第2話 信長の葬儀

 そもそもの話。

 清洲会議の直後、秀吉と織田信孝はまだ協調していた。

 信長公の墓所をどこにするか、その選定を手紙によってよく話し合っていた。


 だが、その流れから信孝が消えていく。

 

 天正10年(1582)の9月には柴田勝家とお市の方が、信長の百日忌を執り行った。その後、信長の四男であり、秀吉の養子である於次丸こと羽柴秀勝も秀吉の許しを得たうえで、百日忌を行っている。信孝はもちろん、信長の次男たる織田信雄も姿を見えない。動きがてんでバラバラである。


 なぜ、このような流れになったのか。


 そもそも信雄と信孝の兄弟はとにかく仲が悪かったのだが、その上、信孝が有する美濃と、信雄が有する尾張の国境で、小さな領土争いがたびたび起きていた。信雄と信孝は、それらの争いを、ときには仲介したり、ときにはむしろ煽ったりしていた。要するに派手な兄弟喧嘩を行っていたのだ。


 信雄も信孝も、信長の墓や葬儀や百日忌のことなど、すっかり忘れたようであった。

 秀吉も、最初は信孝たちに「信長公の葬儀はいかがされるか」と使者を送っていたのだが、返事はまったく来なかったという。


「これだから、よ」


 秀吉は忌々しげに言ったものだ。

 京の都にある宝積寺ほうしゃくじである。

 ここは近ごろ、秀吉が都における本拠地として使っている場所だ。


「こういうことだから、天下をもはや織田家には委ねられぬのだ。そうではないか、弥五郎。情けなや。あの信長公のお子でありながらこの始末。兄弟揃って、父親にも兄貴にも遠く及ばぬわ」


「うん。……」


 歴史がこういう流れになることを、俺はむろん知っていたが……。

 実際に目の前でこういうことになると、なにやら鬱々とした気分になる。

 一種の相続争いでもあるが、言葉にできないウンザリさを感じてしまうのだ。


 こういった空気を、人々は敏感に感じ取る。

 織田家は、世間から、急速に見放されつつあった。


 信長公の次は、もはや織田一族ではないぞ。

 そのような空気ができつつあった。


「で、あればこそ、弥五郎。信長公の葬儀よ。……これは、もはや、わしがやる。やるゆえに、銭を出してくれ」


 ――と、ここで話が先ほどからと繋がる。

 秀吉は自分が信長公の葬儀を行うことにしたのだ。

 もちろん、表向きは自分ではなく信長公の遺子、秀勝が行うという形にして。


「葬儀は盛大に執り行う。信長公はご遺体が見つからなんだゆえ、立派な木像を作り、ご遺体の代わりとする。……そのための銭よ、弥五郎。どうじゃ!」


「異論はない。しかしながら、毛利攻めに明智征討にと銭を出し続きなんだ。いくら神砲衆でもすぐには無理だぞ」


「いや、すぐに出してもらう。いまこそ山田弥五郎の腕のみせどころではないか。んん?」


「おだてやがるわ……」


 俺は、ちょっと嫌な顔を見せたが、秀吉はニコニコ笑い、俺の肩を叩き、


「種銭ならば、あるじゃろうが。なんのために汝に坂本や大津を任せた。かなりの贈り物や銭が入ってきたはずだ。あれを使って都合せい。できるじゃろうが、のう。はっはっは……!」


「カンナにもひとつ相談してみるが。……ん、そうだな」


 俺は、カンナの名前を出したことで思い出した。


「ふたつ、策を思いついた。ひとつは堺の会合衆や、南蛮商人、さらにカンナの伝手つてで知り合った博多商人から銭を借りる。坂本や大津で手に入れた商品の数々を担保とすれば、かなりの銭を引き出せるだろう。


 もうひとつは、交易だ。南蛮商人や博多商人は都の物を高く買うと聞いた。……羽柴家が京の都を征しているならば、都の反物や芸術品を買い上げ、それらの品を南蛮や博多に売れば良い、巨利を得ることができるだろう」


「そう、そう、それじゃ、弥五郎! 汝、そういう策を思いつくと信じておった!」


「だから、おだてるな」


「マッコト、心の底から出た言葉よ。なんの、いまさら汝をおだてるものかい。藤吉郎、大喜びじゃ。ではその策を用いよ。銭を借りて、また稼ぐがいいわい」


「借りる策と、交易策。どちらが良い?」


「両方じゃ」


 秀吉はさらにニコニコ笑って、


「銭を借りまくりながら、商いもせい。……そうそう、小一郎にもようと相談せいよ。あれは但馬の銀を扱うことに長けておる。昔、カンナにいろいろと教えて貰った甲斐があったわいな。あっはっはっは……!!」




 こうして俺は、銭を稼ぐ策に出た。

 交易は一朝一夕ではならず、また博多商人は遠く九州にいるので、さしあたって、伊与とカンナを引き連れて堺の町に出向き、今井さんや千宗易さんにあいさつをして、銭を借りることにしたのだ。


 今井さんは、堺にある商家の中で俺たちと会ってくれた。

 そして目を細めながら、うなずいてくれた。


「承りました。会合衆、羽柴様のために銭を用立てましょう」


「ありがとうございます。担保は坂本と大津にある品の数々で……」


「いや、なに、担保は無用にございます。……手前ども、羽柴様と山田どのの未来を信じておりますので」


「未来を……?」


「信長公の次の天下は、羽柴様と山田どのが征されること、火を見るより明らかでございますからな」


 その言葉を聞いて、俺は思わず、伊与たちと顔を見合わせた。


「……なぜ、そのような」


「三七様(信孝)や柴田権六様と、羽柴様、山田どのとではもはや役者が違いますからな。見ている景色が違うとでもいいますか。……南蛮商人や博多商人だけでなく、さらに坂本や大津や、それだけでなく、越前や三河、遠江、駿河、津島まで広く商っている山田どのがいる限り、羽柴様の次の天下はもはや確実」


「買いかぶり……」


「では、ございませぬな。現にたったいま、こうして山田どのは手前の前にいる。……柴田様や三七様からは、使いのひとりも、文の一枚も来ぬのです。……これから、どのような天下になるにせよ、銭は必ず入り用となりますのに。……遅いのです。なにもかもが」


「…………」


「信長公はそうではありませんでした。都に上洛したあと、すぐさま堺や大津に使いを飛ばした。銭を確保することに躍起でありました。早いお方でした、なにもかもが。……あの世に旅立つのも、少し早すぎましたがな……」


 今井さんはそこで初めて、少しだけ悲しそうな顔を見せた。


「……まったくです。あの方は、旅立つのが早すぎた……」


 俺も、思わず目頭が熱くなった。

 今井さんは、そこで重々しくうなずき、


「……信長公のあとを継ぐのは誰か。手前もようと考えておりましたが、ここにきて羽柴様、山田どのと思うようになりました。ぜひ、会合衆の銭を用いて、信長公の夢であった天下布武を成し遂げていただきたい。手前はそう思うのです」


「……かたじけない!」


 俺は、その場で大きく頭を下げた。

 伊与もカンナも、同様だった。




 こうして銭を手に入れた秀吉は、信長公の葬儀を手配し、ついに大々的に行った。

 10月15日のことである。羽柴秀勝を喪主とし、秀吉がそれに付き従う形であった。


 織田家臣団は、これにほとんど参加していない。

 参加したのは、名家として名が知られ、かつては室町幕府の臣でもあった細川藤孝ほそかわふじたかくらいであった。


「今回の葬儀は織田家に関わりのある人間だけで行う」


 というのが秀吉の言い分だった。


「だから、信長公の遺子である於次丸と、その養父たるわしだけが参列する。細川どのは足利将軍家とも繋がりがあったお方ゆえ、特別じゃ。他のものは参列を遠慮してもらいたい。それは丹羽どの、池田どの、さらに弥五郎、汝であっても同様である」


 というわけで、織田家臣団の中でも秀吉派だった丹羽長秀と池田恒興すらも、この葬儀には参加できなかった。……ただし、池田恒興は、自分の母親が信長の乳母だったという縁があったため、池田家の次男である池田輝政いけだてるまさがけっきょく参列したのだが。


 また、織田家の重臣である丹羽長秀まで追い出すのはさすがに気が引けたのか、丹羽さんの家来を3人、これも「葬儀にはいろいろと人がいるから」と言って、雑用係のようではあるが、参列を許された。


 こうして、京の都、大徳寺北西の蓮台野にて信長公の葬儀が行われた。

 秀吉の弟である小一郎が10000の兵を率いて警固役を務め、黒田官兵衛の手によって3000人以上の僧侶が集められた、それは盛大なものであった。


 これに対して怒り狂ったのが、滝川一益だった。

 彼は伊勢国にいたのだが、信長公の葬儀と聞いて都にやってきた。しかし、参列を拒否されたため、


「筑前め。いよいよ織田家を私物化しやがるか!」


 と、激怒したものである。

 大徳寺の外れにて、俺、丹羽長秀、池田恒興が詰めている一室で、滝川一益は吼えまくった。


「久助、落ち着け。この葬儀には俺も参加できないんだ」


 津島以来の再会となった俺は、滝川一益にそう言ったが、一益はさらに鼻息を荒くして、


「山田、お前さんは利用されているんだぞ。丹羽どの、池田どのもだ! 世間の連中はきっとこう思うだろうぜ。――あの山田弥五郎や、丹羽五郎左でさえ葬儀に参加できなかった。ならばこれは本当に羽柴秀勝だけの葬儀なのだろう……。世間にそう思わせるために、山田、お前さんは外されたんだ!」


「考えすぎだ、久助!」


「いいや、考えすぎなものかよ。山田、お前さん、お前さんは……!」


「落ち着きなさい。滝川どの」


 そのとき、丹羽長秀が落ち着いた声で言った。


「こんな狭いところでそう大仰に騒がれるな。織田家の家臣としての評判に関わります」


「家臣? 家臣だと……。丹羽どの、あなたにはまだ織田家臣としての意識があったのか! こいつは驚いた。とっくに羽柴の家臣になったと思っていたぜ!」


「滝川! 口が過ぎようぞ!」


 今度は池田恒興が怒った。

 しかし滝川一益も負けてはおらず、


「なんの、口が過ぎようものか! 我ら3人。商人たる山田も含めれば4人。織田家の家臣として筑前とは同格だった。それがあの筑前は、於次丸様の養父とはいえ葬儀を行い、我らはこのような、それこそ狭い部屋に押し込められ……。これが納得できるものかよ、丹羽どの!」


「私はかなり納得しておる」


「なに? ……なんだと? 丹羽どの、いまなんと」


「納得しておると言いました。……そもそもこの葬儀は、もっと早く、三七様や三介様、あるいは権六どの(柴田勝家)、またあるいは我々全員がやらねばならなかった。それがいまのいままで、誰もしなかった。やらなかった。……だからこそ、こうなった。……滝川どの、それほどご不満であるならば、なぜ貴殿はもっと早く、葬儀をされなかったのです?」


「それは……」


「三七様に相談してもよい。柴田様に相談してもよい。我らに相談してもよい。……山田どのと滝川どのは昵懇の仲、葬儀の費用だって山田どのに頼めばなんとかなったはず。……だが貴殿はそれをやらなかった。やらずにおいて、いまここに来てグチグチとわめき散らしておる。それは実に見苦しい」


「し、し、し。……しかし……!」


「本音で言えば、わたしも喚きたいときがある。しかし、それはもうできない。わたしもまた、葬儀を行わなかった者だからだ。分かりやすく言えば、この乱世において、羽柴筑前どのにしてやられたのだ。……やられてしまったのだ」


「丹羽どの」


「丹羽さん」


 池田恒興と俺は、揃って声を出した。

 丹羽さんが、こんなにも饒舌にいまの自分の思いを語るとは。


「羽柴の家臣と言われては、もうやむを得ぬかもしれぬ。……それだけわたしたちは羽柴にしてやられた。器が違う。頭が違う、理想が違う。決意が違う。……こと、ここまで及んでは、あとはわたしができることは、せめて織田の一門の皆々様に、できる限り安寧な人生を歩んでいただくことぐらいだ」


「冗談じゃねえぞ! な、なにをどうして、そんな血迷いごとを! 馬鹿な、馬鹿なっ! 米五郎左とも呼ばれた男が、それで良いのかよ!」


「貴殿こそ、進むも滝川、退くも滝川と呼ばれた男ではないか。引き時を心得よ! もはや時代は変わったのだ! 滝川どの!」


「承服! ……いたしかねるっ!!」


「久助!!」


「滝川久助の意地と忠誠、口八丁で丸め込まれるものかよ! かくなる上は領国に戻り、おのれの意地にかけても羽柴筑前の野心を阻止せん!!」


「「滝川どの!!」」


 丹羽さんも、池田さんも、

 そして俺も、名前を呼んだ。

 しかし滝川一益は、そのまま出ていき――


 俺たち3人は、揃ってため息をついた。


「……もはや戦ですな」


「覚悟はしておったが」


「……久助……」


 丹羽さん、池田さん、そして俺は揃って下を向いていた。

 顔を上げたのは、葬儀が終わり、使いの者が呼びに来てからのことだった。




 秀吉による葬儀が終わると、反応したのは織田信孝だった。信孝はいよいよ反秀吉の色を強め、柴田勝家と接触した。これを見た秀吉は、


「京の都に近い岐阜に住んでおきながら、亡き父上の葬儀にも参列せなんだ親不孝者。そのような三七様をわしはもはや主家として認めず! この期に及んでは、織田家当主を暫定的に三介様とし、その三介様のご命令で、我ら織田家臣団、三七様を征討するがもっとも上策。そのように思われるが、丹羽どの、池田どの、如何」


 と、丹羽さんたちに向けて問うた。

 丹羽さんたちが、もはや反論するはずもない。


「もっともでござる」


 丹羽さんと池田さんは、承諾。

 こうして織田家の当主は、三法師から信雄に変わった。


「織田家の葬儀に参加しなかったのは、三介様も同じではないか、兄者」


 小一郎は、秀吉にそう言ったが、秀吉は笑って、


「いや、三介様は尾張におったので、都は遠い。だから不参列は仕方がないのだ」


 そう言ったという。

 それが方便なことは、言うまでもない。


 こうして秀吉はいよいよ織田信孝を討伐するための出陣した。そして岐阜城に向かう前に、かつて自分の居城だった長浜城に向かい、城を守っていた柴田勝豊しばたかつとよを口説き落とし、無血開城させた。


 長浜城を奪還した秀吉は、さらに岐阜城に向かい、完全包囲。

 信孝はまったく反撃できないまま、秀吉に降伏した。

 越前にいる織田家の宿老、柴田勝家が、大雪のために軍を出せない間に行った、見事な電光石火の攻撃であった。


 こうして織田家の主流は完全に秀吉のものとなったのだが、これに対して、猛然と反旗を翻した男がいる。


 滝川一益である。


「筑前の暴虐、もはや看過できぬ。滝川久助、羽柴筑前を討つために挙兵する!」


 天正11年(1583年)1月。

 伊勢国の滝川軍は、進軍を開始した。

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