第3話 羽柴軍、伊勢国を攻める
滝川一益の挙兵を、俺は坂本で聞いた。
坂本の町の中心に、かつて大きな商家があったのだが、その家は明智光秀と懇意であったために、明智家の敗亡と共に一家総出で姿をくらましてしまった。
その商家を、ほとんど火事場泥棒的に手に入れた俺である。
100人は平気で入ることができるその豪邸内の一室にて、俺は武器防具の製造と、商売の仕事を同時に行っていたわけだが、そこへカンナがどたどたと入室してきて、
「弥五郎っ! 滝川、滝川、滝川さんがぁ!」
「そう叫ぶな。神砲衆山田弥五郎の正室ともあろう女が落ち着きのない」
「いまさらあたしが落ち着けるわけなかろうもん。こんなときだけ正室とか言いくさってから、好かーん、もう! ……そうやなくて滝川さんよ。伊勢で滝川さんが挙兵したとよ。あんた、これ、どげんするとね!? こうなるのが分かっとったなら、もう少しなんとかなったろうもん!」
「なんとかならないから、滝川なのだ」
俺は眉間を険しくさせて言った。
「俺だって、こんな流れを望んでいたわけじゃない。できることなら、久助と戦わずにいたかった。それはカンナだって分かるだろう?」
「そ、それは、そうやけれどもさ。……このままやったら滝川さんは、どげんなるとね?」
「死にはしない。久助が亡くなるのはもう少し先のことだ」
今回の戦いで滝川一益は、秀吉に負ける。
しかし生き残り、まだ数年は生きるのだ。
俺が知っている歴史ならば。
「だが、お前が介入しなければ亡くなるかもしれないぞ、滝川殿は」
「伊与」
いつの間にか、部屋の中に伊与がいた。
「私たちは行くべきだ。お前が羽柴家に与するつもりなのはよく分かっている。お前の言い分も分かる。……それでも、この戦いは、お前が行くべきだ。俊明」
「……分かっている」
俺はうなずいた。
そして、立ち上がった。
「滝川久助とは、俺が戦う。……あかりのためにもな」
いまは安土にいるはずのあかりのことを思い浮かべながら、俺は言った。
「やあ、滝川、狂ったか!」
秀吉は、滝川一益反乱時、姫路城にいて、そう叫んだ。
「信長公に大恩ある身でありながら、三法師様に弓引くとは。この筑前を暴虐とは笑止、かの者こそ天下布武の足並みを乱す大謀反人なり!」
秀吉は大声で叫びまくり、滝川一益こそが謀反人であると周囲にアピールしながら、城内を駆け回って戦の準備を整えると、
「わしは先にゆく。あとの者は準備ができ次第、続けっ」
と咆哮し、その日のうちに、数十人の兵だけを連れて京の都へ入った。
その後、都の天子様、さらに安土城内の三法師様と織田信雄に拝謁した秀吉は、天下を乱す叛徒を征伐するという大義名分をそれぞれに訴えた。これにより羽柴家は、天子と織田家の忠臣となり、滝川征伐の大義名分を得るのである。
安土で、羽柴軍の本隊が秀吉に追いついた。
羽柴軍は、秀吉の弟の小一郎や、さらに秀吉の姉の子供、つまり甥である羽柴秀次が率いてやってきた。
俺も、このとき羽柴軍に合流した。
伊与、カンナ、五右衛門、次郎兵衛、あかりを連れて、合計300の人数を引き連れている。
羽柴軍全体の兵数は60000である。
大軍であった。しかしそれほどの大軍を維持するための、武具や馬具、兵糧、金銀はすべて、小一郎がちゃんと手配していたのだ。
「以前、神砲衆でカンナ殿に鍛えていただいたおかげでござるよ」
安土城の三の丸である。
すでにかつてのような弱々しさは消え失せ、一人前の面構えをしている羽柴小一郎は、それでも俺たちを前にすると温和な表情であった。
「山田どの。人間という生き物は、けっきょくは金と食べ物でございますな。このふたつが満たされていれば、まあまあ、大きな不満は出ぬものでござる」
「真理だな。……その上、よりたくさんの金銀と食べ物、さらに家や衣服があれば、なお不満は出まい」
「それも真理。いや、この小一郎、なお山田どのには学ぶところ大でござる」
「小一郎。あんた、口がうもうなった。藤吉郎さんにそっくり」
カンナがニコニコしながら言うと、小一郎は「嫌なことをおっしゃる。なんで私が兄者などに似ていましょうか!」と笑った。その笑い声で、小一郎の周囲は一気に明るくなった。このあたりも、少しタイプは違うが秀吉と小一郎はやはり似ている。兄弟である。
しかし、である。
小一郎は、ニコニコ笑いながら、俺とカンナのほうに近付いてきて、そっと耳打ちした。
「家来の目もございますゆえ」
「ん。……?」
「今後は、人前では、せめて、筑前どの、筑前様……などと呼んで戴きたく」
「「…………」」
俺とカンナは笑顔のまま、一瞬、顔をこわばらせた。
だが、すぐに俺たちはまた笑い、
「いやいや、分かった、実に分かった。しかし、冗談がうまい! そのあたりも、さすがは羽柴筑前どのの弟御、というところかな。あっはっはっは……!」
「うふ、あは、あっはっはっは……あはははは……!」
俺とカンナは、馬鹿みたいに笑った。
小一郎も大笑いし、周囲にいた羽柴家の家来衆も大笑いであった。
「かたじけない」
小一郎は、小声で言った。
「些細なことさ」
俺も小声で応じた。
秀吉も小一郎も、羽柴家も。
もはや、かつてのようにはいかなくなってきている。
盟友とはいえ、人数300しか率いていないこの俺が、羽柴秀吉を人前で呼び捨てにすることはできないのだ。
「弥五郎」
「構わない」
カンナの小声に、俺は小さく答えた。
「天下太平と繁栄のためならば。……俺と藤吉郎の誓いの大きさからすれば、この程度は本当に些細なことなのだから」
「いよう、弥五郎!」
その翌日。
安土城下の羽柴屋敷にて、俺は総大将たる秀吉とようやく会うことができた。
小一郎の態度とは異なり、秀吉はなお、同格の盟友として俺に接してくれる。……さて、俺はどうしたらいいものか。少し悩んだが、いま目の前には秀吉と、俺とも顔見知りの小姓が2人いるだけなので、とりあえずは肩の力を抜き、
「藤吉郎」
と、呼んだ。
「滝川久助が挙兵したが、これに呼応して柴田軍も、きっと兵を挙げるぞ」
「分かっておる。……又左を通じて、柴田殿とは仲直りをしておいたが、もはやそれも無駄であろうな」
昨年、前田利家は京の都に上がり、秀吉と面会。
このとき、秀吉と柴田勝家は「仲直りしよう。そして織田家のために尽くそう」と誓い合ったそうだ。……そのとき、俺は坂本にいたために不在だったが。
「無駄だ。柴田軍は雪をかきわけてやってくる。これにうまく対処しなければ、羽柴軍は、柴田と滝川の挟み撃ちにあうぞ」
「分かっておる。そこで弥五郎、わしはまず伊勢に向かい、滝川と戦う。その後、柴田が出てくれば、これと戦うために北上する」
「では滝川は……」
「そこよ。誰が滝川と戦うか。最初は小一郎に委ねようと思うたが、やつは全軍の兵糧奉行を務めねばならぬ。但馬から送られてくる銀まで采配できるとなると、これは小一郎にしかできぬ役目じゃ。……さらに他は、となると……小六兄ィは諜報の役目、官兵衛にはわしの相談役をしてもらわねばならん。……となると、滝川と戦うのは、蒲生忠三郎(氏郷)が適任かと思うが」
「器量人なのは間違いない。しかし滝川が相手となると、蒲生は若すぎる」
「それはそうじゃが。……まさか、弥五郎」
「俺にもっと頼ってくれ。滝川久助とは俺が戦う」
「……弥五郎、そいつは」
秀吉は、頭をかいて、
「……そいつはのう、うん、実はわしも少し考えた。……だがのう、汝にはもっと、商いの面でわしを支えてほしいと思うておったのだ。だから今回の兵糧奉行も小一郎に任せたのだ。……弥五郎、汝の助けは嬉しい。さすが我が相棒じゃ。……だがのう、今回はさすがに相手が悪い」
「と、いうと?」
「いいか、弥五郎。この羽柴秀吉が、織田家中において、戦上手と認める者が4人おった。誰じゃと思う? 徳川どのは別として、じゃぞ」
「まずは信長公だな」
「うむ。あのお方は別格よな」
「次は。……明智だな」
「おう、その通り。わしは明智に勝ったし、またやつはああいう末路を迎えたが、戦の駆け引きではまさに天賦の才あり」
「……残りはふたり。……柴田さんか」
「その通り。かかれ柴田と言われるだけのことはある。猛将という意味ではこの日ノ本でも五本の指に入るかもしれぬ」
「そして、残りひとりが。……滝川一益」
「そうよ」
秀吉はうなずいた。
「進むも退くも、やつの軍勢の動かし方はまったく見事。わしと同様、貧困の中から這い上がっただけはある。ゆえによ、弥五郎、こう言ってはなんじゃが、汝では滝川とは組み打ちできぬ。馬鹿にしているわけではないぞ。滝川がすごすぎるのだ」
「百も承知さ。俺だって久助とは長い付き合いだ。あいつがどれほどの武将か、俺はよく知っている。……藤吉郎、なにも俺だけで戦おうというわけじゃない。蒲生を使うといい。俺は、その蒲生の手助けをしたいのさ」
「それならば納得。……だが、それでも滝川はきっと手強いぞ」
「そのために、良いものを用意した」
そう言って俺は、一度部屋を出て、隣室から箱を持ってきた。
「弥五郎。なんじゃ、これは」
「新しい道具だ。俺は坂本でこれをずっと作っていた。……こいつを使えば、滝川軍相手でも、決して負けない。……藤吉郎、忘れたか。俺は道具作りにかけては」
俺はニヤリと笑った。
「それこそ、日ノ本でも五本の指に入るつもりだぜ」
「いいや、五本ではない」
秀吉も、ニヤリと笑った。
「一本じゃ。汝は日ノ本一のモノ作りができる男じゃった。すまぬ、わしが見くびっておった! ……よし、弥五郎、滝川は任せる。煮るなり焼くなり口説き落とすなり、好きにせい。すべてそちらは任せるぞ!」
「任された!」
俺と秀吉は、互いの肩をばんばんと力強く叩いたものである。
羽柴軍は、さらに兵力を増やし、合計70000の軍で伊勢国に攻め入った。
「来やがったな、
滝川一益は伊勢国中の城を構えて、秀吉軍と戦闘を開始した。
滝川軍はおおよそ15000。しかし、数倍の秀吉軍を相手によく耐えた。
滝川一益の個人的な配下であった甲賀忍びたちや、かつて俺が開発した甲賀忍者用の炮烙玉もよく活躍した。秀吉は一度、思い切り舌打ちし、
「さすがに滝川は、軍神摩利支天のごとく……」
と、思わずつぶやいた。
周囲が秀吉を見た。秀吉は、すぐに笑って、
「しかしよ、この秀吉は太陽の子である。神仏よりも上の存在じゃ。はっはっは、滝川がいかに軍神のごとくであろうとも、わしから見れば赤子のごとくよ。……ううむ、しかし滝川はさすがに手強い。あれは我が主君たる信長公仕込みの兵法じゃな。見事、見事」
瞬時に、自分のほうが上、さらに自分が織田家の忠臣だと周囲にアピールをした。
一瞬でも弱音を吐けば、周囲が秀吉を見限る。その部分を考えての発言であった。
他者にわずかな欠点さえ見せられぬのが、成り上がりの辛さであろう。
その後、秀吉軍は、数にものを言わせて滝川軍の城砦を少しずつ切り崩していったが、そのときである。
「柴田権六どの、挙兵!」
使者が、秀吉に向かって叫んだ。
越前にいる柴田勝家さんが、兵を挙げたのである。
想像よりも早い。まだこちらは滝川軍を倒しきっていないのに。
だが秀吉は、落ち着いた顔で俺のほうを見て、うなずいた。
「任せた、弥五郎」
「任された」
安土のときと同じやりとりが交わされた。
「滝川軍は俺が倒す」
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