第45話 二度目の命が尽きるときまで
大橋屋敷で仲間たちにすべてを打ち明けた俺は。
ひとりで屋敷の外に出て、大きく息を吸い、また吐いた。
「清洲会議はもう終わったかな」
独りごちる。
会議の結果は、分かっている。
織田の家督は信長の孫である三法師が継ぎ、その三法師をおじにあたる織田信雄と織田信孝が支え、柴田勝家、羽柴秀吉、丹羽長秀、池田恒興といった織田の宿老たちがさらにこれを支える。
という体制になるはずだ。
旧織田領がどうなるかも、話し合われるはずだ。
秀吉の城だった長浜城は柴田勝家の養子である
しかし、その分、旧明智領の丹波は秀吉の養子である羽柴秀勝のものとなり、京の都がある山城国やその隣国の河内国は秀吉のものとなる。
日本の中心部分は、秀吉がおさえた。
と言っていい。
信長死後の世界は、清洲会議のあと。
いよいよ秀吉が中心となって回り始めるのだ。……
「弥五郎っ」
カンナの声がした。
振り返ると、伊与、カンナ、あかりの3人が揃っている。
「弥五郎、たったいま、清洲の藤吉郎さんから使いが来たばい。
……話し合いはまだ終わっていないが、弥五郎に頼みがある。
大量の紙と筆を用意しておいてほしい。それと
それから、神砲衆の中から数の計算に長けたものを集め、山城国に向けて送ってほしい。カンナがいれば申し分なし。
……ということやったけれど……」
「そら来た。カンナ、ご指名だぞ。山城に行ってくれないか?」
「そらあよかばってん、なんであたしを山城に送ろうとするん?」
「検地をするためだろうな」
俺は答えた。
秀吉は、清洲会議の結果、山城国を手に入れる。
そして、その山城国の収穫領や土地の状態を知るために、検地を始めるのだ。
これは歴史的事実だ。1582年の7月に秀吉は検地を行っている。もっとも、この検地はのちに有名になる『
「とにかく、その検地を行う人材が欲しいんだろう、藤吉郎は。……カンナ、行ってくれ。藤吉郎を助けてくれ」
「かしこまり。それならあたし、いまから行くけん!」
「待った、カンナひとりじゃ危険だ。五右衛門と次郎兵衛も連れていくんだぜ」
「お~。……えへへ、気ぃ遣うてくれてありがと。ならほんとうに行ってくるけん!」
カンナは回れ右して、旅立った。
残るのは俺と伊与とあかりだが。
あかりは、なにか言いたげである。
「あかり、どうした」
「それが、ええと、山田さま。……滝川さまから、わたし宛てに
「久助から? あかりに? …………」
俺でなく、織田家の人間でもなく。
あかり宛てに? だと?
「……文の中身は? あかり宛ての話だけか?」
「い、いえ。……ずいぶんと、まつりごと向きの話を……山田さまのことまで記されていて。……こんなことは初めてで、わたしもどうしたらいいのか」
「……その文、俺が見てもいいか?」
俺が尋ねると、あかりは少し困ったようにうつむいてから。
たっぷり10秒ほど経って、小さくうなずき、俺に手紙を差し出した。
我が友、滝川一益。
史実通りならば、関東地方で北条軍を相手に戦い、そして敗北して、いまごろは美濃に向かっている途中のはずだ。……もっとも、忍びなどを通じて、中央の情報はたえず耳に入っていると思うが。
俺はあかりから受け取った、滝川一益の手紙を見た。
手紙は、あかりにも読めるようにひらがなとカタカナのみで書かれていたが、内容を意訳すると、
『あかりちゃん、そちらはどうなっている? あかりちゃんは生きているよな?
清洲城で柴田さまたちが集まるというから、おそらく津島に山田やあかりちゃんもいると思って、こうして手紙をそちらに送ってみた次第だ。
こちらは散々だ。おおいに敵に負けまくった。生きながら地獄を見た。山田から送られてきた鉄砲や火薬のおかげで九死に一生を得たが、多くの家来を亡くした。オレもまったく焼きが回ったものだ。自分に対して歯がゆく思っている。
さて織田の家中がどうやらキナ臭い。明智を討ったという羽柴が、どうやら織田家を手に入れようと画策しているようだ。丹羽と池田は、羽柴に籠絡されたと思う。柴田様だけが孤軍奮闘という空気を感じる。
オレは昔から羽柴とウマが合わなかったが、ここに来ていよいよ、やつの欲深さにうんざりしはじめている。羽柴は器量人だ。オレよりも恐らく、まつりごとも戦もうまい男だ。それは認める。しかし、それとこれとは別である。信長公が築き上げた天下を、織田家の人間ではない羽柴がいただいていい法はない。
あかりちゃん、上方のことをよくよく知らせてくれ。少し遅れると思うが、オレも必ず尾張に戻る。そして羽柴の野望を阻止し、織田の天下をお守りするつもりだ。いまは織田家の人間が誰も信用できない。情けないことだが、あかりちゃん、君が一番信用できるんだ。オレと繋がりを保ってくれ。そしてオレと一緒に戦ってくれると嬉しい。
ところで山田弥五郎。あいつはいいやつだ。昔ほどはつるまなくなったが、いまでもオレは、やつを友だと思っている。しかし、あいつはオレ以上に羽柴と親しい。情勢、ここに至れば山田だってどう転ぶか分かったものじゃない。これは前田又左についても似たようなことが言えるけれども。
オレが山田ではなくあかりちゃんに文を送ったのもそういうことだ。まずあかりちゃんに話を伝えたかった。重い話をして申し訳ない。
もしも、どうしてもあかりちゃんが、この手紙の重みに耐えきれなかったときには、そのときは柴田様か、やっぱり山田に相談してくれ。いまのオレがまだしも信用できそうなのは、あかりちゃんの次なら、せめてこの2人なんだ。くれぐれも羽柴には悟られないようにしてくれ。
繰り返すが、オレも必ず尾張に戻る。
そのときはまた会おう。関東に来て珍しいものも手に入れたので、ぜひ差し上げたい。
くれぐれも、くれぐれも、よろしく頼む。
酒は一滴も飲んでいないよ』
「……筆まめなことだ」
俺は滝川一益の手紙を見て、小さくつぶやいた。
それにしても久助は、かなり疲れ、そして混乱していると思っていい。
戦の最中か、あるいは逃げている途中に書いたものだろうから、話の筋にまとまりがないのは仕方がないかもしれないが……。
それにしたって、あいつに似合わない、非常に長い手紙だ。多分に愚痴っぽく、かつ不信感の籠もった文章。織田家は誰も信用できないと言いつつ、せめて話すなら俺や柴田さんにしてくれと頼んでいるくだりも、いまの久助の精神がそのまま文章に出ている。いま滝川一益は、霧の中にいるような心持ちなんだろう。
「しかし、話の根っこはひとつだ」
秀吉が織田家を乗っ取ろうとしている。
信長公の天下が秀吉のものになろうとしている。
それは許せない。絶対に阻止する。……久助は、滝川一益は、そう言っている。
実際、激突する。
秀吉と――柴田勝家さん、滝川一益、さらに我が友、佐々成政に、最後には徳川家康まで。
俺と一緒に戦い、友情を結んできた彼らは、秀吉と敵対するのだ。
ならば、俺は――
「戦うのか? 俊明」
伊与が、静かな声で尋ねてきた。
「藤吉郎さんのために? あの滝川様とも……?」
「山田様。……女の身で出過ぎかと存じますが、あえて申し上げます。わたしはいやです」
あかりが、はっきりと言った。
「滝川様と山田様が戦うのは、いやでございます。なんのために。なんとか、それだけは……それだけはやめてほしいです。だって、わたしたちは……」
「分かっている。あかりの気持ちはよく分かる。俺だって」
津島の景色を見つめながら、あのころを思い出せば、滝川一益と戦うなんてこと、誰が望むものか。
望みはしない。
できることならば、織田家の内紛は避けたい。
だが――
「俺が会う」
「え……」
「あかりちゃんに、これ以上の心労はかけない。俺はしばらく尾張に残る。そして滝川さんと会って、話をする。任せておいてくれ」
「……山田さま。……いま」
「これが俺の答えだ。……志は果たす。天下統一も果たす。藤吉郎さんも助けるし、けれど仲間と戦いもしないさ」
「いま、あかりちゃん、と呼びましたか? ……滝川さん、藤吉郎さん、って……」
「え。……言ったか、俺?」
「言ったな。間違いなく」
「……そうか」
自分でも気が付かないうちに、心が若いころに戻っていたらしい。
しかし本音でもあった。天下のために戦う。藤吉郎との誓いも守る。
そして久助とも離れやしない。必ず、やり遂げるのだ。
それにしても、言葉遣いが昔に戻っているなんて。
「この景色のせいだ」
津島の町は、夕焼けに染まり、燃えるように赤くなっていた。
30年以上前から変わらない夕陽が、俺たちを包んでいる。
ふと、あの瞬間の赤さを思い出した。
安土城の天主が爆砕し、目の前が炎の真っ赤さに包まれたあのときを。
信長公も、明智光秀も、こんな赤さの中で生涯を終えたのだろうか。
そしてさらに考えた。……俺はこの世界に生まれ変わってきたわけだが……。
信長公や明智光秀は。……いや、その他の戦国人たち。例えば和田さんであり、武田信玄であり今川義元であり、竹中半兵衛であり熱田の銭巫女でありシガル衆の無明であり青山聖之介さんであり、……俺の両親の牛松でありお杉であり……
彼ら彼女らには転生はないのだろうか?
俺のように、別の時代に生まれ変わっていたりはしないのだろうか?
分からない。
なにもかも分からない。
いや、そもそも俺はなぜ、いきなりそんなことを考え出した?
「……次が近いのかもな」
独りごちる。
そう、俺にとって二度目の死が近付いているのかもしれない。
戦死なのか病死なのか寿命死なのかは分からないが。命が再び尽き果てる日が、近いような気がするのだ。
怖くはない。
死を恐れはしない。
ただ願わくば、……この戦国乱世に安寧をもたらしてから散りたいものだ。
それだけが望みだ。俺は戦うのだ。二度目の命が尽き果てる、その瞬間まで。
第五部 本能寺鳴動編 完
第六部(最終部) 山田俊明編 に続く
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