第4話 長島城と賤ヶ岳
秀吉は、60000もの軍勢を率いて、北へ向かった。
柴田勝家さんと戦うためである。小一郎も蜂須賀小六も黒田官兵衛も、そちらに向かった。
伊勢には。
蒲生氏郷と俺が残った。その数10000。
秀吉のさらに用意周到なところは、ここに信長公の次男である織田信雄を招いたことだった。織田軍10000がさらにここに加わる。これで数が揃っただけでなく、
『秀吉軍は織田家が認めた軍』
ということになったのである。
秀吉は、織田信雄をどうおだてあげたのか知らないが、信雄はニコニコして俺たちの前に現れると、
「筑前から援軍を頼まれたゆえ、やってきた。柴田と滝川を打ち倒せば、畿内は再び織田の天下となろう。蒲生、山田、揃って励めよ。滝川征討のあかつきには、わしがひとたび、喜びの舞を、舞ってしんぜよう」
俺は信雄の言い方に、なにやら腹が立ってきた。
柴田さんにしろ滝川一益にしろ、彼らは彼らなりに織田家への忠義心をもって戦っているのだが、肝心の織田家総領(代行)がこれである。
信長公の、悪童めいた部分だけを受け継いだようなこの次男坊を見ていると、秀吉の気持ちがいっそう分かってくる。
信長公の子供というだけで、この男に天下を委ねられるか。
天下を繁栄させられるか。自分や自分の家族の未来を託せるか。
とても、そうは思えない。
だから秀吉は、みずから立った。
天下のために、自分のために、立ち上がったのだ。
「山田弥五郎、そちは商いだけでなく戦にも明るい。よくよく蒲生と話し合って、戦をよきように進めよ。わしはそちたちの軍議の結果に従おう」
信雄はニコニコ顔で言った。
ここが、あるいは信雄の長所かもしれない。
自分が戦下手だと分かっているので、俺や蒲生の指示に素直に従おうというわけだ。
信長公の次男と思うから弱く見えるのであって、そのあたりの豪族の次男か三男あたりなら、意外と適任の男だったかもしれないな。
信雄は、本陣を去った。
蒲生氏郷が、俺に顔を近付けてきた。
「三介さまのなさることよ。いまが実に天下分け目であることがよく分かっておられない」
「忠三郎どの(蒲生氏郷)、俺は柴田さんや滝川久助に同情していますよ。織田家に長年忠義を尽くしてきたというのに、織田家の次男からああも敵視されるなんて……」
「ご心中、お察し致します。私も同じ心持ちです。義理とはいえ兄がああいう態度では、地下の信長公もどのようなお気持ちか」
蒲生氏郷の妻は、信長の娘である。
つまり信雄は、蒲生氏郷から見れば義理の兄にあたるのだ。
秀吉が蒲生に伊勢を任せた理由もここにある。蒲生自身が優れた武将ということもあるが、信長公の娘婿という事実が大きい。
滝川軍は、信長の娘婿と、信長の次男。
さらにいえば、織田家の商人司であった俺こと山田弥五郎にまで攻められていることになる……。
「しかしここはもはや戦場、三介様の軍勢を用いて、滝川軍を打ち破ることのみを考えましょう」
さすが蒲生氏郷だ。
気持ちの切り替えが早い。
「織田軍10000を加えることで、一気に滝川軍の支城や砦を揉み潰していくことができまする。滝川久助が籠もる長島城だけを残し、他の城を全部落としてしまうことで、滝川本軍を孤軍としてしまいます。その上で城を包囲し、長島城を攻撃するのが上策と存じますが、山田どの、如何?」
「如何もなにも、さすが忠三郎どの、お見事です。俺ごときが口出しするまでもありません」
実際、蒲生氏郷の提案した作戦は見事だった。
この流れならば勝てるだろう。俺が動くまでもない。
と、思っていたが、しかし蒲生は少しだけ眉をひそめて、
「しかし問題がひとつだけ。三介さまの軍勢が加わることで、当方の軍はいささか兵糧が不足しております。兵糧奉行の羽柴小一郎さまも筑前さまと共に北へ向かいましたので、こちらに兵糧が回ってくる速度が、遅くなるかもしれませぬ。……であればこそ、滝川軍本拠、長島城も一気に落としてしまうのが肝要かと」
「ああ、それは大丈夫です。この山田弥五郎が、兵糧を調達いたしましょう。我が神砲衆の本拠たる津島はこの近く、いくらでも兵糧を手に入れる
「さすがは弥五郎どの! 見事です。では兵糧の心配なく、我々は戦えるわけですな。そうと分かればさっそく戦の準備を!」
蒲生氏郷はスックと立ち上がると、本陣を飛び出した。
やがて法螺貝が聞こえてきた。蒲生本人が吹いているのかもしれない。
本陣が一気にざわつき始めた。戦が始まるのだ。
「……これで伊勢のほうはおおむね決まりだ」
俺は独りごちた。
「蒲生は良い武将。俺がどうこうするまでもなく、伊勢の大半は落ちていく。だが」
あの男だけは。
俺が出なければおさまらないだろう。
滝川一益。
あいつだけは。
伊勢国内の滝川軍は、蒲生氏郷の手によって次々と打ち破られていった。
滝川軍にしては脆いが、これもやはり、織田信雄の軍が相手になっていることが大きい。
織田の本隊を相手にしては、去年まで織田家臣だった滝川軍の士気が上がるはずもないのだ。
いっぽう、秀吉から文が送られてきた。
秀吉はいま、柴田軍と北近江の
いわゆる賤ヶ岳の戦いであった。
秀吉率いる60000の大軍を相手に、柴田軍は30000。しかし柴田軍の布陣は完璧で、さすがの秀吉もなかなか攻められないそうだ。
秀吉は、柴田軍の中にいる親友、前田利家を通して、柴田軍全軍に何度も降伏勧告を繰り返しているらしい。
『国を豊かにするためである』
『天下布武は自分がやりとげる』
『降伏すれば金も領土も思いのまま』
『京の天子も織田信雄も、我らに大義ありと認めた』
相手の欲を刺激したり、大義を主張したり、忙しいことである。
これに対して柴田勝家さんも、
『秀吉が織田家を専横していることは明らか』
『足軽上がりの秀吉が天下布武などお笑いである』
『秀吉の甘言に騙されるな。あれは調略の名人だ』
『信長公の妹御であるお市様も、そして足利将軍家も我らに大義ありと認めた』
ここで懐かしい名前が登場した。
足利将軍家こと、足利義昭である。
京の都を追放され、いまは西国の毛利家に庇護されている15代将軍義昭は、信長公が亡くなると、京都に戻ろうと行動をし始めた。秀吉や柴田さんに『都に戻りたいので手助けせよ』と手紙を送ったのだ。
秀吉も一時は『将軍家の威光が、あるいは使えるかもしれん』と考えて、義昭の帰京を認めた。柴田さんも認めた。
だが、しかし――
やがて秀吉と柴田さんの対立が深まると、義昭は柴田さんの味方をしたのだ。
かつて、義昭が京の都から追放されたとき、秀吉は足利将軍家を徹底的に罵倒したが、義昭はこれを記憶していたらしい。秀吉か、勝家か。どちらかといえば、まだ柴田のほうが好きだと思ったのだろう。義昭は柴田勝家についた。そして、柴田勝家の応援を始めたのだ。柴田さんは、
『足利将軍家と織田家が仲良く、手を携えて天下布武を』
と叫んだのであった。
「しゃらくさい!」
秀吉は、そのキャッチフレーズを聞いてせせら笑った。
「いまさら、なにが将軍家か。……わしも一時は、まだ使えるかもと思ったが、甘かった。いまさら足利はいらん! いらんのだ! 時代をまた応仁動乱の時代に戻す気か。信長公以前に戻す気か。足利になにができるか。できん! できんのだ! 天下を統一できるのは。天下を豊かにできるのは、……若き三法師様と、このわしじゃあ!」
秀吉は秀吉で、おのれの大義を高らかに叫ぶのであった。
伊勢国は、滝川一益が籠もる長島城だけが残っていた。
数はおおよそ3000。
だが、3000といえど一騎当千の猛者ばかりで、特に鉄砲や火薬の扱いに長けた者が多く籠もっていた長島城は、容易に落ちそうになかった。
「なんたるざまか! わずか3000しか籠もっていない城を、万を超える兵でかかって落とせぬとは!」
「蒲生、そう急くな。敵は老いたりといえどあの滝川だ。それに我らが必死にならずとも、やがて筑前がやってきてかたしてくれよう」
いきりたつ蒲生と、のんびりとした織田信雄。
蒲生氏郷は、一瞬だけ信雄を睨んだが、すぐに「はっ」と頭を下げた。
内心は、かなりイライラしている。無理もない。織田信雄は分かっていない。
家来は、のんびりとはいかないのだ。必死にやる。必死に戦う。結果を出す。そうやって初めて、総大将に認められ、出世なり土地なり褒美なりが与えられる。それができなければ、褒美など貰えないし、次からは放り出される可能性すらあるのだ。
なんの苦労せずに、土地も城も兵も
「織田様。……ここは俺に任せてもらえませんか」
俺は、一歩、前に出た。
織田信雄は「うん?」と顔を上げる。
「俺の神砲衆はこれまで兵糧奉行役を務めて参りました。しかし出番がやってきたようです。俺ならば滝川軍に一撃を与えることができます」
「ほほう、さすが山田。父上のお気に入りだっただけはある。……よかろう、やってみよ。滝川を倒せるに越したことはない」
「山田どの。……山田どのならば滝川に勝てると?」
プライドが傷つけられたのか、蒲生はさすがに少し悔しそうに俺を見たが、俺は、小さくうなずいただけで、
「俺は少しばかり、貴殿より年老いていますから。その分、ずるいやり方も知っています。まあ、見ていてください」
長島城に籠もる滝川兵は、恐らく、ギョッとして俺たちのことを見ただろう。
長島城にゆっくりと近付いていく神砲衆500人。その中には俺と伊与がいる。
その500人は、誰もが、黒光りする甲冑を装備していたからだ。
「なんだ、ありゃあ……」
「なんて具足を着ていやがる」
「構わん、撃て。近付いてくるなら撃ってしまえ!」
滝川軍は、火縄銃を出し、弾丸を雨のように俺たちに向けて発射した。
しかし、ガンガン、ガンガンと音を立てて、俺たちの黒甲冑は弾丸を弾いていく。
「顔を下げろ。肌を出すな。亀のように、黒具足の中に籠もれ」
伊与が家来たちに指示をくだす。
家来たちは、全員指示を守り、甲冑に隠れながら、それでもゆっくりと長島城に進んでいくのである。
南蛮胴具足、改良版。
南蛮から運び込まれた鉄を、俺が買い上げ、坂本に運び込み、作り上げた具足だ。
かつて信長に献上した南蛮具足。あれをさらに俺が改良したものであり、計算上、火縄銃では絶対にこの具足は貫けない。
「鉄砲ではダメだ。炮烙玉を出せ! 投げろ!」
滝川軍が、火薬の詰まった炮烙玉を投げてきた。
5個、10個、15個……なんの、これくらい……!
「撃て!」
俺をはじめ、鉄砲の扱いに長けた兵たちが、リボルバーを構える。
空中を飛んでくる炮烙玉を、すべて打ち落とした。
火薬は空中でむなしく散る。あるいは爆砕する。
「な、なに……?」
「いまだ、進め、神砲衆! 長島城に取りつけ!」
わぁっと。
俺たちは長島城の門に向かって突撃を開始した。
「いかん、敵を止めろ。もっと炮烙玉を投げて――」
「悪いね、そいつは無理だよ」
「なにっ!?」
滝川軍の兵が、振り返る。
俺の命令を受けて潜入していた五右衛門と次郎兵衛が、ニヤリと笑い、短刀を振り回す。炮烙玉を持っていた兵たちが、次々と倒れていった。
「よし、このまま突っ込め!」
俺の命令一下、伊与が率いる神砲衆が長島城の門を突き破ろうと突撃する――
そのときだった。
「よう、山田!」
知っている声が聞こえてきた。
はっと、顔を上げた。
長島城の門の上に、黒装束を着込んだ初老の男がひとり、立っている。
まさか、あいつが、直接こんな現場までやってくるなんて!
「よく来てくれたな。嬉しいぜ、お前さんと戦えるなんて」
「……久助……!」
我が友滝川一益と俺は、数メートル分の距離を挟んで、まっすぐに対峙した。
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