞬間、次々と炮烙玉が投げられてくる。


 小癪こしゃくな!

 俺はリボルバーを構えてぶっ放し、炮烙玉を空中で破壊した――


 すると。

 びちゃびちゃ、びちゃあ!

 砕けた炮烙の中から、奇妙な液体が流れてきたのである。


「こ、これは、油……!?」


「いまだ。火矢を放てーい! 神砲衆を火であぶり焼きにしてやれぇい!」


「なっ……」


「山田! その具足はさすがに大したもんだ! だがな、油をぶっかけた上に炎で炙ってやったらどうだ。具足は耐えられても中の人間はどうかな!?」


「し、しまった!」


「俊明、いったん退くぞ!」


 伊与が叫ぶ。

 だが、遅い。


 次々と長島城から放たれた火矢が、油のかかった俺たちを襲う。

 火矢の直撃を食らい、もがき苦しむ部下たちが出てきた。さらに油にも、少しずつ炎がうつっていく……。


 やばい。さっさと逃げないと、全員、炎にやられる!


「やむをえん! 全員、退け! 火でやられた者は具足を捨ててでも逃げろ! 具足より命が大事だ! 逃げろ、逃げろ!」


 俺たちは、長島城の門前から、回れ右して逃げまくった。


「はっはっは! 山田! 滝川一益をナメるなってことだよ! はっはっはっはっは……!!」


 我が友、滝川一益の吼え笑いが背中に聞こえる。

 強い。わざと普通の鉄砲を撃って俺たちを引きつけておき、そこからの油攻め、火攻めとは。攻撃のタイミングも完璧だ。さすが滝川一益だ。初めて戦ったが、こんなに強かったとは……!


「山田どの、ご無事か」


 逃げまくっていると、蒲生氏郷が家来を連れて俺の前に現れた。

 助けに来てくれたのだろう。俺は装備していた兜を脱ぎ捨てて、思い切り息を吐くと、蒲生に向けて謝った。


「すみません。不覚を取りました」


「なんの。敵が一枚上手でござったな。……さすがは滝川久助どの、でござる」


「まったく、まったく。……本当に、さすがは久助だ……」


 そうしていると、敵軍の中に潜入していた五右衛門と次郎兵衛も戻ってきた。


「やべえッス、やべえッス。滝川の兄貴はあっしの顔を知っていますから、バレました。あとちょっと遅かったら捕まってましたッス」


「敵の中にウチの顔を知っているやつもいてねえ、こっちも危なかったよ。去年まで味方だったやつと戦うのはやりにくいねえ」


 次郎兵衛と五右衛門は、手ぬぐいで汗を拭きながらこぼしたものだ。

 まったく、長島城の戦い、初戦は久助の勝利としか言いようがない。


 しかし顔には決して出さなかったが、俺はこのとき、少しだけ嬉しかった。

 地獄の関東から逃げ帰ってきた滝川一益。仙人のごとき白髭をアゴにたくわえるようになっても、老いてはいないのだ。滝川一益、なお健在なり。


「あれが滝川一益なんだ」


 俺は改めて、これほどの男と長年、友であったことを誇りに思った。




 ここから先の話は、俺があとになって聞いた話なのだが。




 そのころ、岐阜城の織田信孝。

 彼は、長島城の滝川一益が、山田弥五郎の攻撃を退しりぞけたと聞いて、おおいに士気を上げ、


「戦うべきときはいま。天下を織田の手に取り戻す!」


 と、声高らかに叫んだという。

 そして信孝は、羽柴軍に向けて、兵を挙げたのである。


 そのことを、賤ヶ岳で知った秀吉は「しゃらくさい!」と大きく叫ぶと、羽柴軍の半分を弟の小一郎、ならびに黒田官兵衛ら重臣に一任することを告げてから、残りの半分を引き連れて岐阜に向けて進軍を開始した。


「ゆくぞ、狙うは織田信孝の首ひとつ!」


 この言葉には、さすがに秀吉本陣にいた侍たちも驚き、


「三七様を討たれますか。信長公のお子を!」


「討つ! それがわしの作る天下にそぐわぬ人間であるならば!」


 秀吉は断言した。


「天下! その一言の前にはわし一人の感傷も家への忠義もすべて小さなものよ。……いや、そもそもわしは、信長公には海より深い恩義こそあれど、織田信孝には恩も感謝もありはせんわ!」


 そもそも信長公の息子というだけで、天下人の座を貰おうという発想自体、秀吉がもっとも忌み嫌うものであった。(……この世襲思想を、のちのち秀吉も抱いてしまうわけだが、少なくともこの時点の秀吉は激しく嫌っていた。無能なるがゆえに天下を乱した足利将軍家を憎みきっていたように、秀吉はこのときの織田家を実に嫌っていた。信長にも信忠にも匹敵できぬ人材しかいない家が、天下を継承するなどおこがましいと思っていたようだった)


「むしろ! 信長公の遺子であるならば、このわしを打ち破るくらいの強さを見せてみよ。それができぬのであれば、織田家の御曹司といえども天下人たる資格なし! 百姓上がりの羽柴秀吉さえ打ち倒せぬ男が、どうして天下万民を幸福へと導けようか! ……わしは討つ。信孝を討つ! ……信長公には、いずれあの世で百万回でも土下座して謝るのみよ!」


 こうして秀吉は30000の軍を率いて、美濃へと向かった。

 まるで考え無しの、激情にかられた行動ではない。

 秀吉は進軍しながらも、若狭国の丹羽長秀さんに文を送り、柴田軍を牽制するように依頼していた。


 また柴田勝家さんの背後を突くため、越後の上杉景勝にも依頼して兵を出してもらっていた。上杉軍は柴田軍の背後を突くべく進軍した。そして越中を守っていた我が友、佐々成政と交戦に入った。


 右も左も、俺にとっては仲間であった者たち同士が戦っている。

 精神的には、もちろん辛い。だがしかし、それ以上に、俺には俺の志があるのだと思っていた。……天下に強い経済圏を作り上げ、泰平と繁栄をもたらすのだという戦国商人としての志が。




 秀吉が岐阜城に向かったころ。

 俺はまだ長島城を攻めていたが。

 やがて、津島で兵糧輸送係を務めていたカンナに向けて、俺は次郎兵衛を使者として送った。


「大垣から賤ヶ岳の街道に向けて、たいまつと米を送るようにカンナに伝えてくれ。……ああ、そしてその場で人を雇い、握り飯を用意させるんだ。必ず藤吉郎の役に立つから」


「……それは未来の知識かい?」


 俺の命令を聞いていた五右衛門が言った。

 俺はうなずいた。


「秀吉はここで信孝を攻め落とさず、賤ヶ岳に戻ることになる。そのために兵糧を送っておくんだ」


「そりゃいいが。……なあ、弥五郎。藤吉郎さんにはあんたのこと、言わなくていいのかい? ……もし知らないまま、いつかそのことに気が付いたら、あの人は……」


「……。……いまはその話はいったんやめだ。まずは藤吉郎の勝利のために動く」


「分かった」


 五右衛門は小さくうなずいた。


「でも、いつかは伝えたほうがいいと思ってるよ。藤吉郎さんが傷つくし、あるいは怒るかもしれないから。うち、そんなところ見たくないんだよ。……こう見えても、この石川五右衛門、藤吉郎さんのこと、気に入ってるからさ」




 賤ヶ岳に動きがあった。


 柴田軍のひとり、佐久間盛政さくまもりまさが秀吉の留守をいいことに進軍。

 秀吉軍の中川瀬兵衛が率いる軍を撃破した。(かつて和田さんを救ったときに戦った相手だっただけに、その知らせを聞いたとき、俺は少し複雑な気分になった)


 さらに佐久間軍は進撃を続けるが、秀吉側の黒田官兵衛が率いる軍と戦い、黒田側がこれに持ちこたえる。そしてそのころ、美濃にやってきていた秀吉は、佐久間軍の侵攻を聞いて、逆に喜び、


「いまこそ勝機。柴田の陣形が崩れた。急ぎ、賤ヶ岳へ舞い戻れ!」


 そう叫ぶと、軍を連れて一気に賤ヶ岳へと進んだ。




 進む途中、秀吉軍は街道の途中にあった村で、一団を発見した。

 秀吉軍の先鋒を務めていた軍は、本陣の秀吉にそのことを伝えた。


「申し上げます。前方の村にうろんな一団あり」


「うろん? ……敵か?」


「いえ、どうも近隣の村人たちが集まった集団のようで。殿様の軍に握り飯とたいまつを差し上げたいと申しております」


「それは殊勝なことよ。よし、全軍、走りながら握り飯とたいまつをもらえ。食いながら賤ヶ岳へと戻るのだ」


 秀吉はありがたくその申し出を受けた。

 羽柴軍は握り飯を頬張ることで空腹を満たし、一気に賤ヶ岳へ進んだ。


 さすがの秀吉も急いでいたので、この事実を深く考えずにいたが、やがて賤ヶ岳に到着するかというときに、ふと、周囲の家臣に、


「先ほど、街道でわしらに握り飯を献上した連中、あれは本当にただの村人たちであったか?」


「は、それがどうも、聞いた話ですが、あれはどうやら山田弥五郎どのの命令で運ばれてきた飯のようで」


「なんじゃ、弥五郎の差し金じゃったか」


 秀吉はほっとした。


「あいつめ、相変わらず先読みをしおる。わしが賤ヶ岳に戻ると読んで、握り飯を送ってきたのじゃろう。……よし、弥五郎の飯を食うて力も湧いたわ。なんとしても柴田を倒すぞ!」


 秀吉は、賤ヶ岳に戻った。

 これによって勝敗はもはや決した。




 戻ってきた秀吉軍は、佐久間盛政の軍を撃破。

 佐久間は逃げた。その逃げる佐久間を追いかけて、秀吉は本陣に仕えていた若侍まで出撃するように命じた。その若侍こそがいわゆる『賤ヶ岳の七本槍』で、福島正則ふくしままさのりであったり、あるいは加藤清正かとうきよまさであったりした。


 清正は、ずいぶん昔、俺の仲間だった加藤清忠の息子である。

 かつて俺と秀吉が、信濃を旅して、美濃に戻ってきたとき、長良川の戦いに敗北した斎藤道三の軍と遭遇した。そのときに出会った加藤清忠さん。あの人の息子が大きくなったものだ。


 とにかく、その加藤清正たちの活躍もあって、戦いは秀吉の勝利に終わった。

 佐久間盛政はさらに逃げて、軍を立て直そうとしたが、そのタイミングで、柴田軍にいた前田利家の軍勢が撤退を開始した。


「なぜだ、前田軍がどうしてここで退くのだ!」


 佐久間盛政は悲痛な声で叫んだというが――

 さらにこのとき、琵琶湖に進出していた丹羽長秀さんの軍勢も行軍を開始した。


 全体の戦いの趨勢は完全に決まった。

 柴田軍は、全体に動揺が走り、総崩れになってしまったのであった。

 秀吉は勝った。


「あとは柴田勝家、ただひとり。やつの居城たる北ノ庄城を攻め落とすのだ!」


 秀吉は喜び、さらに軍を進めたものである。




 だがその夜、秀吉はふと、独りごちた。


「弥五郎の握り飯。いくらやつでも、時期が良すぎる。最初からわしが岐阜を攻めにかかり、そしてやがては賤ヶ岳に戻ると、完全に知っていたかのように……」


 その独り言を知っている者は、秀吉自身しかいなかった。




 秀吉は、ねむった。

 



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